[#表紙(img/表紙2.jpg)] 新・人間の証明(下) 森村誠一 目 次  永遠の死臭  ただ一個のレモン  悪魔の慰謝料  正義なき鎮圧  ラベンダーの弔客  故国への一歩  未遂まんじゅう  再会した時効  悪魔の落人《おちうど》  日本人の債務  帰化した共犯者  口留の結婚  過去を繋《つな》ぐ繊維  返されざるレモン [#改ページ]  永遠の死臭      1  棟居《むねすえ》は、馴鹿沢《なじかざわ》英明の住所が判明したことを園池に連絡した。彼の協力に対するせめてもの謝意のつもりである。園池は大いに喜んでくれて、 「馴鹿沢さんはなかなか剛直な人でしたから、いきなり訪ねて行っても口を割らないとおもいます。731部隊の秘密は棺桶《かんおけ》にまでもっていけという命令をいまだに固く守っているでしょう。そこでどうかな、私も同道しましょうかな」 「あなたが同道?」  棟居は、いきなり捜査に同行すると申し出られて面喰《めんくら》った。 「私も久しぶりに馴鹿沢さんに会いたいし」  棟居は、この際、昔の戦友に同行してもらったほうが、馴鹿沢の口も解《ほぐ》れやすいだろうと咄嗟《とつさ》に判断した。 「そうしていただければ大変たすかります」  園池の費用くらい自腹を切ってもよいとおもった。 「それでは早速、私から先方に連絡を取っておきましょう。なんだかえらい辺鄙《へんぴ》な場所のようだが電話はあるのですか」  馴鹿沢の住んでいる村への交通《アプローチ》は、新幹線で豊橋《とよはし》まで行き、飯田《いいだ》線に乗り換え、平岡《ひらおか》下車、バスというのが最も早いそうである。  園池の都合に合わせて、出発したのは、十二月十日の朝であった。幸いに、十一月末から好天期に入り、天候は安定しており危なげがない。  東京駅で約束の時間に園池と落ち合うと、細君と共に息子夫婦が見送りに来ていた。三十前後の息子は老父の旅行を不安がりしきりに気遣っている。時折、棟居に向ける目に暗に非難がこめられている。この聞込み旅行の成否が、園池の口ききにかかっていることがわかってからは、むしろ無理に頼んで引っ張り出した形になったので、棟居は列車が出るまで身が縮むおもいであった。 「お爺ちゃん、風邪をひかないようにね。もう山の方は大変寒いでしょうから」  細君と息子の嫁も、子供を送り出すように細かく注意している。見送りの気遣いをよそに、園池は久しぶりの旅行に小学生の遠足のようにはしゃいでいる。  ようやく時刻がきて、列車が動きだした。豊橋に着いたのが正午少し過ぎ、三十分ほどの待ち合わせで飯田線に連絡する。鈍行列車でかなり混んでいる。この時間帯は中途半端で急行列車がないのである。時刻表を見ると、約五時間かかる。  新城《しんしろ》を過ぎたあたりで豊橋平野が尽きて、列車は山地へ入り込んで行く。野田城《のだじよう》、茶臼山《ちやうすやま》、長篠城《ながしのじよう》等日本歴史に名高い古戦場の駅に、列車は律義に停車しながら北上をつづける。各駅停車なので乗客の交代が激しい。見渡したところ、豊橋から乗車した者は、彼ら二人だけになってしまったようである。 「湯谷《ゆや》」という駅を通過したあたりから傾斜が増し、列車は喘《あえ》ぎながら山峡深く分け入って行く。トンネルが多くなり、峡谷をからんで這《は》い登って行く。車内が急に空《す》いたので、駅名を見ると「中部天竜《ちゆうぶてんりゆう》」と書いてある。  いつの間にか静岡県へ入ったのである。このあたりから天竜川が列車と平行するようになる。渇水期とみえて、水量は少ない。佐久間《さくま》ダムの入口「佐久間」を過ぎると、車窓にますます山肌が迫ってくる。紅葉期の見事さが想像される美しく濃密な林相が山を埋めている。傾くに早い初冬の陽《ひ》は、山かげに隠れ、山峡は影の中にある。樹林が、杉、檜《ひのき》を中心とした常緑針葉樹に変ってきた。山峡の底から覗《のぞ》く、山の稜線に縁取られた初冬の空は、蒼《あお》暗く澄んで鉱物的な硬さに映えている。空気がグンと冷えてきた。山の尾根が切れこんだところで傾きかかる初冬の陽がちらりと覗いた。射し込んだ光束の中に、線路|傍《はた》の山柿の落ち残った実が朱に輝いた。 「今も亦《また》遠き山家の柿|日和《びより》——ですな」  窓外の風景に目を遊ばせていた棟居に園池が声をかけた。棟居が咄嗟にその句意を釈《と》り損って返答をためらっていると、 「たかし(松本)の作です。源義《げんよし》(角川)には、——信濃柿|赫《あか》し敗兵の日を思ふ——という句があります。まさにそんな心境ですなあ」  棟居が、風邪《かぜ》を引かないように気を遣っているのも知らぬげに、園池は大満悦の様子である。棟居があまり反応を示さないので、園池は通路を隔てた席にいた地元の人らしい老女に話しかけた。老女も相手が欲しかったらしくて、けっこう話が弾んだ。 「上村《かみむら》へ行きなさるかな。あそこは遠山《とおやま》郷と言いましてなあ、山国の信州の中でもいちばん人里離れとるんだに。汽車が通る前は、飯田から浜松の方へ抜ける街道になっとって、旅籠《はたご》なんかもあって栄えとったけど、いまじゃすっかり廃れてなあ。遠山へ転勤して行く役人衆や先生方は一年も保《も》たない。みんな辞めて町へ帰っちまうんで、遠山へ入る峠をこの辺じゃ辞職峠と呼んどるんだに」  二人のやりとりを傍で聞きながら、棟居は�辞職峠�とは聞くからに辺鄙な所だと、心中|密《ひそ》かに驚いた。 「あんたたち、ちょうどよいときに来なすったね。いまはちょうど霜月《しもつき》祭りだあよ」  老女は話題を変えた。 「しもつき祭りって何だね」  興味を惹《ひ》かれたらしい園池が聞いた。 「遠山谷で十二月初めごろから行なわれる祭りな。十二月の三日ごろから始まって、一月の半ばごろまであるんな」 「そんなに長い祭りなのかね」  園池の声が驚いている。 「遠山谷の各|社《やしろ》毎にやりますんな。ちょうど今日は南信濃の木沢《きざわ》の八幡様の祭りずら。この辺の霜月祭りでは一番古式を残していて、見物も余計出るずら」  老女の話によると、霜月祭りは昔、旧暦の十一月十五日から二十四、五日にかけて行なわれた稲の収穫祭から発したもので、天竜川の支流遠山川に沿った木沢、和田《わだ》、上村の村落に散在する十数社の行事だそうである。  三集落毎に、形式も三つに分れ、今日はちょうど彼らが訪れる木沢の正八幡《しようはちまん》社の祭りの当日であるということであった。 「そうだな、暇があったら、祭りを覗いてみようかな」  園池が適当に相槌《あいづち》を打つと、老女は、 「ぜひそうしなんよ。遠山郷へ来て、霜月祭りを見なかったら、来た甲斐《かい》がねえずらに」  と熱心に勧めた。老女は平岡の二駅手前の伊那小沢《いなこざわ》で下車して行った。車内の乗客は疎《まば》らになって祭りの雰囲気はなかった。  午後三時三十一分、列車はダイヤ通り平岡へ着いた。プラットフォームへ降り立ったのは彼ら二人だけであった。陽はすっかり陰《かげ》り、完全に夕景である。線路の両側に山が切り立ち、線路端に山から伐《き》り出したばかりの原木が積んである。フォームに「南アルプス赤石岳《あかいしだけ》登山口」と大きな看板が出ている。空気が肺に沁《し》みるようである。フォームから改札口へ抜けるために線路を横断する。その間に彼らを運んで来た列車《デイーゼル》は、汽笛を残して去って行った。 「一句できましたよ。——山峡に秋を配りて汽車去れり——ここはSLでいきたいところですが、止むを得ませんな」  園池は、美味《うま》そうに深呼吸をして伸びを打った。改札口で若い駅員が直立して二人の来るのを待っている。幸いにバスの便が十分ほどで連絡していた。  間もなくバスが来た。数人の乗合い客がいたが、土地の顔なじみらしく和やかに談笑している。祭り見物の乗客はいないようである。二人の明らかにヨソ者の闖入《ちんにゆう》に、彼らは好奇の目を集めた。  バスは動きだすと、山峡の狭い道路をよたよたという感じで進んで行った。舗装はされているが、一車線幅である。すれちがう度に対向車がバスの横を身を縮めるようにして通り過ぎて行く。道の両側に山肌がせり出し、山間の谷地《やち》に田がうねるように細く入り込んでいる。田に人影はない。道を急流がからみ、所々に橋がある。枯れたススキが揺れ、岩に堰《せ》かれた水勢が飛沫を上げている。路傍に道祖神《どうそじん》の祠《ほこら》や野仏《のぼとけ》が置き忘れられたようにあり、遠方にセメントの原石山が、自然の中にできた瘡蓋《かさぶた》のように山体の裸形を剥《む》き出している。  対向車はほとんどなくなり、曲折の激しい道をバスはよろめきながら登って行く。  峠を越えると人家が固まっており、それを通り過ぎると、また小さな峠があって山間の集落へ抜ける。バスが進むほどに山気が深まっていく。  日本のスイスとして、観光俗化が進んでいる長野県において、遠山谷の地域だけは、豊富な観光資源にもかかわらず、世に余り知られることもなく、隔絶された原初のままの自然と独自の文化を保っている。  昔「秋葉街道」と呼ばれた国道152号線により飯田と浜松を結ぶ宿場として栄えたが、鉄道の開通によって寂れた。加えて県境|青崩《あおくずれ》峠付近六キロが通行不能になって、自動車交通からも切り離された。飯田線平岡駅から細々とした県道によって辛うじて連絡された陸の孤島であり、秘境であった。  バスはその県道を喘ぎながら伝って、約四十分で南信濃村の中心地和田に着いた。ここは盆地の中心部になっており、村役場、小学校、老人福祉センター、診療所などや、小規模ながら商店街もある。平岡からのバスは、ここが終点であり、馴鹿沢の家へ行くにはさらに上村行に乗り換えなければならない。馴鹿沢家は南信濃村と言っても、隣りの上村との境に近い赤沢という地区にあるそうである。  約十分の待ち合わせでバスは出た。乗客は彼ら二人だけである。バスは穏やかな盆地の中をのんびりと進む。車の左右にからむ川は遠山川であろう。太陽は山かげにとうに没し、窓外は完全に暮色である。約三十分で赤沢へ着いた。  バスは馴鹿沢家の前で停まってくれた。二人を下ろして完全に空になったバスは、これまでよりも身軽そうに走り去って行った。日はすっかり昏《く》れて、野面に夕闇《ゆうやみ》が濃い。西の天末がかすかに色づいて残照の余韻が漂っている。枯葉のかぐわしい匂《にお》いが鼻腔《びこう》に迫った。山の匂いでもある。  バスから下りると、一人の老人が「園池さんかね」と声をかけざま走り寄って来た。 「やあ、馴鹿沢さん。三十六年ぶりだね」  二人はしっかりと手を取り合った。 「ああ、その顔よく憶《おぼ》えているに。よくヘボ碁を打ち合ったなあ」 「あなたも元気そうだね。奥さん気の毒なことをしちまったが、帰りの汽車の中で……その後、息子さんたちは元気かな」 「あのときはあなたや奥さんにえらいお世話になったなあ。息子も元気で、もう孫がいるんだに。本当によく来てくれた」 「会えて嬉《うれ》しいよ」 「ああ、うんうん」  二人の老人は懐旧の情に浸っている。二人は万感が一気に込み上げてきたらしく手を取り合ったまま言葉を失ってしまった。人生に風化したような二人の老人が、長い空白の後再会して声もなく鬩《せめ》ぎ合う感傷の中に立ちすくんでいる姿は、感動的であった。後で聞いたことであるが、731からの引揚列車の中で馴鹿沢夫人が発病し、園池夫人に看病されながら死んだという事情があったのである。園池と馴鹿沢は家族ぐるみの戦友であったのだ。 「おじいちゃん、そんな所で立ち話しとらんでお客様に中に入っていただいたら。風邪を引いちゃうわよ」  戸口から息子の嫁らしい女の声が呼んだ。 「これは遠来の客をこんな所に立たせたままですまんことです。まあとにかく入ってください。遠路お疲れじゃろう」  馴鹿沢は先に立って、二人を家の中に導き入れた。さすが徳川時代からの旧家らしく、どっしりした構えの内部には広々とした土間があり、路地となって裏へつづく。その路地をはさむようにして、板敷の間と板戸で仕切られた部屋が並んでいる。吹き抜けになった天井に太い梁《はり》が這い、それを原木の柱が支えている。いずれも黒光りして古格があり、その家の歴史を物語っている。広い家にもかかわらず、屋内は適度に温まっており、冷えた身体に快い。  二人はその家の中央に位置している炉を切った部屋に通された。ここが客間なのであろう。  すぐに酒と料理が出された。 「風呂《ふろ》もわいとりますが、まあとにかくのどを湿してください。山家なので大したものはないけどなあ」  馴鹿沢は、上機嫌で、二人に酒肴《しゆこう》を勧めた。皿には山菜のごまよごしや茗荷《みようが》の漬物、虹鱒《にじます》の塩焼、山いものとろろなどが盛られている。棟居の腹の虫が鳴いた。考えてみれば新幹線の中でサンドイッチを食っただけである。飯田線ではなんの車内販売もなかったので、飲まず食わずであった。 「これは冷凍した鹿の肉なんですに。ちっと味見してください」  馴鹿沢は初対面の棟居にも気さくに勧めた。それは茗荷の漬物とよく合って絶品であった。馴鹿沢は、園池との想い出話に耽《ふけ》りながらも棟居に対する細かい心配りを忘れない。馴鹿沢は今年で満七十歳ということである。額に刻みつけたような深い皺《しわ》が三本走っている。太陽をたっぷりと沁み込ませた赤銅色《しやくどういろ》の顔の皮膚に大小無数の皺が輻輳《ふくそう》して、老人の半生の波乱を象徴しているようである。  白い眉毛《まゆげ》が長く伸び、窪《くぼ》んだ眼窩《がんか》の奥に底光りのする目が坐っている。鼻梁《びりよう》は高く、鼻筋は通っている。唇はうすい。その奥に覗く歯並びは白く、丈夫そうである。総体に痩《や》せており、身長は一メートル七〇は越えているだろう。背筋はしゃんとしており、姿勢がよい。人の話を聞くとき、寛《くつろ》いでいても背筋を伸ばし、ゴマ塩頭を静止させて、じっと耳を傾ける。  好々爺《こうこうや》の温容さは見られないが、苦労人の苦味を感じさせる。年輪によって鍛え込まれたしたたかさが迫る。棟居はただならぬ人物に見《まみ》えた緊張を覚えていた。  二人の老人は想い出話に耽り、当座、棟居の割り込む余地はなかった。      2  老人たちの想い出話は尽きることがなかった。 「ところであなたは教育部にいた奥山謹二郎さんをご存知かな」  存分に話題が弾んだところで、園池が水を向けた。彼はこの訪問の本命目的を忘れていなかった。 「ああ、親しく話をしたことはないが、顔は知っとるに」 「奥山さん死んだよ」 「ほう。我々の仲間はみんなそんな年齢になっとるからなあ」  馴鹿沢は、奥山を自然死と釈《と》ったらしい。 「それがね、死因に怪しいところがあるそうだよ」 「怪しいところというと?」  馴鹿沢の懐旧の情に浸って陶然としていた目がチカと光った。 「つまりだね、犯罪の疑いがあるんだ」 「犯罪? すると殺されたとか……?」 「その疑いがあるんだ」 「奥山氏がなんで殺されたんな!?」 「原因は731から発しているらしい」 「731だと!?」  馴鹿沢の酔いが一気に醒《さ》めたようである。 「そのことについて、この棟居さんがいろいろと調べているんだよ」 「やっぱりそうかな。どうもそんなにおいがしとったんな」  馴鹿沢は苦笑した。 「気がついておられたのですか」  棟居が恐縮すると、 「いや、マスコミの人じゃないかなとおもったんな」  馴鹿沢は闊達《かつたつ》に笑った。だが追懐《ついかい》の酔趣《すいしゆ》からすでに醒めている。棟居は改めて自己紹介をして、楊君里《ヨウクンリ》の死から発した一連の捜査過程を話した。 「なるほど、それで私に会いに来られたというわけかな」  馴鹿沢は、完全に醒めた声で言った。 「馴鹿沢さん、一つ力になってやってくださらんか。奥山さんも昔は我々と同じ釜《かま》の飯を食った仲間だ。我が子の形見のレモンを握りしめて日本へ来た楊君里も可哀想だ。我々の仲間の死のために警察がこれほど熱心に動いてくれることにも私は感激した。それでこちらへ案内したんじゃが」  園池が言葉を添えてくれた。 「話の趣意はわかりました。それで、楊君里の嬰児《えいじ》のすり替えを私に命じた技師が事件の鍵《かぎ》を握っているというのですな」 「私はそのように推測しております」 「そういうことであればお話しいたしましょう」  棟居は遂に核心に迫った緊張感で、体の芯《しん》にかすかな震えを覚えた。 「たしかに嬰児すり替えを私に命令した技師がおりました。その技師の名前は千坂義典《ちさかよしのり》と言うんな。岡本班のナンバー2の技師で、岡本班長が帰国してからは、しばらくの間千坂さんが指揮を取っておりましたに」 「その千坂技師が命令したのですね」 「そうです」 「千坂技師と奥山氏は親しかったとおもうのですが、二人の間にどんな関係があったかご存知ですか」 「私は千坂氏の命令で動いただけだもんで、彼らの関係については知りませんですに」  せっかく馴鹿沢を探し出しても、千坂と奥山の関係を知らなければ徒労に終る。 「奥山氏から嬰児すり替えの協力を求められて、千坂技師には断われないような事情があったとおもうのですが、それについてなにかお心当たりはありませんか」  棟居は、すがりつくようなおもいであった。 「これはごく部内の者にしか知られとらんことなのですが……それが千坂技師と関係があるかどうかは知りませんよ」  棟居の質問に、馴鹿沢は口調を改めた。 「どんなことでもけっこうです」 「実は731隊内で若い女子軍属が殺された事件があったんです」 「女子軍属が殺された……?」  棟居はおもわず唾《つば》をのみ込んだ。 「731の定員は三千名でしたが、定員が充《み》たされたことはなく、隊は常時五、六百名の慢性的定員不足でした。この不足を補うために、多数の従軍看護婦や女性職員が働いとりました。一般軍属の家族も女子軍属として隊に勤めとりました。それらの女子軍属の一人に寺尾《てらお》某女がおりましたんな。所属は総務部庶務課でした。当時二十一、二歳の中背、胸と腰回りの肉感的な今でいうならばグラマーな女性でしたに。東北の農村出身ということでしたが、気さくな働き者で、若い男性隊員の人気の的でした。その寺尾某女が昭和十九年十二月下旬の夜、東郷村の一角で死体となって発見されたんですに。ちょうど独身官舎と高等官官舎の中間にある給電所の傍《そば》です。発見者は奥山さんです」 「発見者は奥山さん!」  棟居と園池が同時に言ってから、園池が、 「寺尾という女性が病死したという話は聞いていたが殺されたとは知らなかった」と言葉を追加した。 「彼女は首を絞《し》められとったんです」 「あなたはどうしてそのことを知っているのですか」 「私が彼女の遺体を解剖したんです。彼女は妊娠三か月の上に、死の直前に情交をしとりました」 「女子軍属が殺されたとなると、大事件ですが、どうしてそれを伏せてしまったのですか」 「当時の731上層部の道徳的|頽廃《たいはい》ぶりは相当なもんでしたんな。とにかく機密費は潤沢ですし、部隊長が率先して遊びまくっとったんです。ここでこともあろうに女子軍属の殺人事件が表沙汰《おもてざた》になれば、腐敗分子が芋づる式に手繰り出される。脛《すね》に傷もつ連中が、事件を寄ってたかってもみ消したんですに。事情を知っている者には固い箝口令《かんこうれい》が布かれました」 「その事件が千坂技師にどんな関わりがあるのですか」 「731隊員とその家族が死亡すると、原因のいかんを問わず遺体を解剖するという隊内規定がありましたんな。その解剖は、もっぱら岡本、石川両班が担当したのですが、マルタとちがって言わば身内の解剖は両班とも敬遠しがちです。ところが、千坂技師が彼女の解剖にひどく関心をもちましてね、自分から希望して岡本班へ引っ張ってきたんですに」 「しかし、それだけでは……」 「ところが千坂技師は、それから間もなく理由不明のまま内地へ帰国してしまったんですに」 「あなたは千坂技師の突然の帰国が寺尾某女の死に関係があるとお考えですか」 「実は、庶務課の女性職員は単身赴任の高等官の宿舎に時々メード代わりに身の回りの世話に行くのです。寺尾某女は殺される二か月ほど前に千坂技師の官舎へ行っとったんですに。我々は彼女の死にうすうす推測をしとりましたが、千坂氏が逃げるように帰国して行ったので、ああ、やっぱりとおもったもんです。楊君里の嬰児すり替えは、寺尾某女の殺害事件と、千坂技師が帰国するまでのわずかな期間を縫って実行されたんですに」  初めて明らかにされた驚くべき事情であった。元隊員である園池も驚愕《きようがく》の色を隠さない。 「するとあなたは、奥山さんが千坂技師の寺尾某女の死に関する弱みを握り、それをタネに嬰児すり替えの協力を求めてきたとお考えですか」 「あくまで私の推測ですが、このように解釈すると三者の間がつながるずら」 「千坂技師の現在の消息をご存知ですか」 「千坂義典という名前を聞いたことないずらかな。もっともいまはギテンと名乗っていますが。民友党の幹事長として活躍しとりますよ」 「ああ、あの千坂義典」  どうりでどこかで聞いたような名前だとおもった。時の与党民友党の幹事長としてマスコミで馴染《なじ》みの名前であった。意外な大物の浮上に棟居は身の引きしまるような緊張を覚えた。 「一介の医学者にすぎなかった彼が、戦後どうしてあそこまでのし上がれたか。それについては我々仲間内で未確認情報ながら、ある噂《うわさ》が流れているんですに」 「それはどんな噂ですか」 「731には当時の金額で二億円相当の大量の貴金属、金、プラチナ、錫《すず》、水鉛《モリブデン》や麻薬を主体とした医薬品などが備蓄されていたんな。これを終戦時に日本へ持ち帰って、戦後その一部を罪を逃れるために米軍G2(別班、諜報部《ちようほうぶ》のこと)関係者に貢ぎ物として贈り、残りを上層部の生活資金に当てたということなんですに。千坂は、金沢大学医学部の教授でしたが、その関係で戦後しばらく同大学に貴金属を隠匿し、やがて政界に転向した千坂は、それを資金として政界に地歩を築いたという噂ですに」  引き出すほどに731からは途方もないことがぞろぞろと出て来る。馴鹿沢は、未確認情報だがと断わったものの、その口調には自信が感じられる。  奥山は千坂の弱みをつかんだのであろう。その弱みとは、「寺尾某女の殺害現場を目撃された」可能性が強い。その時点では井崎夫人も楊君里も出産していないから、弱みをタネに嬰児をすり替えようというアイデアはなかったはずである。  千坂に泣きつかれて、真相を黙秘したというところであろうか。  山本記者不明死事件と、寺尾某女殺害事件はどうつながってくるのか。あるいは両事件はまったく関係ない別件かもしれない。  だが楊君里の来日によって、にわかに嬰児すり替えの裏の真相が現われそうになった。日中戦争の秘話としてマスコミが突っつきそうな好個のタネである。まして二件の�重要参考人�が時の与党の幹事長となればなおさらである。そこで楊君里の口を塞《ふさ》いだのか。  いや楊君里は、嬰児をすり替えた事実だけを知っており、その工作のための奥山と千坂の裏のかけひきまでは知らなかったはずである。すると楊君里の死は、奥山とは関係ないのか。いや関係の有無にかかわらず、楊の死から発して、奥山の身辺に捜査の手が伸びることはまことに困る。  たとえ時効が完成していたとしても、三十七年前の殺人事件の真相が暴露されれば千坂の政治生命は終る。もし千坂が寺尾某女を手にかけていればこともあろうに国会議員であり、民友党幹事長の犯罪である。千坂はすでに失うには、あまりにも巨大なものを背負っていた。  それから731の�遺産�とも言うべき貴金属、当時で二億円相当とは、現在ではどのくらいの金額になるのか、棟居には見当もつかなかった。この遺産も奥山の死に関わっているのではないのか。もし奥山が遺産隠匿に関与しており、その秘密を漏らしそうな気配でも示していれば、口を塞がれる十分な理由がある。 「私が知っとるのは、これだけな。私は731とは絶縁しようとおもって戦後この山奥に引きこもり百姓をしてきたんですに。731を踏台にして、また731の貴金属を資金としてだれがどんな功名を得ようと私には関係ないことな。この手を見てください」  自分の思案に耽りかけた棟居の前に馴鹿沢は両手を突き出した。日に焼け、ゴツゴツと筋張った、まさに土に生きる農夫の手である。 「昔はピアノでも弾くような細いきれいな手だったんですに。この手で何十いや何百というマルタを解剖したんです。マルタだけじゃない。寺尾某女も、隊員やその家族の遺体もですに。そのとき沁みついた死臭が、戦後三十六年間土をいじっとっても、いまだに脱け切らんのです。深夜ふと目覚めたときや、野良《のら》で汗を拭《ふ》こうとしたときなど、あの消毒のにおいを嗅《か》ぐんです。私はいまでも病院へ行けんのな。あのにおいを嗅ぐと、息が詰まるんな。死んだ家内は、私に一日に三度風呂へ入るように言いましたが、いまでも少なくとも二度は入っているんですに」  棟居は、馴鹿沢の話を聞きながら、ここにも731の鎖を引きずっている人間がいることを知った。自分の指を切断した橋爪といい、また馴鹿沢といい、731の鎖は、切れることなく、先へ行くほどに重量を増して元部隊員の心身を搾《し》めつけているのであった。 「これはいけない。すっかりシラケてしまいましたな。どうかな、もしお疲れでなければ八幡様の霜月祭りにご案内しましょうかな。ちょうど湯立《ゆだ》てが始まるころずら」      3  木沢の正八幡社は木沢の集落のはずれの杉や檜の古木が蒼然《そうぜん》と立ち並ぶ中にひっそりと埋もれるように祀《まつ》られてある。元和《げんな》年間領主遠山家に対して領民が一揆《いつき》を起こし、遠山一族八名を殺し、その怨霊《おんりよう》の祟《たた》りを恐れて彼らの霊を八社の神として合祀《ごうし》したことに始まるとされている。現在の社殿は文化《ぶんか》十四年(一八一七年)に再建されたものである。  馴鹿沢から聞いた霜月祭りの由来は、往路の列車の中で乗り合わせた老女から聞いたものと異なり、清和《せいわ》天皇の貞観《じようがん》中(八五九—八七六年)京都|洛中《らくちゆう》で行なわれた祭事が伝承されたという説と、和田村の榊《さかき》太夫《たゆう》という人が京都から神楽《かぐら》を伝えたとする説があるということであった。  霜月祭りは、木沢、和田、上村の各集落別に三つの形式があるが、木沢中心の祭りは、前日の午後二時ごろから、「釜清め」と称する禰宜《ねぎ》の一人がお祓《はら》いをして釜を清める行事から始まり、注連《しめ》飾り、大祓《おおはら》い、御扉開き、座づけ、三条の祓い、十六の神楽と神事の次第がある。祭りの当日には午後二時ごろ本祭りの最初の行事である「大祓い」が行なわれる。氏子《うじこ》総代、氏子数名、宮司、禰宜《ねぎ》数名が神殿に向かって正座し、禰宜の一人からお祓いをうけ、宮司が祝詞《のりと》をあげて、本祭りが開幕する。  次いで御扉開き、三条の祓い、ひよしの神楽、神名帳《じんみようちよう》、と進行し、午後七時ごろから、本祭りの白眉《はくび》とされている「湯立《ゆだて》神事」が始まる。これは正八幡社および旧村内に祀《まつ》られている七体の神が全国の神々を招待してお湯をさし上げる神事とされている。  馴鹿沢家を出ると、寒気が身に沁みた。道の両側に切り立った山が迫り、その上空に凄《すさ》まじいばかりの星の群が、おもいおもいの陣を張っている。まさに雲霞《うんか》のような星の密集であり、星座の対決であった。  水音が近い。道に沿って川が流れている。木沢八幡社には、バスで来た国道を約三キロほど南へ戻る。馴鹿沢の息子が八幡社まで車で送ってくれた。現在この村には一戸あたり一台の車があるそうである。往路のバスに乗客の少なかった理由が納得できた。  一行が八幡社に着いたときは、神名帳の神楽歌がほぼ終り、三人の禰宜が扇を開き、鈴を乗せ、湯木《ゆぎ》係より湯木を受け取って両手に捧げもったところであった。 「ちょうどいいところへ来たに」  馴鹿沢は喜んで、湯立神事の始まりつつある舞殿にしつらえられた竈戸《かまど》の前へ人垣をかき分けるようにして進んだ。すでに大勢の村人や見物客が詰めかけている。  この社の神事は最も古式を留めているとあって近郷近在はもとより、民俗研究家、マスコミ、観光客なども遠方から集まって来る。マスコミ関係らしいカメラマンがよい位置を占めてカメラの放列を敷いている。  湯立神事は、「八幡様の湯」から「小嵐様の湯」まで、七回繰り返される。  釜の前のむしろに三人の禰宜が神殿を向いて坐り、湯木を襟《えり》にさしたまま、両手を差し上げ、両手で水を掬《すく》うような格好をし、その一人が、 「遠山おんの庄八社の神の式社により八幡様のお湯をさし上げ奉る」と述べる。  次に掌《てのひら》をもみ、柏手を二回、両手|拇指《おやゆび》と人さし指で日輪を象《かたど》った円をつくり挙手する。  三人の禰宜は礼拝をし、「五大尊」を指で形づくる。周囲の観衆は、声を揃《そろ》えて「おこなえよ、おこなえよ」と呼びはやす。湯立の神事はいよいよ佳境に入ってきた。  五大尊を納め、禰宜は襟首にさした湯木を抜き、扇を腰にさして、鈴を振りながら湯木舞を始める。観衆が「まったりよ、まったりよ」とはやし立てる。  三人の禰宜が鈴を帯にさし、一対《いつつい》の湯木を二本に分け、袖《そで》の先に湯木をもち、湯立ての神楽歌を行ない始める。  もと「おんしろたえをもち手に持ちてナ ヤンハーハ」  うら「おがむには四方の神をナ ヤンハーハ」  もとを禰宜が唱え、うらを氏子一同がつける。  「東方や南方の神々を湯殿へわたすナ ヤンハーハ」  「湯ごろもめせあやかにしきかな(湯衣召せ綾か錦かな?)ヤンハーハ」  「西方や北方の神々を湯殿へ渡すナ ヤンハーハ」  「湯ごろもめせあやかにしきかな」  この神楽歌が全国の神々に湯の上にお出になるように請招している「湯殿渡」である。  以後、「湯蓋取り」「神ひろい」とつづき、これが正八幡様の湯で、以下六回の湯立てが行なわれる。  湯立神事が終ったのが午後十時近くである。  以後、行事は、太夫舞《たいふまい》、宮浄め、八乙女《やおとめ》、家浄《えんよ》め、四つ舞、立願ばたき、天伯《てんぱく》(天狗《てんぐ》)の湯、中祓い、たすき舞、しずめの湯、面《おもて》、かす祭り、木の根祭り、と延々とつづき、すべての次第が終るのが午前六時半ごろであるという。  棟居はともかくとして、園池の体調が気遣われたので、湯立神事が終ったのを潮時に三人は引き揚げた。 [#改ページ]  ただ一個のレモン      1  馴鹿沢英明の聞込みによって、千坂義典が浮かび上がった。だが相手は民友党幹事長という大物である。下手に突っつくことはできない。那須も意外な大物の浮上に驚き、くれぐれも捜査に慎重を期すよう言い含めた。  幹事長は、党の大番頭《おおばんとう》である。金(資金調達力)と人(国会の役職配分権)を握っており、政策決定に際して中心的な役割を果たし、外に対してはスポークスマンとなる。選挙となれば総指揮を取り、党人事や経理に対してすらその意見は、動かし難い重みをもつ。  いきおい幹事長には政策や党内事情と各選挙区の実情に精通し、党内に信望のあるキャリア十分の人物が求められる。このような重要な党内の布置から幹事長は総理大臣へのパスポートとすら言われる。ともあれ、民友党幹事長から、総理の椅子《いす》は確実な射程にある。  千坂は終戦少し前、大陸から引揚げてから郷里の山形に帰り東京との間を往復していたが、昭和三十年地元の医師会をバックに市長選に立候補、当選を果たし、二期つとめた後、中央政界に打って出る。  当時の衆院議長だった有末博光をかついで有末派を結成、以後有末にピタリと付いて彼を幹事長に押し上げた。自分は副幹事長として地味な女房役に甘んじたが、有末が病死した後同派を率いて一派のリーダーとなった。生粋《きつすい》の党人でありながら政策に明るく、行政機構もよく勉強している。独自の金脈を確保しているらしく、同派の資金力は潤沢である。国会運営や派閥の駆引きにおいて辣腕《らつわん》を発揮し、「口八丁手八丁の策士」と言われる。  四十九年宗弘元首相の引退に伴う後継総裁の選出にあたり、官僚派の帝塚邦裕を推したためにグループは分裂し、党人派から裏切り者扱いをうけたが、以後帝塚首相のヒキを得て、自治庁長官、通産相、建設相、政調会長などを歴任、現河西澄明首相に政権を引き継いだときも橋渡役をつとめた。  幹事長の座を占めてから、一挙に派閥を肥《ふと》らせ、河西政権の跡目《あとめ》相続を狙《ねら》って着々と体制を固めている。キャリア、実力共に十分のベテラン政治家。反共・右寄りの旗印を掲げているが、国会運営において野党との妥協を辞さない柔軟な姿勢をもつ。  旧軍部の尾を引きずるオールドタイプの政治家と批判する向きもあるが、新しい時代の流れには敏感であり、それをうけ入れるポーズも巧妙である。  以上が千坂義典の政治家としてのデッサンである。政界での身のこなし方の巧妙な政治家というのが、棟居の印象であった。  棟居は、千坂の金脈に目を着けた。終戦による大陸からの引揚浪人がどこでそのような金脈を確保したのか。千坂が一派のリーダーとして重きを成していったのも、潤沢な資金の裏づけがあったからにちがいない。  その金脈こそ、馴鹿沢が指摘したとおり731の遺産から発しているのであろう。金脈はまだ生きている。731から密かに日本へ持ち帰られたという大量の貴金属類、それが、千坂義典を中央政界へ送り込み、現政権の最有力後継者に押し上げる資金となって生きているとしたら。単に政界に乗り出すための�束脩《そくしゆう》�としてだけではなく、権力への野心を支える金脈として潺々《せんせん》と流れつづけている。  棟居は、自分の想像にこだわった。だがそれは彼の個人的推測の域を出ない。奥山の死因に関して千坂義典と対決するには、まだ資料が薄弱にすぎた。      2  棟居は、千坂義典の身上を密かに調べた。千坂の出生地は山形県|米沢《よねざわ》市である。棟居は米沢と知って緊張した。奥山謹二郎の出身地が一時米沢と疑われて、棟居は同地までその消息を尋ねて行ったのである。ここになにかの関連はないであろうか。  棟居は、千坂の戸籍簿を調べた。本籍地は山形県米沢市|林泉寺《りんせんじ》町二丁目十×番地 大正三年七月十三日本籍地で出生 同月十六日父千坂義男届出入籍 昭和十三年三月二十日奥山朋子と婚姻届出米沢市林泉寺町二丁目十×番地千坂義男戸籍から入籍。——とある。  棟居は、千坂義典の妻、奥山朋子に注目した。朋子の戸籍を見ると、——大正六年十一月二十一日福島県|安達《あだち》郡|油井《ゆい》村字|漆原《うるしばら》町で出生、同月二十四日父奥山彦太郎届出入籍——  棟居は愕然《がくぜん》とした。油井村漆原町と言えば長沼(高村)智恵子の出生地ではないか。当時の油井村はいまは同郡安達町に編入されている。棟居は同町役場に要請して奥山彦太郎の戸籍謄本を取り寄せた。そして、  ——奥山謹二郎、明治二十六年五月十四日福島県安達郡油井村字漆原町で出生 父奥山彦太郎届出 同月二十日受付入籍——の文言を発見したのである。  千坂義典の妻は、奥山謹二郎の末妹であり、奥山と智恵子は同郷の幼なじみであったのだ。  千坂義典と奥山謹二郎は姻族であった。だが彼らが姻族関係にあったとなると、奥山が必ずしも千坂の弱みを握る必要はなくなる。奥山は千坂に泣きつかれて寺尾某女の殺害事件のもみ消しに一役買ったのであろうか。もみ消し役ならば、奥山よりも有力な人間がいるであろう。  たまたま犯行の現場を目撃した者が奥山であったならばどうであろうか。妻の兄が目撃者であれば真相の黙秘を頼みやすい。またその見返りとして、嬰児すり替えの協力もしやすい。つまり弱みと姻族関係という二重の絆《きずな》があったことになる。  千坂の妻が、奥山の妹であったことは、731の中で知られていない。それは千坂が妻子を内地に残して単身赴任して来た事情と、731における二人の部署がかけ離れており、彼らの間につき合いがなかった状況を物語るものである。731の女子軍属とよろしくやっていた千坂にとって妻の長兄である奥山の存在は、煙ったかったにちがいない。  千坂が隊内で奥山を構えて敬遠した気配が推測できるのである。だがその奥山に犯行を目撃されたのは、皮肉な因縁であった。  千坂の妻朋子は、昭和四十一年三月病死し、現在の妻は、二年後に再婚した後妻である。  朋子の病死によって奥山との縁は切れた。いまや、千坂にとって奥山の存在は、自分の旧悪の弱みを握った邪魔者でしかなかったであろう。  だが、奥山との古い関係をつかんだものの、それが果たして千坂の攻め口につながるか。奥山が握ったという千坂の弱みは推測にすぎず、証明されていないのである。  千坂の住所は、現在東京と山形の二か所にあり、東京の住所は渋谷区|大山《おおやま》町二十×番地となっている。これは楊君里が死の直前タクシーに乗り込んだ都立大学《とりつだいがく》付近の目黒通りの地点からかなり離れている。  ここで棟居は楊君里がなぜ目黒区の一角へ行ったのかその点を再考する必要があることに気づいた。古館豊明が早々と浮上したためにそちらの方へ目が向いてしまったが、必ずしも古館一人にこだわる理由はないのである。  楊君里が訪ねて行った先の近くにたまたま古館の仕事部屋があったのかもしれない。細君の言葉であるが、楊君里が死んだ夜は、古館は午後四時ごろ帰宅していたことになっている。  棟居は、楊君里を乗せたタクシー運転手|帆足《ほたり》忠介を訪ねて行った。彼女を乗せた地点を再確認するためである。帆足はまだ勤務中で都内を流していたが、会社が無線で呼びかけてくれたので、車庫へ帰って来た。 「ああ、あの事件ね。よく憶えていますよ。まだ�犯人�は捕まらないのですか」帆足はチラリと嘲《あざ》けったような顔色を見せたが、地図をもってきて、 「ちょうどこのあたりです。都立大学から来る通りとの交叉点《こうさてん》から少し行った[#「行った」に傍点]歩道橋の袂《たもと》あたりに立っていたのです」  帆足は地図の一点を指さした。その指先を見つめた棟居は、はっと目を上げて、 「その客が立っていたのは、通りのどちら側でしたか」と聞いた。 「中根《なかね》側ですよ。目黒に向かって右側です」 「すると、あなたは都心から郊外へ向かって車を走らせていたのですか」 「そうです。都立大の交叉点を過ぎた地点で前の客を下ろして、Uターンする場所を探しながら来たところを停《と》められたのです。てっきり反対方向へ行くものとおもっていたのですが、行先を聞いて安心しました」  帆足の言葉を聞いて、棟居は盲点が視野に入った。楊君里が都心のホテルへ戻って来たので、当然その方向へ向かう車を拾うのに都合よい八雲《やくも》側(都心へ向かって左側)の歩道に立っていたという先入観をもっていたのである。だが地理に不案内な楊君里としては、どの方向が都心なのか、見当がつかなかったであろう。 「歩道橋の袂だといいましたな」  棟居は確認した。古館の仕事部屋は八雲側にある。 「そうです」 「八雲側から歩道橋を渡って来た可能性はありませんか」 「都心方向へ行くのにわざわざ反対方向へ向かう車を拾うために歩道橋を渡る客はいないでしょう」 「すると、彼女は中根側から来たと?」 「そうとしか考えられませんね」 「そのときあなたは反対側へ行けとは言わなかったのですね」 「銀座方面へ帰るつもりでしたからちょうど都合がよかったのです。変な方角へ引っ張られると困るなとおもいながら車を停めたのですが、一番町と聞いて安心しました」  棟居は、帆足の車に乗せてもらって、その足で�現場�へ行った。そろそろ同じ時間帯にかかるころである。都立大学付近の聞込みには他のチームが当たっていたので、ここへ来るのは初めてである。  しきりに恐縮する帆足に多少色をつけた料金を支払い、棟居は�現場�へ下り立った。  歩道橋をはさんで通りの北側が八雲、南側が中根になっている。通りから一歩入ると、住宅街である。マンション、アパートの間に「大正づくり」と呼ばれる和洋|折衷《せつちゆう》の家が混じる。豪邸と、小住宅、豪華マンションと、単室構成の昔ながらのアパートが共存している、東京の急速な膨張によって生じたアンバランスな地域である。  歩道橋の中根側の袂は邸宅の石塀や材木置場などがある。八雲側の袂には、七階建のマンションがあり、その一階はレストランになっている。人通りはほとんどなく、車だけが絶え間なく往来している。  棟居は現場に立って、楊君里が八雲側から歩道橋を渡って来たのではないことを確認した。土地不案内な彼女が、わざわざ反対方向へ流れる車を拾うために橋を渡るはずがない。彼女は訪問先から最寄《もより》の大通りを目指して、帆足の車を停めた地点へ出たのである。すると彼女は中根側のどこから来たのか。中根側は、八雲側に比べてマンション、アパート類が少ない。ほとんどの家は庭をめぐらし、庭樹の奥にすでに寝静まっている模様である。  棟居はその辺をあてずっぽうに歩き回った後、歩道橋を渡って八雲側へ行った。古館の仕事部屋は、橋から少し目黒方面へ行った目黒通りに面するビルの中にあると聞いている。一階がスーパーになっており、二階以上がマンションになっている三階の一室である。古館が死んでから、その仕事部屋も引きはらったはずである。  地上から見上げるマンションは、ほとんど灯を消していた。楊君里が古館を訪ねて来たとすれば、マンションの前で車を拾ったはずである。彼女は古館を訪ねて来たのではない。するといったいだれを訪ねたのか?  中根側には、最初にリストアップされた仙波信仰が住んでいる。楊君里が車に乗り込んだ地点から最も近い。だが終戦前に中国から帰国していることや、彼の�中国体験�が楊君里と関わり合わない点などから、対象からとうにはずされていた。 [#挿絵(img¥037.jpg)]  棟居は再度歩道橋を渡り直して中根側へ戻った。探し当てた仙波信仰の家は、目黒通りから少し入った所に狭いながら手入れの行き届いた庭に生け垣をめぐらし、いかにも住みよさげに住み古したこぢんまりした平家《ひらや》であった。灯はとうに消えており、家の中に住人の起きている気配はなかった。  冠木門《かぶきもん》風の内から奥を覗き込みながら棟居は、もし楊君里が古館や仙波を訪ねて来たのであれば、彼らは遠来の、しかも土地不案内の彼女を、車に乗せる所まで必ず送ったはずだとおもった。  だが帆足は、楊君里が車に乗るとき、一人だったと言っている。だからこそ帰る先と反対方向の歩道に立っていたのだ。あるいは彼女は訪ねる先を探し当てられなかったのではあるまいか。関係者の証言によれば、楊君里が「都内の知合い」を訪ねると言ってホテルを出たのは午後九時ごろであったそうである。そのまま知合いの家へ直行したとすれば三十分もみれば十分であろう。すると、九時半から一時間半もうろうろと探し回っていたのか。  あるいは、複数の知合いを訪ね回ったのか。仮にそうだとすれば、「目黒」以前に訪ねた知人がなんとか言ってきそうなものである。  やはり楊君里は「目黒の知合い」だけを目的に出かけて行ったと考えるのが無難である。  目的の知合いを探し当てられなかった落胆から毒を呷《あお》ったと推測するのも無理があるようである。  棟居は、寒い風に吹かれながら夜の更けた住宅街を歩き回った。棟居は歩き回りながら中根を中心に隣接する平町《たいらまち》、緑《みどり》が丘《おか》、自由《じゆう》が丘《おか》、八雲、柿《かき》の木坂《きざか》、また世田谷区の深沢《ふかざわ》地区の住人をしらみつぶしに当たってみようとおもった。その中に、731部隊に関係した者はいないか。  これは途方もない調査になりそうであった。兵籍は戸籍簿に記載されない。また焼却された兵籍は本人が申し立てないかぎりわからない。特に731のように極秘部隊とあっては、本人から申し立てるとはおもえない。  だが軍人軍属恩給の特典をすべての隊員が放棄したとも考えられない。帰国後、戦犯に問われるのを恐れて軍歴をひた隠しにしていた者も、終戦後時が経ち、石井部隊長はじめ幹部がどうやら戦犯を免れた気配に、軍歴を申し立てて軍人恩給の申請をした可能性はある。恩給を受けていれば、探し出す手がかりはある。最大の対象となる地域は中根の一丁目である。二丁目となると東横《とうよこ》線の東側になり、目黒通りから離れてしまう。目黒通りの北側はほとんど対象からはずしてよいだろう。目黒通りと東横線の間の中根地区となれば、限定される。  棟居のせっかくの着眼であったが、中根地区に731関係者は一人もいなかった。範囲を周縁に拡大してみたが、結果はむなしかった。731関係者は、古館豊明を除いては、その地域に一人も発見できなかったのである。  だが古館のように、本拠は別の場所にあり、この地域にオフィスやセカンドハウスをおいている者となると、調査の網の目を容易に潜り抜けられる。      3  棟居は、古館家を訪れた。楊君里の死後間もなく訪れたときと、葬儀と、これで三度目の訪問である。借りていた「レモン哀歌」を返すという口実があった。主を失った家は、暗い翳《かげ》がまつわっているように見える。流行作家として文壇ジャーナリズムの中心に位置していた「波肇《なみはじめ》」もいまは亡く、全盛時に建てたらしい家も、流行遅れとなった昔のトップモードを見るように、徒《いたず》らに過去の羽振りと現在の凋落《ちようらく》の落差のほどを見せつける役割しか果たしていない。  棟居は、応接間へ通された。屋内にかすかに線香のにおいが漂っている。棟居が返却が遅れた詫《わ》びを言いながら「智恵子抄」を差し出すと、未亡人はびっくりしたような表情になって、 「あら、捜査にお必要ならばいつまでもお手許に留めておいてよろしかったのに。どうせ私共には用のないものですから」 「いえ、大切なお形見ですから」 「悲しみをそそられるだけですので、主人の蔵書は全部図書館へ寄贈してしまいました」 「その悲しみを新たにさせて申しわけないのですが、初めてうかがったときの中国人女性の件につきましてもう一度お質《たず》ねしたいのです」 「まだあの事件は解決しないのですか」 「残念ながらまだ五里霧中です。ところで諸般の状況からどう考えてもご主人はその女性を知っておられたはずなのですが」 「遺品の本の中に主人の作品があったということでしたわね」 「楊君里、——その女性ですが、彼女はご主人の作品を見てご主人の消息を知り、連絡を取ったとおもわれるのです」 「それでしたら、仕事場の方へ連絡したかもわかりませんわ。出版社や文芸家リストには、仕事場のアドレスを出しておりますから」 「奥さんは、ご主人から楊君里という名前、または中国から戦時中の知合いが訪ねて来たというような話を聞いたことはありませんか」 「それは最初に申し上げましたわ。そのような名前は聞いたこともありません」 「そうでしたね。しかしもしかして、なにかの折に珍しい人間の消息に接したとか、偶然出会ったとかいう話が出たことはありませんか」 「主人は、無口であまり家族と口をきくこともありませんでしたから」  未亡人は露骨に迷惑の色を現わした。夫が死んだ後まで執拗《しつよう》にやって来て、身許も定かでない中国人女性との関係を詮索《せんさく》する棟居は、遺族の神経を逆撫《さかな》でするようなものであったであろう。ちょうどそのとき、玄関が開く気配がして若い女の声が「只今《ただいま》」と言った。 「ああ、ちょうど娘が帰って来ました。娘ならなにか知っているかもしれません。時々主人の仕事場へ寄っていたようでしたから」  未亡人がホッとしたような声を出した。棟居の詮索に気づまりになっていたようである。 「ほう、お嬢さんは、ご主人の仕事部屋へよく行かれたのですか」 「大学があの近くにありますものですから、ちさ子、ちょっとこちらへいらっしゃい」  母親に呼ばれた娘は、応接室の中へ入って来て、そこにすでに面識のある棟居を見出して目礼をした。明るく活発そうな現代娘であるが、父親を失って間もない悲嘆が一抹の陰翳《いんえい》を表情に落としているようであった。  母親が棟居の質問を代弁すると、彼女は真剣に記憶を探っているようであった。 「おまえ、なにか心当たりでもあるのかい」  その様子に母親が尋ねた。 「一度こんなことがあったのよ。学校の帰りに寄ると、お父さん珍しく紅茶を淹《い》れてくれて、レモンの|薄切り《スライス》を添えてくれたの」 「レモンを? お父さんはレモンが嫌いなはずじゃなかったの」 「だから私も珍しいことがあるものだなあとおもってそのわけを聞くと、お父さん、今日はとても珍しい人に会ったんだと、答えにならないような答えをするのよ。しきりに奇遇だなあと言ってたわ」 「その人の名前を言いませんでしたか」  棟居が割って入った。 「お父さん、おもいでに耽っていたようなのでそれ以上聞かなかったのです」 「それはいつごろのことですか」 「後期の期末テストが終ったときでしたから、二月の半ばごろでした」  二月の半ばでは、楊君里の来日以前である。 「お父さんはレモンティーを啜《すす》りながらしきりにおもいでに耽っているようだったので、私その珍しい人はレモンとなにか関係があるんじゃないかとおもったの」  ちさ子は、聡明《そうめい》そうな目をくるりとさせて棟居を見た。 「お父さんは、レモンから死体を連想するので、レモンティーを出すと、レモンだけ捨ててしまうとうかがいましたが」  棟居は、未亡人と娘を半々に見ながら言った。 「レモン哀歌から死を連想したんじゃないでしょうか。それが戦時中の体験にかぶさっていったのだとおもいます」 「しかしそのときは、レモンティーを喫《の》まれた」 「父は必ずしもレモンが嫌いだったわけではないとおもいます。父は作品の中にのめり込みます。父に『深夜の出棺』を書かせたヒントは、レモン哀歌の中のレモンだとおもいます。自分が作品の中でレモンと死体を結びつけておきながら、以後、レモンを見ると、死体を連想するようになったのでしょう。『深夜の出棺』を書く前は、そんなことを言いませんでしたわ」 「『深夜の出棺』のラストにある——生体を裂きしメスにて檸檬《レモン》割る——という句は、作品とどんな関係があるのでしょうか」 「レモンに死を象徴させ、生体解剖に使ったメスでレモンを割るという行為の中に、医者のやりきれなさを詠《よ》んだのではないでしょうか。父はよく作品の最後に、そのような象徴句をおきました」 「なるほど象徴句だったのですね」  たしかに死の床を彩るレモンを、生体解剖のメスと組み合わせた発想は、まさに俳句ならではの象徴化である。棟居も作品の象徴句ということがわからぬではなかったが、レモンに気を取られすぎた。  すると、古館が、珍しい人物との奇遇の後啜ったレモンティーは、「深夜の出棺」を書く以前のおもいでから発しているのか。  井崎夫婦と楊君里にとってのレモンは我が子の形見であった。その由来を嬰児すり替えの現場にいた古館は知っていたはずである。一組の夫婦と一人の母親にとって失われた我が子の象徴となったレモンを、生体解剖(おそらく他の少年隊員から伝聞したのであろう)に材を得た作品の象徴句の中に嵌《は》め込んだのは古館の作家としての創造力である。  古館が「奇遇」の後啜ったレモンティーは、「深夜の出棺」と切り離して考えるべきである。  いや切り離さなくともよい。古館が作品の中で死体と結びつけたレモンを、作品以前の本来の由来の位置に戻せばよいのである。「本来の由来」、それはちさ子がいみじくも言い当てたように、レモンと関係のある人物を奇遇の相手に据えればよいのである。  楊君里はまだ来日していないから、残るは井崎夫婦か、——「智恵子」ということになる。しかし、嬰児のころに別れた智恵子を三十六年後に突然再会して見分けられるか。古館の奇遇の相手は井崎夫婦だったのか。棟居は一片のレモンのスライスから思案の糸を手繰った。  古館が井崎夫婦に出遇ったとすれば、彼らはなぜその辺りに来たのであろうか。住んでいたのであればもっと早く出遇っていたはずである。棟居はまだ確かめていなかったことがあったのをおもいだした。 「ご主人が、仕事部屋をもたれたのは、いつごろからですか」 「そうですね、もう四、五年になりますかしら。自宅の書斎が本で手狭になったのと、そのころ作家の間に自宅とは別の場所に仕事場を構えるのが流行《はや》っておりまして、なんとなく真似をしたみたいですわ。男には独りの空間が必要なのだなどと言ってましたけど、家族から離れた所で自由に振舞いたかったのでしょう」 「目黒区のあの地を選んだのには、なにか理由があったのですか」 「もともとあの近くに以前の家があったのですが、立て込んできましたので、この地に移って来たのです」  本来、目黒の地に住んでいたのであれば、その再会の日に井崎夫婦は別の土地からそこへ来たのであろう。彼らは何をしに来たのか。偶然通りかかっただけなのか。  ここにおいて楊君里の訪問が意味をもってくる。彼女は中国に紹介された古館の作品によって彼の居所を知り、来日した機会にある人物の消息を尋ねる。古館からそれを聞いた楊君里は五月三十日の夜、その人物を訪ねて来た。古館は楊君里が会いたがっていた人物の居所を知っていたのである。  楊君里が日本で会いたい人物はただ一人である。それは、特設監獄で、その生命を救うために井崎夫婦に託した我が子である。嬰児の頬《ほお》に落とした涙はとうに乾き、子はすでに三十六歳になっているはずであるが、楊君里の心の中では依然として自分の乳房に懸命にぶら下がっていたおさな子なのである。  会いたい。ただ一目でよいから会いたいと老いた母は、戦争によって引き裂かれた子の消息を追って中国から訪ねて来た。  古館は、楊君里から「智恵子」の消息を尋ねられたとき、答えられる位置にいた。それを可能にしたのが、二月下旬の「奇遇」ではなかったか。そして楊君里と「智恵子」は再会した? 再会して何があったのか?  推理の糸を手繰るほどに、棟居の想像は刺戟《しげき》をうけた。 「智恵子」は、やはり古館の仕事部屋の近くに住んでいるにちがいない。そうだ、目黒区中根を中心とする一帯に「智恵子」を探せばよい。限られた地域であるから、そう多数の智恵子がいるとはおもえない。  棟居は、自分の思考の煮つめたものに確信をもった。  棟居の意気ごみにもかかわらず、「智恵子」を発見できなかった。中根およびその周辺に十六名の智恵子がいたが、戸籍を当たっていずれも無関係と判明した。井崎良忠もいなかった。古館にとって「珍しい人」でレモンに因《ちな》む「智恵子」と井崎以外の人間となるとはたしてだれがいるか。  そうだ。もう一人残っていた。嬰児すり替えを実行した藪下である。彼は、井崎の死児にレモンを付けて楊君里に運んだ当の人物であり、奥山謹二郎の娘の婚約者であった。レモンには最も謂《いわれ》のある人物と言えよう。  だが藪下と古館の間には戦後連絡はないし、藪下は古館の仕事部屋とはまったく方角ちがいの場所に住んでいる。なにかの用事があって彼が古館の仕事部屋の近くに来たということは考えられる。だが藪下は楊君里の来日を知らなかったし、彼女となんの連絡もなかったと言っている。  古館の奇遇の相手が藪下であれば、そのとき両者はたがいの住所を教え合い、楊君里は古館を経由して藪下を訪ねたはずである。また楊君里が藪下を訪ねたとすれば、彼はその事実を隠す必要はなさそうである。  藪下は、これまで小刻みに情報を出している。まだなにか知っていることがあるかもしれない。  だがこの件に関して藪下に確かめたところ、二月に限らず、目黒区中根方面に行ったことはなく、戦後古館豊明に会ったことは一度もないときっぱりと言いきった。嘘《うそ》をついているようにも見えないし、また嘘をつく必要性もとりあえずなさそうである。  楊君里は死の直前なぜ目黒区の一角へ行ったのか。その謎は依然として解けないまま、すべての手がかりは絶えたかに見えた。 [#改ページ]  悪魔の慰謝料      1  疲労感で重くなった心身を引きずるようにして藪下病院を辞去しかけたとき、ちょうど事務室の中にいた五十年輩の男とふと目が合った。  先方は慌てて目を逸《そ》らせたが、棟居の脳裡《のうり》に引っかかったものがあった。たしか初対面のとき事務長の「寺尾」と名乗っていた。藪下を初めて訪ねて来たとき、寺尾が応対したのであるが、藪下と奥山が戦時中大陸で特別な関係があったのではないかとはったりをきかせると、寺尾は明らかに動揺の色を見せた。ということは、彼が藪下の経歴を知っていた事実を示すものではないだろうか。  藪下は、戦後731での経歴をひた隠し、同部隊との関連をいっさい断ち切って暮らしてきたのではないのか。それにもかかわらず、寺尾が反応を見せたということは、何を意味するのか。  棟居の頭は目まぐるしく回転した。棟居はいったん帰りかけた踵《きびす》をめぐらして、寺尾の方に視線を向けた。寺尾は明らかに動揺している。その動揺を意志的に抑えつけようとしているものだから、態度がぎこちなくなっていた。 「寺尾さん、ちょっとお話ししたいことがあるのですが」  奥の部屋へ逃げかけた寺尾に棟居は、受付の窓越しに声をかけた。寺尾は仕方なさそうに棟居の方へ頭をめぐらして、 「何でしょう。ちょっといまたてこんでいるのですが」と迷惑顔を露骨に見せた。  病院は繁盛しており、今日も待合室には患者が溢《あふ》れている。 「お手間は取らせません」  棟居は強引に押した。患者の目がこちらに集まってきた。寺尾は渋々といった体で事務室の一角にある小部屋へ誘った。ここならば一応、患者の好奇の視線は遮断できる。 「私にお話とは何でございますか」  寺尾はやや身構えて言った。 「率直にお質ねします。あなたは731部隊にご関係があるのでしょう」  いきなり核心に斬《き》り込まれて、寺尾の構えが崩れかけた。 「731とはなんのことか、私にはわかりませんが」  必死にとぼけようとしたが、顔色が裏切っている。 「あなたも元隊員だったのではありませんか」 「なにか勘ちがいなさっておられるのでは……」 「院長を初めて訪ねて来たとき、あなたは、�大陸�という言葉に反応された。それはあなたが院長の経歴を知っており、あなた自身、大陸の体験がおありになったからではありませんか」 「一向になんのことやら」 「寺尾さん、あなたはもしかして、731部隊で首を絞《し》められて殺された寺尾某女の身寄りの方ではありませんか」  やや立ち直りかけていた寺尾は、棟居が浴びせたこの一打で完全に崩れた。 「ど、どうしてそのことを!?」  喘《あえ》ぐように反問した寺尾は、すでに棟居の質問を裏書していた。 「同じ姓から推測しただけです」 「しかし、姉は絞め殺されたのではありません。病死したのです」 「ほう、あなたのお姉さんだったのですか」 「ご指摘の通り、私は731少年隊員の二期生でした。姉は私より一年前に女子軍属として731に勤務しておりました。私はその縁で731の少年隊員になったのですが、姉は病死したのです」 「あなた、それを信じているのですか」 「…………」 「私が調べたところによると、お姉さんの遺体には首を絞められた痕《あと》が残っていたそうです。しかも彼女は妊娠三か月だったそうですよ」 「ほ、本当ですか!」  寺尾の表情が愕然とした。 「遺体を解剖した当時の技手《ぎて》から私が直接聞いたのです。あなたはお姉さんが病死だとおっしゃいましたが、死因はどういうことになっていたのですか」 「心臓|麻痺《まひ》です」 「お姉さんは心臓が弱かったのですか」 「いいえ、郷里の学校ではクラス対抗マラソンでいつも上位でしたし、731の運動会でもいろいろな種目に出て、賞品を独り占めにしていました」 「そのお姉さんが急性心臓麻痺を起こした。だいたい心臓麻痺というものは原因不明の急性心臓死の俗称です。あなたはお姉さんの突然の心臓麻痺にまったく疑問をもたなかったのですか」 「疑問をもったところでどうしようもないでしょう。心臓麻痺で死んだんだと言われれば、そうと受け取るしか仕方がないのです」 「それではあなたの心の中に疑惑はあったわけですね」 「疑いはありました。あんな丈夫な姉が心臓麻痺なんかで死ぬはずがない。でも殺されたとはおもいませんでしたね」 「それはまたどうして?」 「姉が死ぬ十日ほど前の休日にちょっと会ったことがあるのです。そのときいつになく元気がないように感じたのでどうしたのかと聞くと、生きているのがいやになったと言ったのです。私は姉がホームシックにでもかかったのかとおもっていろいろと励ましてやったのですが、そういうことがあったので自殺かとおもったのです」 「自分の首を自分で絞めて自殺はできません。たいてい途中で手が緩んでしまうのです。上層部ではそんな不祥事が公になると、それぞれが脛《すね》に傷をもっていたので、もみ消してしまったのです」 「しかし、いまさら姉が殺されたとわかっても、どうしようもありませんよ。もうとうに時効です」 「せめて、だれがなぜ殺したのか知りたいとはおもいませんか」 「おもいませんねえ。遠い昔のことです。そんな昔のことを掘り出したところでなんの利益もありません」  肉親を失った悲嘆はとうに風化して、世俗の垢《あか》にまみれたこの中年男になんの感傷も揺り動かさないようであった。 「隊員が死亡した場合、火葬場で丁重に荼毘《だび》に付したのにお姉さんの遺体に限り、マルタと同じ焼却炉で焼いてしまったそうです。遺体の検視をされたり、骨上げのとき胎児の存在が判明したりするとまずいとおもったのでしょう。当時隊内の風紀は乱れて、幹部が女子軍属に手をつけたり、隊員の妻が若い隊員と通じたりしていたそうですね」 「止めてください。いまさらそんなことを蒸し返してもどうにもならないでしょう」  寺尾は顔を背けた。 「それではもう一つだけ聞かせてください。あなたはどうしてこちらにおられるのですか。院長は戦後731とはいっさいの縁を切ったとおっしゃってましたが」 「731の経歴がバレると戦犯に問われると言われたのを真にうけて、復員後郷里に隠れていたのですが、院長先生が731時代私に特に目をかけてくれまして、解散時に将来上京するような機会があったら訪ねて来なさいとおっしゃって住所を教えてくれたのです」 「それではいつごろからこちらへ」 「四年ほど郷里にいましたが、生活も詰まってしまい、どうにもならなくなったので、院長先生を頼って出て来てからずっとこちらにお世話になっています」 「上京するまではなにをされていましたか」 「百姓の手伝いです。と言っても猫の額のような山間の土地を耕して小豆《あずき》や高原野菜をつくるくらいが関の山です」 「その間生活は、農業で……」 「とんでもない。過疎の山奥でいくら百姓をやったところで自給自足もできません。731からずっと月給が出ていたのです」 「月給? 戦後もですか」 「そうです。四年ほど毎月七十円から千円くらいまで物価にスライドして送られてきました」 「それはどんな形で?」 「郵送でした」 「それは731全隊員に送られてきたのですか」  これまで棟居が訪ね回った元隊員たちの間からは戦後も月給が出たという話は聞いたことがない。 「一部の生活に困っている隊員だけだと聞きました」 「帰国直後はほとんど全隊員が生活に困ったのではないのですか」 「特に困っていた者に対してでしょう」 「それで月給は突然打ち切られたのですか」 「使者が来て、今月で打ち切りにすると通達されたのです」 「使者と言いますと?」 「元隊員です。隊員相互の連絡が禁じられていたので、上から下への連絡網があって、一方的な連絡がきました」 「その使者の名は憶えていますか」 「ええ、篠崎《しのざき》という主計中尉でした」 「篠崎中尉の住所はわかりますか」 「わかりません。一方的な連絡網ですから、こちらからは連絡できないようになっていました」 「篠崎中尉はよく来たのですか」 「三、四か月に一度様子を見に来ました。生活の具合を見て、月給を出していたようです。こちらも月給を打ち切られたくないものだから、そろそろ篠崎さんが来るころになると精々貧乏たらしくしていたものです」 「篠崎中尉とはどんな話をしたのですか」 「警察やMPが来ないかと聞いたり、731の経歴は絶対に漏らすんじゃないよと確かめたりしました。だいたいいつも同じ話題でした。そうそういよいよ打ち切りというとき、これは一種の口留料だと言ってましたよ」 「口留料? 何の口留料ですか」 「もちろん731の秘密でしょう」 「それだったら全隊員に払うはずでしょう」 「そう言えばそうですね」  寺尾は初めて疑問が湧《わ》いたようであった。 「篠崎中尉と岡本班にいた千坂義典という技師となにかつながりはありませんか」 「千坂?」 「民友党の現幹事長です」 「千坂義典がどうかしたのですか」 「千坂が731にいたことはご存知でしょう」 「知ってます。当時からバリバリの技師で隊内を肩で風を切って歩いていました」 「その千坂がお姉さんの胎児の父親で、彼女を殺した重要容疑者なのです」 「ま、まさか!」 「本当です。お姉さんは、亡くなる二か月くらい前に千坂の官舎に手伝いに行っているのです。単身赴任の技師の官舎に女子軍属が時々身の回りの世話に行っていたそうではありませんか」 「そう言えば、そんなことがあったようです。しかし、だからといって千坂を犯人とは決めつけられないでしょう」 「千坂はそれから間もなく逃げるように帰国してしまいました。それだけではありません」  棟居は、奥山や馴鹿沢、また楊君里の嬰児すり替えと千坂の関わりを話した。寺尾はだいぶ関心が盛り上がったようであるが、まだ半信半疑の態である。 「寺尾さん、その月給は、千坂から出ていたとは考えられませんか」 「千坂から! それはまたなぜ?」  寺尾の声が驚いた。 「だから口留料ですよ。いやもしかすると、慰謝料と言うべきかな。千坂はお姉さんを殺したことで気が咎《とが》めていた。そこでまあ慰謝料のようなつもりであなたに月給を払った。また千坂のほうではあなたがうすうす疑っているとおもったのかもしれない。千坂としてはあなたの帰国後の動向に無関心になれなかった。そこで慰謝料を支払うと同時に腹心の篠崎を派遣して、あなたの動静を監視させていた——と考えられませんか」  寺尾はしばらく押し黙って棟居の言葉の意味を考量しているようであったが、 「さすがは刑事さんですね、凄い推理だ。しかし考えすぎじゃありませんか。私は千坂を全然疑っていなかったんだから」 「先方はそうは考えなかったのでしょう。お姉さんは殺されたのかもしれないという噂は隊内の一部にはあったのです」      2  寺尾事務長が寺尾某女——寺尾春美当時二十一歳の弟と判明したが、これが楊君里にどのように関わっていくかいまの時点では予測がつかない。寺尾の帰国後四年間にわたって支払われた月給が、731の遺産に基づいていることは推測できても、実態は不明である。棟居は千坂義典の金脈を731の�遺産�と結びつけて考えたが、臆測の域を出ない。  だが寺尾の月給と、奥山に支払われていた�終生口留金�が同一ルートであれば、その交点に犯人が潜んでいるかもしれない。  これまで接触した元隊員に、�月給�について問い合わせたところ、経理課にいた井上泰一から、 「自分はもらったことはないが、ごく一部の隊員に対して戦後二十年十一月から二十五年六月の朝鮮戦争勃発直前までの四年六か月、一年に三百円から二千円ほどの金が定期的に送られてきたという話が伝えられています。どういう基準で、隊員に金が支払われたのかわかりませんが、篠崎という元731の主計中尉が使者として全国の隊員の間を回りながら、金を配り、731の秘密厳守を確認していたそうです。731の秘密の核心にいた隊員たちを網羅して口留めをしていたのではないでしょうか」 「ただいま篠崎とおっしゃいましたか」 「たしかそのように聞いております」  それは寺尾から聞いた使者の名前と一致している。 「篠崎の消息はわからないでしょうか」 「私は直接知らないのです」  ここでも篠崎を手繰る糸は切れた。      3 「731の遺産をいまさら追ってみても、事件にはつながらないんじゃないかな」  棟居の報告を聞いた那須が、金壺眼《かなつぼまなこ》を光らせて言った。 「直接にはつながらないとおもうのですが、私は寺尾に戦後手当金が支払われていたという事実に引っかかるのです」 「他の隊員にも支払われていたんだろう」 「私が調べたところ、少年隊員でもらっていたのは彼一人です。しかも寺尾は二期生です。二期生となると、元731隊員と言ってもだいぶ関わりがうすくなります。房友会もだいたい第一期生が中心となっています。一期生が一人ももらっていないのに、なぜ彼一人が手当をもらったのか」 「きみは犯人の�慰謝料�だとおもうのかね」 「そのように解釈してもおかしくないとおもいますが」 「仮にだな、手当金の出所を突き止めたとしても、犯人の決め手にはなるまい」 「出所が千坂であれば、一つの傍証にはなるとおもいます。それが、奥山の定期収入の源と重なれば、ますますにおってきます。いまのところ傍証を一つずつ積み重ねていくしかありません」 「とにかく相手は民友党幹事長だ。くれぐれも慎重にな」  だが731の遺産を追いたくとも、唯一の糸口と見られる、使者篠崎の消息は杳《よう》としてつかめない。棟居は進むほどに、731をめぐる霧が濃くなるように感じた。      4  三日後の夕方捜査本部に上がって来た棟居|宛《あて》に電話がかかってきた。 「藪下病院の寺尾です」と名乗った相手に、棟居は彼がなにか情報提供《タレコミ》をしてきたのを予感した。 「刑事さん、先日の私の姉が殺されたという話は、本当ですか」  寺尾は電話口で声を潜めるようにして聞いた。 「警察が嘘は言いませんよ」 「実は先日は黙っていたのですが、篠崎氏の消息を知っています」 「篠崎……を知っている」  棟居はおもわず身体を電話の方へ乗り出した。 「初めはいまさら三十何年も昔の事件を穿っても仕方がないとおもったのですが、事実姉が殺されたのであれば可哀想だとおもいます。たとえ時効になっていても犯人を突き止めてもらいたいと考え直したのです」 「それで篠崎はどこにいるのですか」 「多磨霊園前《たまれいえんまえ》で『千代田《ちよだ》』という料理屋を経営しています」 「多磨霊園前!」 「何年か前にそこで房友会の集まりが開かれたとき、私も出席して知ったのです」 「多磨霊園と言えば、731部隊の犠牲者の霊を慰めるために精魂塔を建立《こんりゆう》したと聞きましたが……」  それは神谷勝文から聞いたことであった。 「そうです。昭和三十年夏に731の上の方の者が集まり、精魂塔を建立し、それがきっかけとなって精魂会が結成されました。これに刺戟をうけて少年隊員が集まり、房友会ができたのです。『千代田』は、精魂会のアジトになっています」 「篠崎はそこの経営者におさまっているのですね」 「精魂会の事務所にもなっているはずです」 「有難う。よく教えてくださいました」 「どうか私から聞いたということは黙っていてください」  寺尾は何度も念を押して電話を切った。 「千代田」とは、石井四郎の出身地である千葉県|山武《さんぶ》郡千代田村(現在の芝山《しばやま》町)に因んだ店名であろう。まさにそれは731の戦後のアジトにふさわしい立地条件である。毎年八月に精魂会会員が集まり慰霊祭を開くと神谷から聞いたが、その都度「千代田」が�基地�になっているのであろう。  篠崎の消息はわかったものの、はたして彼が口を開いてくれるかどうか心許《こころもと》ない。だがここで�援軍�が現われた。  園池に話したところ、また同行すると申し出てくれたのである。刑事がいきなり訪ねて行っても警戒されるだけだが、元隊員がいっしょに行けば、口も解《ほぐ》れるかもしれないと園池は言った。 [#改ページ]  正義なき鎮圧      1  京王《けいおう》線|多磨霊園《たまれいえん》駅の改札口を出ると、駅前にクリーム色のバスが待っていた。バス停にバスの路線を示す大きな標識が立っている。多磨霊園で保《も》っている駅らしく、霊園行の順路と料金が一目で法要客にわかるように考慮され、バス会社の手なれたサービスが感じられる。  バスに乗り込むと、ほぼ座席は満員である。一つあった空席にとにかく園池を腰掛けさせて、棟居は立っていた。喪服姿の乗客がほとんどである。死者や法要に師走《しわす》は関係ないのであろう。  乗客の中に、膝《ひざ》の上に小さな菊の花束を置いている三十代と見える婦人がいた。小柄な身体に白のブラウスと黒いスーツをまとい、手に黒いレースの手袋をはめていた。  伏目がちの目は切れ長で、鼻と唇の形がよい。うつむけた首筋の白さが喪服と対照的に浮き上がって見える。彼女は熱心になにか読んでいた。  棟居は興味を惹《ひ》かれて、そっと近寄り、立った位置からそれとなくうかがうと、彼女が読んでいるものは新聞の切り抜きで、「孤独に耐えて、明るく強く……」という見出しの文字が読み取れた。  棟居は、ハッと胸を衝《つ》かれた。彼女は、他の乗客の存在などまったく意識にないかのように、切り抜きを読み耽《ふけ》っている。同じ文章を何度も繰り返し読んでいるようである。その切り抜きを読み返すことによって夫を失った悲しさに必死に耐えているようであった。  きちんと揃《そろ》えられた喪服の膝の上の花束がかすかに震えている。ラベンダーの香りが、棟居の鼻腔《びこう》に漂ってきた。騒がしい車内で、彼女の身辺だけが、悲しみのカプセルによって隔てられているようであった。  棟居のおもわくをよそに、バスは十五分ほど走って「霊園正門前」に着いた。乗客が一斉に下りる。バスから下り立った所は表参道で、その両側には桜並木が落ち残った黄や茶褐色の枯葉をこびりつかせている。落ち葉の香りが漂ってきた。  表参道の両側は石材店や仏具店が軒を連ねている。すぐ北方に霊園の正門があり、樹木の繁みが広大な森林のように重なり合っている。  バスを下りたとたんに冷気が身に沁《し》みた。空気は湿り気を帯び、落ち葉の香ばしい香りの底に線香の匂《にお》いが這《は》い寄る。  下車した乗客は、一様に霊園の方へ向かう。彼らとは反対の方角へ正門に背を向けた形で人見街道《ひとみかいどう》との交叉点《こうさてん》まで引き返し、左折し、次の交叉点をさらに左折したところに目指す「千代田」があった。  二階建の和風の建物であるが、一階はテーブルと椅子《いす》が配されたレストランとなっており、二階に座敷があるらしい。店内にも客の姿はない。二人が入って行くと、手持無沙汰《てもちぶさた》に週刊誌を繰っていた中年の女がいらっしゃいと言った。寄せ鍋、幕の内、天重、牛シャブ、天ぷら定食などのメニューが壁に書かれている。  園池が、731関係の者だが、ご主人はご在宅かと問うと、女は「ああ、おじいちゃんですか」と心得顔にうなずいて、奥の方へ向かって、「おじいちゃん、会員の方がお見えですよ」と声をかけた。どうやら元隊員がよく訪ねて来ている模様である。  奥の方に返事があって、胡麻塩《ごましお》頭の老人が顔を覗《のぞ》かせた。背はあまり高くないが、がっちりとした体格をしている。頭は鉢が出ており、目が窪《くぼ》んでいるので、一見|鉄兜《てつかぶと》をかぶっているようである。眼窩《がんか》の底の眼光が柔和なので、棟居はやや安心した。  二人の老人は、名乗り合う前に、顔を見合わせると同時に顕著な反応を現わした。 「ああ、あなたは!」 「マルタの反乱のとき……!」  二人はほとんど同時に声を発して、歩み寄ると手を握り合った。どうやら既知の間柄であったようである。 「あなたがこちらで千代田を経営しておられるとは知りませんでしたな」 「あれから三十六年になります。精魂会や房友の集まりにもお見えにならないので、どうされておるかとおもっていたのですよ」  二人は棟居の存在をまったく忘れたように三十六年ぶりの再会を喜び合っていた。 「まあとにかくお上がりください」  篠崎は二人を二階の小部屋の一つに上げた。廊下に面して数部屋あり、人数に応じて境の襖《ふすま》を取りはらって大広間に転用できる造りになっているらしい。 「とにかく一別《いちべつ》以来だ。今日は店も閑《ひま》だしゆっくりしてってください」  篠崎が酒肴《しゆこう》の用意をさせるためにちょっと中座した隙《すき》に、棟居が、 「お知り合いだったのですか」と問うと、 「奇遇です。731時代にマルタが反乱を起こしたときにいっしょにその鎮圧に当たったのです。所属がべつだったのでそのまま別れてしまいましたが、あのときの�戦友�があなたの探していた篠崎氏だとは知らなかった」  園池自身が驚いている。 「マルタの反乱とは何のことですか」  棟居がさらに質《たず》ねたとき、篠崎が先刻の女に料理と酒を運ばせて戻って来た。女は店の内儀《おかみ》で、篠崎の息子の嫁であった。 「どうぞおかまいなく」  二人が恐縮するのを、篠崎は、柔和な目をますます細めて、盃《さかずき》を勧めた。棟居は素姓を名乗り損ってしまった。篠崎は棟居を園池の身内とおもっているらしい。棟居はしばらくは相手のおもい込みのままにさせることにした。  酒が入ると、二人の老人はますます懐旧の世界に浸《ひた》り込んだ。園池は訪問の本来の目的を完全に忘れてしまったようである。  考えてみれば二人とも�隠居�の身分である。園池は停年退職し、篠崎も店の経営を子供に譲っているらしい。731の後の人生が余生であったとすれば、いまは人生の�付録�のようなものである。  いまにして棟居は園池の魂胆が読めた。園池は戦後かまえて731から遠ざかった。だが身は老境に入り、余生いくばくもなくなってみると、懐しまれるのは昔日のことである。731の体験が激烈であっただけに、その共有者に会いたくなった。それは一種の�共犯者�とも言える。  共犯者の連帯は、強い。同時に共犯者の存在は安全と平穏を脅かす。昔の仲間には会いたいが会うのは恐《こわ》い。  そこで棟居の案内役を買った形で、実は彼を護衛役に従えて、過去を訪ねていたのである。  二人の間に棟居の存在などまるで眼中にないかのようにおもいで話が弾んでいる。棟居はさりげなく彼らの話に耳を傾けながら割り込む機会をじっと待っていた。そのうちに棟居は、彼らが懐旧の世界に浸り切っているように見えながら、731でのおぞましい記憶を巧妙に避けていることに気がついた。やはり彼らは共犯者であった。どんなに懐旧の情にのめり込もうとしてものめり込めない、共有体験の中核を忌避しなければならない。そこに共有した731の過去の特殊性があるのだ。 「ところで篠崎さん、あなたはいつからここへ店を開いたのです」  おもいで話が一段落したところで園池が質ねた。 「昭和三十一年の春からです。精魂塔が建立されたのをきっかけに、私がその墓守りをしてやろうとおもい立ちましてね。ちょうどこの土地が売りに出ていたので、おもいきって買いました」  その資金はどこから出たのかと質ねようとして棟居は抑えた。いまここで警戒させるとせっかくいいムードになっている相手の口を閉ざしてしまう。 「死んだ隊員たちも喜んでいるでしょう」 「精魂塔に祀《まつ》られているのは、隊員たちだけではありません。731の犠牲者すべてです」 「するとマルタも……」 「碑身にはなんの碑文も彫られておりませんが、二度と戦争はごめんだ、731の悲劇を繰り返してはならないという願いをこめて、731の犠牲者すべての霊を祀ったと、私はそのように解釈しております」 「731の元隊員のおもいはみな同じだとおもいますが、篠崎さんお一人が�墓守り�を買って出られたについては強烈な動機があったとおもうのですが」  棟居はようやく口をはさむ機会を得た。篠崎は言葉に詰まり、当惑の色をあらわに浮かべた。棟居は、その動機が、先刻口から漏れた「マルタの反乱」と無関係ではないとおもった。そしてそれが二人の老人が避け合っている話題であろう。 「棟居さん」  園池が棟居に目くばせした。それは聞くなと彼の目が言っている。 「あなたは園池さんからなにも聞いていないのですか」  篠崎が棟居に目を向けた。詮索《せんさく》の目ではなく、意外そうな表情である。 「いいえ」 「話しても仕方のないことですからな」  園池が口を添えた。 「いや、そんなことはありますまい。あなたのような若い方にこそ、我々の戦争体験を語っておくべきかもしれんな」  篠崎は語尾を独り言のように言って、 「今日はいい機会だからマルタの反乱について話しましょう。私はいまでも目を瞑《つむ》ると、私が射殺したロシア人マルタの顔がはっきりと瞼《まぶた》の裏に浮かぶのです。あの叫び声が耳に聞こえるのです」  と目を遠方に泳がせた。その柔和な目の奥に彼だけに見える地獄があるのだろう。 「私の記憶に誤りがあったら訂正してください。事件が起きたのは」——昭和二十年六月上旬の朝だった。  その正確な日時は不明である。      2  午前八時三十分、731構内各部ごとの点呼朝礼の後、二千数百名の隊員はそれぞれの持場に散り仕事に取りかかって間もなくであった。  特設監獄七棟二階の棟末の独房で一人のロシア人マルタが身体の不調を訴えた。その独房には二人のロシア人が収容されており、一方のマルタが|同室の《ルーム》仲間《メイト》の様子がおかしいと看守を呼んだのである。  看守はマルタの身体の具合に神経質になっている。すべてのマルタは生体実験の材料であり、正確なデータを採集するために異常はすべて記録されなければならないからである。  あとから考えればこのマルタの異常の訴えはおかしかった。彼にはまだなんの生体実験も施されていなかったのである。だが、健康で完全な検体を常時確保しておくことを重要任務とされている看守は、なんの疑惑ももたずに独房の中へ入った。  独房の床の上にはマルタが呻《うめ》き声をあげながら苦悶《くもん》していた。それをもう一人のマルタがおろおろしながら介抱している。 「どうしたんだ」と日本語で声をかけながら、看守は独房の鉄扉を解錠し、身体を中へ入れた。床で呻吟《しんぎん》しているマルタの様子を確かめるために屈《かが》み込んだとき、看守の耳許にブンと風を切る音がして眉間《みけん》に鎖が振り下ろされた。マルタはいつの間にか手錠の鎖をはずしていたのである。看守は一瞬視野に火花が散り、くらくらとした。床に倒れていたマルタがはね起きて、看守の手にしたキイを奪った。それは全房室の錠前に適合するマスターキイであった。二日に三体という猛烈なペースでマルタを消費し、補充する特設監獄ではマルタの出し入れを能率的にするために頑丈な錠前にもかかわらず一本のキイですべての錠を解けるような「同一キイ装置」にしていたのである。  一瞬空白になりかけた意識を奮って看守は独房の外へ逃れ出た。  マルタを収容する特設監獄は七棟、八棟と呼ばれて、ロ号棟中央通路をはさんで左右対称の構造になっている。一棟、二十余の独房と集団房によって構成される二階建鉄筋コンクリート造の独立建物である。 [#挿絵(img¥077.jpg)]  独房は原則として二名、七棟には男マルタ、八棟には女マルタを収容することになっているが、男のほうが多いので、八棟の方へはみ出している。マルタの数が収容力よりも増えると、特別処置室に古いマルタを連れ込んで�間引《まび》�いた。  独房は厚さ四十センチの頑丈な隔壁と、鋼鉄のドアによって仕切られ、房室の前後を広い廊下が走っている。廊下にはガラス窓が穿《うが》たれ、その外側に鉄格子がはめ込まれていた。廊下の、ロ号棟中央通路に向かった突き当たりには厚い鉄扉があり、それを通り抜けると、階段を伝い下りて中庭へ出られるが、それはどこにも出口のない二階建のロ号棟によって囲まれていた。マルタの脱出に備えてロ号棟の壁は高く、中庭に面する一階に窓はなく、二階の窓は上方に開口している。マルタが脱出するためには、独房の鉄扉、廊下末端と階段との境の鉄扉、ロ号棟と、実に三重の牆壁《しようへき》を突破しなければならなかった。仮にそれを突破したとしても、ロ号棟自体が高圧電流の走る高い土塀と鉄条網の囲繞《いによう》の中にあった。  まことにマルタを囲む環境は絶望そのものであった。  よろめきながら独房から表廊下へ逃げ出た看守は、棟末まで走り、鉄扉を潜り抜け、外から錠を下ろした。  この扉さえ閉めれば、マルタは各房室から廊下までは出て来られるだろうが、七棟から外へは出られない。ひとまず安堵《あんど》の吐息を漏らした看守は、マルタから手鎖で殴りつけられた眉間に猛烈な痛みを覚えた。痛みに耐えながら看守は異変の発生を知らせる非常ベルのスイッチを押した。 [#挿絵(img¥079.jpg)]  特別班室は蜂《はち》の巣を突いたような騒ぎになった。マルタにマスターキイを奪われたとは731部隊始まって以来の大事件である。当の看守から手短に状況を聞いた当日の特別班長は、マルタが七棟の中に閉じこめられていることを知り、軽い目眩《めまい》に似た安堵を覚えた。  だが各房に分散監禁されていたマルタたちがマスターキイによって合流し、集団のパワーを振った場合、どんな深刻な事態に発展するやもしれない。そのとき七棟には約三十人のマルタがいた。  彼らに対するに詰めている特別班員だけでは手薄である。ひとまずの押えに武装特別班員に中庭を固めさせる一方、731各部署に暴動の発生を伝え増援が求められた。  朝の平常勤務に就いたばかりの731部隊は騒然となった。  このころ第七棟ではマスターキイを奪ったロシア人マルタ、元ソ連軍兵士ウラノフが、各房室を駆け回り鉄扉を開放してマルタたちに「外へ出ろ、脱出のチャンスがきた」と呼びかけていた。進路は死以外になかったマルタにとって、最初の関門が開放されただけでも眩《まばゆ》いばかりの光明に映じた。マルタは歓声をあげて廊下へなだれ出た。 「七棟においてマルタの暴動発生、マルタは現在七棟内の全房室を開放して合流し、気勢を上げている。階段口の鉄扉によって、ひとまず七棟内に閉じこめているが、状況は予測できない。完全武装の上、特別班まで至急来援を乞《こ》う」  特別班から連絡をうけた731部隊各部署、憲兵室、総務部調査課印刷班、写真班などには、相撲《すもう》部や野球部の屈強の者が揃っていた。暗室から隊員が飛び出して来た。印刷機の回転が止まった。六月の初めである。内地では梅雨《つゆ》の季節であるが、北満の空は晴れ上がり汗ばむほどの気候であった。隊員のほとんどが上衣《うわぎ》を除《と》り、スリッパ姿で働いていた。  緊急出動命令をうけた隊員は急ぎ軍属服に身を固め、兵器庫で三八式歩兵銃を受け取り、中央通路を走って特別班詰所へ続々と集まって来た。そこで特別班長から改めて状況の説明をうけた。 「現在マルタは七棟内の各房を開放して合流している。彼らを七棟内に閉じこめているものは、階段口の鉄扉だけである。マルタが力を合わせてこの鉄扉を打ち破れば中庭内に出て来る可能性がある。各人着剣して白兵戦に備えよ。マルタが中庭に出た場合は、直ちに殺すべし」  三八式歩兵銃に実弾が装填《そうてん》され、ゴボウ剣が着けられた。軍事教練はうけているが、ほとんどの者が軍属で、実戦の経験はない。全員緊張して、口中がカラカラに乾いていた。  特別班員に誘導されて増援部隊は中庭へ出た。増援部隊員はこのとき初めて731のブラックボックス特設監獄を見た。それは普通民家よりやや高い二階建長方形のコンクリート建物であった。一階二階ともかなり広いベランダ状の通路によってつながれている。それが各房室前を走る表廊下であった。廊下の外側面は鉄格子によって塞《ふさ》がれており、その内側には、マスターキイによって七棟内部だけの自由を獲得したマルタたちがベランダ様の廊下をせわしなく往来していた。特別班員と増援部隊は中庭に特設監獄と対《むか》い合う形で散開して銃を構えた。  篠崎主計中尉は、増援部隊の一員として、特設監獄末端の特別処置室に対い合う位置に身を置いて警戒に当たっていた。彼の向けた銃口の前でマルタたちは廊下を急がしく行きつ戻りつしている。そうすることによって彼らは、廊下まで拡大された自由を確認しているかのようであった。  左棟末、特別処置室(間引き室)の前あたりに歩いて来たロシア人マルタが鉄格子をつかんでなにか叫び始めた。それはちょうど篠崎と相対する位置であった。青い目と茶色の髪をもった胸幅の広い赤ら顔の男である。ソ連軍兵士ウラノフだった。  何を言っているのか意味はつかめなかったが、彼の声はよく通り、六月の北満の澄んだ大気を震わせながら矢を射ち込むように731部隊員の耳に突き刺さった。  青い目は憤怒に燃え、茶色の髪は逆立ち、その声は、銃口の放列の前に少しもひるむことなく堂々としていた。隊員たちはロシア語を解さなかったが、ウラノフの怒りはわかった。ウラノフの叫びに合わせて他のマルタが喚声をあげ、731全構内に轟《とどろ》いた。 「野郎、何を言ってやがるんだ」 「マルタめ、調子づきやがって!」  隊員たちは毒づいたが、ウラノフの叫びとマルタの喚声に気圧《けお》された。間もなく通訳官が呼ばれて来た。 「通訳官殿、彼は何を言っているのでありますか」  軍属の一人が聞いた。 「つまり、おまえたち日本人は我々を欺いてこんな所へ連れ込み、非人道的な実験のモルモットにしている。すぐに我々を釈放せよというようなことを言っておる」  メガフォンを手にした通訳官は、緊張でやや青ざめて言った。 「マルタのくせに生意気な。おとなしく独房へひっ込め。そうすれば命だけは助けてやると言ってください」  特別班長が言った。通訳官が言われたとおりを伝えかけるのをみなまで聞かず、ウラノフはさらに声を張り上げて、 「我々は捕虜となっても人間である。モルモットではない。国際法上で認められた権利を要求する」 「おとなしく独房へ帰れ。そうすれば今日の反抗は不問に付す」 「あくまでも我々をモルモットとして扱うならいますぐ死を求める。直ちに殺せ。我々は祖国を侵略する敵と断乎《だんこ》戦う者だ。モルモットとして死にたくない」 「独房へ戻れ」  通訳官は、ウラノフの叫びに対して、それ以上のことを言えなかった。ウラノフの言葉は正当な主張であり、それに反論すべき論拠はなかった。 「うるさい、つべこべ言うな。おまえたちの生命は我々の手に握られている。命が惜しかったら、独房へ戻れ」  論戦に敗れた通訳官は、マルタに対する絶対の優位を振りかざした。もともと公正《フエア》な討論の行なえる環境ではなかった。 「日本帝国主義の侵略者ども、よく聞け。おまえたちがどんなに我々の祖国や友邦を侵略しようとしても、我々は屈しない。我々は死を恐れていない。祖国のためにいくらでもこの命を捧げることができる。おまえたちは銃を向けて我々を脅《おど》しつけているが、そんなものは少しも恐くない。その銃を射て! 引金を引け。我々は死んでも、祖国は屈しない。我々の肉体は死んでも、精神は滅びない。ソビエット連邦万歳!」  ウラノフは息継ぐ間もなく叫んだ。その声は朗々として、731全棟に達するかのようであった。通訳官以外に意味はわからぬはずでありながら、しかもかつ特設監獄を取り巻いている隊員たちには、ウラノフの強烈な怒りがわかった。それは自由を奪われた人間の心からなる叫喚であった。  いまや奇妙な現象が特設監獄をめぐる中庭に生じつつあった。銃口を擬せられ、七棟内の密閉空間に閉じこめられている素手のマルタが、完全武装の731隊員たちを逆に圧倒しつつあった。通訳官も沈黙した。凝然として立ちつくしている731隊員の前でウラノフの叫喚が独走した。  射てるものなら射て。自分は死んでも祖国は屈しない——それは特設監獄に閉じこめられたマルタ全員の叫びであった。自国を侵略し、民族の独立と自由を脅かそうとする敵に対して被侵略国の国民が立ち上がって戦うのは、当然である。マルタはみな愛国者であった。  それを知りながら、マルタとして人格を奪い、特設監獄に閉じこめ、非人道的な実験の材料としている。その後ろめたさが、731隊員をしてウラノフの前で忸怩《じくじ》たらしめている。マルタはいまやマルタではなかった。  ウラノフからの圧迫を、その正面に対い合った形の篠崎はまともにうけた。篠崎はウラノフが自分に向かって叫んでいるように感じた。彼の熱い言葉が、機銃弾のように自分に向かって速射され、彼の盛り上がった肩と厚く広い胸板が巨岩のように眼の前にそそり立ち、じりじりと迫って来るように感じられた。  ウラノフが射つなら射てとおのれの胸板を叩《たた》いているのが、あたかも篠崎に対する挑戦のようにうけ取れた。  篠崎は次第に追いつめられている自分を知った。これ以上ウラノフを�跳梁《ちようりよう》�させておくと彼に取り込まれてしまいそうである。やつを黙らせなければならない。  ウラノフの剥《む》き出した歯と充血した青い目が篠崎の眼前にあった。ウラノフが外にいて、自分が中庭に逆に閉じこめられているような気がした。  ——日本人は卑怯《ひきよう》だ!——  ウラノフが叫んだ。それが限界であった。 「死ね!!」  篠崎は、自分を押しつぶそうとする巨岩に向けて発砲した。乾いた甲高《かんだか》い銃声が響き、ロ号棟の壁にゴーと反響した。同時にウラノフの身体が弾かれたように一回転した。回転しながら片手を鉄格子の方にのばした姿勢で倒れた。床に倒れたウラノフは手足を一度|痙攣《けいれん》させてから動かなくなった。俯《うつぶ》せに横たわったウラノフの身体の下から、血だまりがゆっくりと面積を広げた。十数メートルの至近距離から発砲した篠崎の瞼にその光景が高速度撮影の映像のように焼き付いた。  ウラノフの叫喚は止んだ。ウラノフが倒れると、他のマルタも粛然となって立ちすくんだ。731隊員も硬直して見守っている。一瞬、731構内に真空のような静寂が屯《たむろ》した。  ウラノフの死は他のマルタの興奮に冷水を浴びせた。彼らはリーダーを失って、自分たちが手に入れた七棟内の自由が、少しも希望に通じていないことを悟った。要するに独房から廊下へ出ただけであり、実験犬の首の鎖がほんの少々延ばされただけにすぎなかったのである。  ウラノフに同調して気勢を上げていた他のマルタは、いっぺんに萎縮《いしゆく》した。銃を構えている隊員たちに射たないでくれと身ぶり手ぶりで哀願するマルタもいた。—— 「あのときの光景はまだ私の瞼に焼きついており、ウラノフの叫びは、耳に残っています。おそらく私が死ぬまでそれは消えないでしょう。——射つなら射て。自分は死んでも祖国は屈しない——後で通訳官からウラノフがそう言ったと聞きましたが、通訳してもらわなくとも彼が言ったことはわかりました。彼のあのときの言葉は、通訳不要でした。私は銃で彼の口を塞《ふさ》いだが、彼の魂の叫びは封じこめられなかった。日本人は卑怯だと彼は罵《ののし》った。いや彼の前で私が卑怯だったのです。そもそもマルタは人間ではなく、マルタ如きにナメられてたまるかという気持がありました。そのマルタ、しかも素手の相手に圧《お》し潰《つぶ》されそうな圧迫感をうけている。そんな自分が恥ずかしく、腹立たしくなって発砲したのです。あのとき正義が我々にないことをみなが暗黙|裡《り》に悟りながら、一発の銃丸によって糊塗《こと》したのです。暴動は制圧しましたが、敗北したのは我々でした」  篠崎の話はつづいた。  ——ウラノフを射殺し、マルタが鎮静した後、特設監獄にこの世の地獄が現出した。  上層部の間で暴動を起こしたマルタの処置に関して意見がたたかわされた。 「もはやリーダーを失い、鎮静したのであるから、他のマルタは不問に付してもよいのではないか」  という穏便派の意見に対して、 「マルタなどいくらでも補給できる。彼らは一見恭順を装っても内部でなにを企んでいるか予測できない。仮に彼らを不問に付すとしても七棟内に入って各房の扉を施錠するという危険で困難な作業がある。このとき中に入った看守を人質にでも取られたら、今度こそ取り返しがつかない。断乎処置すべきである」  という強硬意見が対立したが、結局、後者の意見に統一された。  上層部の決定をみるまでの間に、マルタ暴動のニュースは衝撃波となって731部隊を隈《くま》なく駆け抜けた。武装した支援部隊が続々と詰めかけて、中庭だけでなく、ロ号棟の中庭に面する各窓、ロ号棟の屋上からも武装隊員の銃口が七棟に向けられていた。  七棟に閉じこめられた三十名のマルタたちはいまや完全に「檻《おり》の中のネズミ」であった。  ほんの一時間ほど前まではマルタは無抵抗の実験材料であった。いまやマルタの評価はまったく変っていた。「反乱を起こした危険な囚人」として厳重な監視下におかれていた。  看守を殴り、マスターキイを奪った瞬間から、マルタは敵性の人格をもった人間へと跳躍したのである。その意味でウラノフは、マルタとしてではなく、人間として死んだのであった。  上層部の決定後、中庭に背の高い脚立《きやたつ》が運び込まれた。つづいて長いホースを連結したガスボンベが中庭の一角に据えられた。中庭を警備している全隊員に防毒《ガス》マスクが配られた。隊員もマルタもなにが起ころうとしているのかわからなかった。ただ途方もないことが起きようとしている気配を本能的に悟っていた。  防毒マスクを全隊員が装着すると、脚立が階段口の右棟末に移動し、ホース先端のノズルを握った一人の隊員が脚立を一段ずつ注意深く上がった。隊員の移動と共にホースが大蛇のようにうねうねと延びた。  隊員は脚立の最上部に立ち上がり、その上半身が七棟二階の表廊下の上にせり上がった。隊員の合図と共に、ガスボンベのバルブが開かれた。換気口の末端にさし込まれたノズルから勢いよく噴出した即効性の毒ガスは全房に張りめぐらされた換気|導管《ダクト》を伝って各独房の通風孔から流れ込み、またたく間に全房を有毒ガスで満たした。わずか二、三分の間に三十名のマルタは全員死亡した。さして苦悶《くもん》する余裕もなかった。ガスが有効に作用しなかったのは少し前に篠崎に射殺されたウラノフだけであった。—— 「おそらく青酸性のガスだったとおもいますが、確かなことはわかりません。マルタ全員が死んだ後で上層部の一人が惜しい実験材料を失ったと嘆くと、他の一人がすぐに補充できると慰めたそうです。そう、たしかにマルタは補充できた。しかし、私はあの事件の後決して補充のできない心の部分を失ったのです」  篠崎は、ようやく長い話を終った。酒も料理もあまり減っていなかった。しばらく三人の間に沈黙が屯した。重苦しい沈黙であった。窓の外から遠方の街の気配が杳々《ようよう》と漂って来る。車や物売りの声や子供の叫び声や、多磨霊園の森林のたてる気配が混然となって室内の沈黙を封じこめ圧縮しているようであった。 「失われた心の部分を埋めるために精魂塔の守り役をかって出られたわけですね」  棟居は聞かずもがなのことを口にした。重苦しさにやり切れなくなったからである。篠崎は、うなずいてから、 「これはいかん。すっかり座がシラケてしまいましたな。さあどうぞ、召し上がってください。大したものはないが、みんな手造りのものです」  篠崎は、しきりに料理を勧めた。雑談となり、しばらく三人は料理と献酬に専念した。アルコールがほどよく体内に回り、和やかな気分になってきた。老人同士の言葉も打ち解けてきた。 「ところで篠崎さん、復員後、かなりの長期にわたって一部隊員に月給が支払われていたという話を聞いたんだが、あなた知っていなさるかね」  それは園池が棟居のために発してくれた質問である。棟居が注視する中で篠崎の盃をもった手がピクリと震えたように見えた。その震えを隠すように慌しく盃を口へ運んで、篠崎は、 「園池さん、あなたはもらいなさったのかね」 「いや、わしは帰国後731とは没交渉にしていたからね」 「そんな話を聞いたような気もするが、よく知らんね」  篠崎は、その話題を避けたがっている様子である。 「そのとき全国の隊員の連絡役《オルグ》になっていたのが、篠崎という元隊員だと聞いたが、まさかあんたのことじゃないだろうね」  園池に問いつめられて、篠崎は盃を膳《ぜん》に戻す、姿勢を改めた。 「園池さん、あなた、知っていて聞いているね」  窪んだ目が底光りした。篠崎は、自分がオルグだったことを暗に認めた形になった。 「いやわしはなんにも知らんよ。ただそのときの月給がどういう基準で支払われたのか、ちょっと好奇心をもってね」 「そんなことに好奇心をもってどうするのかね」  和やかだった空気は硬直して、たがいの胸の裡《うち》を探り合っていた。 「奥山謹二郎という元隊員を知っていなさるか。教育部の教官でわしの同僚だった」 「奥山がどうかしたのかね」 「死んだよ」 「もうおたがいに齢《とし》だからなあ。隊員は減る一方だ」 「殺されたらしい。それも731に原因があるらしい」 「なんだって!?」  篠崎が愕然とした。 「棟居さん、あんた説明してやりなさい」  園池が地均《じなら》しはした。さあ出番だと言うように棟居をうながした。  棟居が楊君里から発した事件のあらましを説明するのを聞いていた篠崎は、次第に好奇と驚きの色を深めた。 「あなたはどうしてそんなに詳しく知っておるのかね。まさか警察の人では……」  と言いかけた目の前に、 「申し遅れてしまいましたが、私はこういう者です」  と名刺を差し出した。 「ど、どうして警察の人が、あんたと?」  篠崎は非難するような目を園池に向けた。 「私も昔の仲間を殺した犯人を早く捕まえてもらいたいからだよ」 「だからといってどうして私の許へ来たのかね。私にはなにも関係ない」 「731の東郷村で寺尾春美という女性軍属が死んだ事件があっただろう。死体を最初に見つけたのが、奥山さんだった。ところが彼女は本当は殺されたのだ。奥山さんは犯人を知っていて庇《かば》っていた様子だった。この夏死ぬまで奥山さんに何者かから定期的な送金があった。どうやら事件の口留料らしい」 「その金が私から出たとおもっているのかね。戦後一部の隊員に手当金が支払われていたことは事実だが、いちばん長い者でも二十五年の五月までだった。それ以後にはだれにも支払われていないはずだ」 「べつにあなたが奥山さんの定期収入の出所だと言ってるわけではありません。月給を支払った隊員を選び出した基準と、月給の出所を知りたいのです」  棟居が園池の言葉を引き取った。 「そんなことを聞いてどうするのかね」 「藪下病院の寺尾事務長をご存知ですね」  篠崎はギクリとした表情になった。 「あの人は、寺尾春美の弟さんですよ」 「…………」 「彼にも昭和二十五年五月まで月給が支払われていました。彼との連絡役に立たれていたのがあなたでした。寺尾にはどういう基準から金が支払われたのですか。寺尾春美の死体を発見した奥山が怪死を遂げ、彼女の弟が理由不明の金をうけ取っていたとなると、その金の出所を寺尾春美と奥山の事件と結びつけたくなるのです」 「…………」 「篠崎さん、ご協力していただけませんか。この事件には必ず731がからんでいる。ただ一人生き残った女マルタが三十六年後に娘をたずねて来て死んでしまった。可哀想だとはおもいませんか。奥山謹二郎もその事件に関連して死んだにちがいない。まだ731の悲劇は終っていないのです」  棟居は、篠崎の面を凝視しながら言った。篠崎の面に当惑が揺れている。 「あなたは731の犠牲者の鎮魂のために墓守りをしているとおっしゃった。楊君里も、奥山謹二郎も寺尾春美も731の犠牲者なのですよ」  棟居は追い打ちをかけた。 「篠崎さん、わしからもおねがいする」  園池が援護射撃をしてくれた。 「支給の理由は、特に窮迫している隊員が社会復帰するまでの生活の面倒をみることと、731の秘密を守るためだった」  篠崎は、ためらいがちに言葉を一語一語押し出すように話しはじめた。 「手当金を支払うべき隊員は、だれが選んだのですか」 「石井部隊長側近の数人の上層部から手当金を支給する隊員のリストをもらった。リストは年に三、四回、多いときは五、六回もらったが、その都度渡す上層部と内容が変っていた。リストだけ郵送されてきたこともあったな」 「その上層部の名前と住所を教えてもらえませんか」 「もうみんな故人になっておるよ」 「みんな死んだ……」  張りつめていたものが急に緩んで泡となって溶けていくような気がした。ようやくつかんだとおもった一個の手がかりも泡でしかなかったのか。 「故人でもけっこうですから、教えてください」  棟居は、泡の中から辛うじて立ち上がった。泡の中にまだ一撮《いつさつ》だけ溶けない異物がある。それを足がかりにしていた。 「副官クラスの上層部だったが、もう遺族の消息もわからない人がいる」  篠崎が挙げた名前の中に、棟居の心当たりの人間はいなかった。 「あなたにリストを渡した人間の中に千坂義典はいませんでしたか」  棟居はこれまで保留していた質問を発した。 「ちさか?」  注意深く観察の目を向けている棟居の前で篠崎は特に反応を見せなかった。べつにとぼけているようにも見えない。 「ちさかよしのり……聞いたような名前だが、そんな副官はいなかったな。何者かね」  篠崎は、質問の意図を探るように棟居の顔をうかがった。 「現民友党幹事長で、元731の岡本班の技師です」 「ああ、あの千坂義典か。いや彼はいなかったな。それにあの人は、少し早く帰国したんじゃなかったのかね。千坂がどうかしたのか」  篠崎は、確かめるように園池の方を見た。 「死んだ寺尾春美は、その二か月ほど前に千坂の官舎に彼の身の回りの世話に行っていたのです」 「それがなんの関係がある……まさか千坂が寺尾春美を殺したというのではないだろうね」  篠崎の表情が緊張した。 「その疑いが強いと私はおもっています。だから寺尾事務長の手当金の出所を知りたいのです」 「すると寺尾の弟の手当は、千坂から出ているとでも……」  棟居はうなずいた。 「千坂は関係ないだろう……」  篠崎は歯切れ悪く言った。 「千坂の突然の帰国と奥山さんとのつながりから、かなり濃厚な関係があるとおもいます」  棟居は千坂義典が浮上するまでの経緯を詳しく語った。 「千坂が寺尾の弟に金を出したとすれば、なぜ直接やらないのかね」 「寺尾春美との関係を隠すためですよ。隊員の一時手当金の中にまぎれ込ませて支払えば、姉を殺した慰謝料であることを糊塗できます」 「寺尾の弟に支払っていた手当は千坂の慰謝料だったというのか」 「私はその疑いをもっております」 「それは独断じゃないかね。仮に千坂が犯人であると譲っても、千坂と石井部隊長の側近グループとは関係ないはずだよ。千坂が手当金支給リストの中に寺尾の名前を加えることはできないとおもうがね」 「できないとはかぎりません」 「なぜかね」  篠崎と園池の視線が集まった。 「寺尾春美は妊娠しておりました。胎児の父親はだれだかわからないのです。つまり千坂義典と確認されたわけではありません」  二人の目の色が盲点を見たように改まった。 「731の風紀はかなり乱れていたと聞いています。若い女子軍属は、上層部や高等官の慰安婦代わりにされていたのではないのですか。寺尾春美が千坂以外の幹部とも関係があってもおかしくない環境だった」  園池も篠崎も敢《あえ》て否定はしなかった。女子軍属を単身赴任の高等官官舎に女中代わりに派遣したところを見ても、当時の731の頽廃《たいはい》ぶりがうかがえるというものである。 「千坂が寺尾春美の死後、さっさと帰国できたのもおかしな話です。本来なら徹底的に調べ上げられるところです。彼女と関わりのあった脛《すね》に傷もつ上層部が共謀して事件のもみ消しを図ったのでしょう。731の恥部が明るみに晒《さら》されるのを恐れただけではなく、自分たちのスキャンダルが表沙汰になるのを防ぐためだったのでしょう」  ——つまり、寺尾事務長への手当金は、寺尾春美をめぐる731の幹部たちからの慰謝料であった。  棟居の推理の前に二人の元731隊員は言葉を失っていた。当時の731とおもい合わせて、いちいち心当たりがあるようである。 「篠崎さん、あなたは寺尾春美の弟への連絡にあたって、上層部から特に言い含められたり、指示されたりしたことはありませんか」  篠崎は、金を「口留料」といって渡していたのである。 「特にそのようなことはなかったが……731の秘密保持の確認だけはしていた」 「昭和二十五年五月をもって手当金を打ち切ったについてはなにか理由はありますか」 「特別な理由はなかったとおもう。身の振り方や生活の方途の定まった者から徐々に打ち切り、戦後五年になるので、もうそろそろいいだろうということだったとおもう。それに原資も底を尽きかけてきた事情もあったし」 「原資というのは、731から持ち帰った貴金属ですか」 「そうだ」 「当時の値打で二億円ぐらいの貴金属類があったという話ですが、それを全部持ち帰ったのですか」 「二億円というのはオーバーだが、相当な値打物だったことはたしかだね。とにかく戦後数年にわたって幹部と多数の隊員の生活資金となったのだから」 「その一部がGHQに731の戦争犯罪を免責にするための献金として使われ、また千坂義典を政界でのし上がらせる金脈となったということですが」  後半には、棟居の推測が入っている。 「さあ、その辺については、私も知らないが、731の秘密資金がほとんどまるごと終戦後日本へ持ち帰られたことはまちがいない。私がその輸送を担当したのだから」  篠崎は大変なことを言いだした。 「あなたが!」  棟居と園池が驚きの目を向ける前で、篠崎はやや得意げに上体を反《そ》らして、 「終戦時731には大量のプラチナ、金、錫《すず》の鋳塊《インゴツト》、少量のモリブデンなどが備蓄されておった。その他大量の薬品類、阿片《あへん》を中心とする麻薬があった。これだけじゃない、秘密の預り物もあったんだ」 「秘密の預り物とは?」 「731とハルピン憲兵隊本部とは持ちつ持たれつの仲だった。731のマルタ補給はハルピン憲兵隊が担当し、ハルピン憲兵隊本部にとって731は絶好の金蔓《かねづる》だった。しかし両者の腐れ縁はそれだけじゃなかったんだ」  篠崎は、おもわせぶりに二人の顔を見て、話をつづけた。  さすが731の戦後全国オルグだっただけに、篠崎の話は驚異の内容に充ちていた。      3  ——ハルピン憲兵隊本部はマルタの移送と同時に、大魔窟傅家甸《だいまくつフウジヤーデン》をトンネルとする大量の戦略物資の闇《やみ》ルートをつかんでいた。ソビエット・ロシアへ往来する錫や麻薬などの物資は、ハルピン憲兵隊本部の秘密資金源であった。摘発した闇物資は、すべてハルピン憲兵隊本部の管理下にある。これを同本部は731に預けた。つまり、731をハルピン憲兵隊は秘密資金の隠し場所として利用したのである。  昭和二十年八月九日のソ連軍の満州侵攻開始に伴って、同十一日から十三日にかけ、731部隊諸施設の破壊、証拠資料の焼棄、隠滅が図られると同時に同部隊の撤収が始められた。  隊員と家族はほとんど着のみ着のままで引揚列車へ乗り込んだ。ソ連軍は最高一日五十キロの快速でなだれ込んで来る。一刻の猶予もならなかった。関東軍の極秘部隊である731の秘密を守るためには一人たりとも捕虜を出してはならない。  専用引揚列車は�満杯�となり次第、次々に発車した。731の引揚列車は八月十一日から十五日にかけて十五本出た。先頭列車が奉天を通過したころ後発列車はまだ平房駅に停まっていた。  列車には隊員、家族と共に、米、味噌《みそ》、醤油《しようゆ》、砂糖類の食糧が手当たり次第に積み込まれていたが、これの積込みは非常にアンバランスであった。ある列車は食料が溢《あふ》れていたのに対し、ある列車は、まったくなにも口に入れるものがなかった。  731専用引揚列車は関東軍司令部から最優先通過手配が直命されていた。実はこの引揚列車群の中に、731と、ハルピン憲兵隊本部の莫大《ばくだい》な秘密資産が満載されていたのである。プラチナや錫のインゴットは一本ごとに包装され縄がかけられ、百科事典二冊ほどの重量があった。インゴットの数は、約五百本、一本平均、現時価で三百万円くらいになるからインゴットだけで十五億円になる。その他、貴金属類、薬品、麻薬、高価な実験器具類である。それの総額は731上層部にも見当がつきかねるほどであった。  731専用列車は大蛇のようにうねりながら中国大陸から朝鮮半島を一路南下し、八月二十五日ごろ釜山へ着いた。釜山から一千トンほどの揚陸艦に乗ってひどい大|時化《しけ》の中を二日三晩かかって門司《もじ》港まで来たが、すでに先着船の入港で溢れており、荷役を拒否された。  止むを得ず、萩《はぎ》へ回ったが、ここは国粋主義の牙城《がじよう》ともいうべき地で敗残兵に対する拒否反応が強く、さらに舞鶴《まいづる》へ回航した。 「金沢にはすでに石井部隊長はじめ幹部が先着しており、臨時司令部を設けて続々と引揚げて来る731隊員たちに指令を発していた。731の貴金属類およびハルピン憲兵隊本部の秘密資産はひとまず、臨時司令部の置かれていた金沢大学に運び込まれた。それ以後どうなったか知らないが、私が舞鶴での積下し荷役と金沢大学までの輸送の指揮を取ったのだから、そこへ運び込まれたことはまちがいない」  篠崎はようやく話を終った。 「千坂義典は、金沢大学の教授でしたね」  棟居に指摘されて、篠崎は顔色を改め、 「それは本当かね」 「本当だよ」  園池が口を添えた。 「金沢の臨時司令部に千坂は顔を出しませんでしたか」棟居は、自分の関心を追った。 「一度も来なかったとおもう。もっとも技師とは直接の関係がなかったので、顔をよく知らなかったから見かけていてもわからなかったかもしれない」  篠崎の口調が心細くなった。 「手当金を支払った隊員は何人くらいいましたか」 「私が担当したのは五十人くらいだったかな。途中でリストの名前が少し入れ替っていたから、百人ぐらいになるかね。どちらにしても大した数じゃなかった」 「支払われた手当金の総額はいくらぐらいでしたか」 「そうだな、短い人は六、七か月、最も長い人で四年半くらいだった。一年に一人三百円から二千円くらいだったから総額いくらぐらいになるかね」 「それでは百人が年間千円ずつ三年間支払われたとしても三十万円です。731の遺産に比べれば、まことに微々たるものです。残りの遺産はどこへ行ってしまったのでしょうね」 「それは私にはわからない」篠崎は酸《すつぱ》そうな顔をした。「千代田」を731のアジトとしてその開業資金が遺産から出されているのかもしれない。 「それから、ハルピン憲兵隊本部の秘密資産ですが、憲兵隊の方から取りに来ましたか」 「一度だけ、元憲兵の顔を見たな。マルタ移送のときによく付き添って来たやつだよ。たしかニタニとかいう大尉だった」 「ニタニ、もしかしてその憲兵、右手がどうかしていませんでしたか」 「よく知っているね。共産軍のゲリラに手榴弾《てりゆうだん》を投げられて、右手首から先を吹っ飛ばされたとか聞いていた。悪いやつでもっぱら、ワルタニと呼ばれていたな」 「ニタニの現在の消息を知りませんか」  意外なところにまた�単手鬼�が姿を現わしたので、棟居は緊張した。 「さあ、そのときちょっと見かけただけで後は会っていない」  棟居の期待に反して篠崎は素気なく言った。 「ニタニに会ったのはいつごろでしたか」 「昭和二十一年の三月ごろだったかな。臨時司令部にしていた金沢大学の生物学研究室ですれちがっただけだよ」 「そのときニタニはだれと話していましたか」 「憶えていないな。私が入って行くときに出て来たんだ。やあと目礼を交しただけでそれっきりだ」 「右手の他になにか特徴はありませんか」 「べつに特徴と言われてもなあ。石井のオヤジと同じくらいの大男だったよ」 「年齢はいくつくらいですか」 「当時三十前後に見えたから、いまは六十五、六かね」 「ワルタニと呼ばれていたそうですが、具体的にどんな悪事を働いたのですか」 「彼はマルタ係だったからね。マルタを補給するためにずいぶん悪どいことをやったらしい。捕虜だけでなく、中国の一般市民を手当たり次第に捕まえては731に送り込んで来たそうだよ。また闇物資の摘発に名を借りてフウジャーデンで掠奪《りやくだつ》に等しい所業をやっていたと聞いた」 「マルタ移送の手数料は彼に払っていたのですか」  篠崎は、ふっと薄く笑って、 「彼はそんな端金《はしたがね》なんか目もくれなかったよ」 「しかし、マルタを捕えては移送して来たのでしょう、それは手数料目当では……」 「マルタは隠れ蓑《みの》だったんだよ。マルタと一緒にフウジャーデンで掠奪や摘発した闇物資を731に預けに来たのだ。マルタ移送用の二トン車にはハルピン憲兵隊本部がかすめた秘密財産がマルタと一緒に積み込まれていたのだ」  いま初めて聞くマルタ移送の裏面である。  棟居は改めて納得がいった。731はその預り料として幹部による軍事機密費の不正使用を見逃してもらったのである。  ハルピン憲兵隊本部は高い倉庫料を払っていたのだ。731との癒着はマルタの売買だけではなく、もっと根が深かったのである。そして両者の腐れ縁は持ち返った遺産をめぐって終戦後も延長されていたはずである。  一閃《いつせん》の着想が走った。千坂義典の周囲を探せば、ニタニがいるかもしれない。 「ニタニとはどのように書くのですか」 「たぶん二つの谷と書くとおもうのだが、確かめたことはないからね」  室内がいつの間にか薄暗くなっていた。話に夢中になっている間に、陽《ひ》が翳《かげ》ったらしい。  ちょうどそのとき、様子を見に内儀《おかみ》が上がって来た。手の盆に新しい料理と銚子《ちようし》が乗っている。 「あらあらこんな暗い所で灯《あかり》もつけずにどうなさったのですか」  内儀は敷居口で驚いた声を出した。 「これは奥さん、大変、ご馳走《ちそう》になりました。そろそろおいとまいたします」  園池と棟居は恐縮した。篠崎も内儀に救われたように、 「どうだろう、せっかく来られたんだから、精魂塔に焼香していってもらえないかな。私がご案内しよう」 「それは有難い、帰りに寄ろうとおもっていたんだ」  園池が腰を浮かしかけた。 [#改ページ]  ラベンダーの弔客      1  多磨霊園は蒼然《そうぜん》と昏《く》れかけていた。年の暮でもあり、時刻も遅いので、墓参の人影はすでに見えない。表参道の石材店もほとんど表戸をおろしている。正門を入ると右手に都の管理事務所があり、正門広場から三本のメーンルートが放射状に園内へ分け入っている。頭上には、松、檜《ひのき》、欅《けやき》、ヒマラヤ杉等の高木の集団が枝を広げて重なり合い、森林を形成している。雀の群が上方の梢《こずえ》から一斉に飛び立ち、うすく夕焼けした寒そうな空を旋回した。空の上方はまだ明るいが、梢の下はうす暗く、遠方は遥々と烟《けむ》っている。落葉の香りが鼻腔に香ばしく迫り、地上には薄い靄《もや》が降りつもっている。風はなく、空気は湿っていた。  静かであった。靴音も地上に敷きつめられた落葉の絨毯《じゆうたん》に吸収される。地上に配された雪柳、つつじ、山吹等の低木が形よく植栽され、管理された美しさを見せている。開花期の見事さを想像させる人工の形成であった。  道は広々としている。道の両側に並ぶ墓にも個性がある。いかめしい鉄扉に囲まれた大墓所の敷地の中が荒れ果て、雑草が蔓《はびこ》っていたり、手入れの行き届いた小さな墓がちんまりとうずくまっていたりする。  金はあるが祖先を蔑《ないがし》ろにする者と貧しいながら祖霊を敬う人たちの対照が墓によく現われている。向うから喪服の婦人が歩いて来た。右手に真新しい木の手桶《ておけ》を下げている。  往路のバスで一緒になった彼女であった。彼女の夫の墓もこちらの方角にあるのであろう。あれから二時間ほど経つ。ずいぶん長い間墓にいたことになる。墓の掃除でもしながら夫のおもいでに浸っていたのかもしれない。 「知っている人かね」  園池が棟居の気配を悟って問いかけた。 「いえ、来るときのバスの中で一緒だった女《ひと》だったものですから」 「そういえば、いたような気もするな」  園池はさして詮索《せんさく》をしなかった。女性はうつむきかげんのまますれちがった。すれちがいざま、またラベンダーの香りをかすかに嗅《か》いだ。悲しみの影を引きずっているような彼女の後ろ姿が、棟居の心に引っかかった。  間もなく樹木の間に精魂塔が見えてきた。すぐ近くに「第五区」の案内図が立っている。墓所の入口|両脇《りようわき》に曇りガラスの入った灯籠が二基立っている。精魂塔はその奥六メートル平方くらいの敷地の中央に灰色の碑身を立てている。墓の様式は、「五輪塔」である。方形の台石の上に球状の石が積まれ、さらにその上に屋根形の石があり、頂上に宝珠《ほうじゆ》形の石が乗っている。  石材は、灰色を帯びた御影石《みかげいし》である。碑面には、台石、球状石、屋根石、宝珠石別に梵字《ぼんじ》が四文字彫ってあるだけで、碑文も建立者名もない。棟居は梵字の意味を篠崎に質ねようとして、のど元で押えた。731部隊の墓には一切の碑銘がないほうがふさわしいとおもったからである。  灰色の石質にシンと身を固く鎧《よろ》って立っている精魂塔には、無気味な迫力があった。  花筒には新しい花が供えられ、墓は清々して保たれていた。篠崎がしっかり守っているらしい。 「だれか墓参に来たのかな」  篠崎が首を傾げた。 「篠崎さんが供えた花ではないのですか」 「新しい花があります」  篠崎は花筒の菊を指さした。そのとき棟居は空気の中にかすかなラベンダーの香りを嗅いだような気がした。花筒の中の菊が、バスで一緒になった女性の膝の上で揺れていた花束と似ているようにおもえた。  まさかと打ち消すと、篠崎が、 「精魂塔へ参詣するのにどうして私の所へ寄ってくれなかったのだろう?」と首をひねった。  またしても棟居の瞼の裏に、夕闇の中に遠ざかって行った喪服の女性の後ろ姿が浮かび上がった。  篠崎から単手鬼が「ニタニ」という名前であることを聞きだした棟居は、早速千坂義典の周辺にその名前の人間を探した。  後援会、秘書、友人、知己等手に入るかぎりの資料を集めて調べたが、ニタニはもちろん似たような表音をもつ三谷、井谷、木谷などもいなかった。  ニタニと腐れ縁があったとしても三十余年前のことである。それがどんなに延長されたとしても現在まで続いていると考えるのは無理であろう。  その間に年が交代した。とうとう二年越しの事件となってしまった。  731の遺産の輪郭は、ほぼ明らかにされたものの、それは少しも千坂に迫らない。また寺尾に支払われた手当が、千坂から出たことの証明もされていない。真相は依然として混沌《こんとん》の海の中にあった。      2  松が除《と》れた一月十六日、棟居は寺尾から電話をもらった。彼から篠崎の消息をもらいながら、結果を報告していなかった。捜査の経過を一々報告する必要はないが、情報提供者に一言|挨拶《あいさつ》をしておけばよかったと、電話の相手を寺尾と悟ったとき、棟居は悔やんだ。  だが寺尾はそのことについてはなんの隔意もないようである。 「篠崎さんに会えましたか」 「おかげで新しいことがいくつかわかりました。そのことでお礼申し上げようとおもっていたところです」棟居は電話口で恐縮した。 「それはよかった」  寺尾は屈託のない声で言うと、 「実は今日お電話したのはですね、いま私の許に非常に珍しい人が来ているからなのです」 「非常に珍しい人といいますと」 「最近うちの院長がテレビに出まして、それを見た元隊員が訪ねて来たのです」 「ほう」  その話は藪下から聞いたことがあった。あまり気のなさそうな反応を察した寺尾は、 「その元隊員というのが、私と同期の少年隊員でしてね、終戦後満州で馬賊をやるんだと引揚列車から途中下車して八路《はちろ》(共産)軍へ入った男なのです」 「それは数奇な体験の持ち主ですね」  棟居は相槌《あいづち》を打ったが、関心がもう一つ盛り上がらない。どんなに数奇な運命に翻弄《ほんろう》された者でも、捜査の行方に関係がなければ興味をそそられない。 「実はですね、その元少年隊員が、たまたま昭和十九年十二月二十二日の夜、奥山さんの家に居合わせたそうなのです。つまり私の姉が死んだ夜です」 「な、なんですって!」  棟居はおもわず椅子から飛び上がった。 「彼はいままで黙っていたが、姉の事件についていろいろと知っている模様です。まだ私の許に留めておりますが、こちらへいらっしゃいますか」 「行きます、行きます。これからすぐにまいります」  現金なもので、棟居は取るものも取りあえず部屋から飛び出していた。  紹介された元731部隊少年隊員は、森永清人、現在大分市に居住して雑貨商を経営しているそうである。この度店をスーパーに改造するために首都圏のベッドタウンの業界を見学に来て、テレビで消息を知った藪下の許へ立ち寄りそこで偶然、同期生の寺尾に再会したということである。  本人はそんな数奇な体験者とはおもえないような村夫子《そんぷうし》然とした風采《ふうさい》と風貌《ふうぼう》の持ち主であった。小柄でやや肥満ぎみの身体にいまどきだれも着ていないような襟《えり》の細い背広に、使い古して細くなったネクタイをつけている。白髪まじりの髭《ひげ》がのびた丸顔に、おどけたような目があり、顔の中央の鼻が異様に赤い。坊主刈りの後頭部の中央が金槌《かなづち》で撲《なぐ》ったような直径三センチぐらいの円形に凹んでいるのが印象的である。  だが初対面の挨拶を交して向かい合ったとき、蒼茫《そうぼう》とした曠野《こうや》に立ったような気がした。人間の感情の起伏が長い歳月によって風化され、数奇な運命のローラーによって圧平され、もはやなにものにも動かされることのない枯れた無心の中にあると言おうか。  本人はまたこれから新たな投企《プロジエクト》に挑もうとする生臭さをもっているのであるから、寺尾からうけた先入観のせいだとおもうが、森永の表情には、雲の影を浮かべ、吹き抜ける風に枯草をそよがせる曠野のような茫々たるとりとめのなさがあった。 「昭和十九年十二月二十二日の夜、奥山さんの官舎におられたそうですね」  棟居は、早速本論に入った。棟居が携わっている捜査と奥山や寺尾春美とのつながりについてはすでに寺尾がその概略を話したということである。 「おりましたよ」  森永はゆっくりとうなずいた。 「その夜、こちらの寺尾さんのお姉さんが死んだ。私は殺されたとおもっているのですが、あなたはなにか特別なことを見聞きしませんでしたか」 「見ました」  森永は、いとも鷹揚《おうよう》に言った。棟居は上《うわ》ずりかかる声を抑えて、 「それを話していただけませんか」と言った。  森永の言葉いかんで、千坂の首根を押えられるかもしれないのである。 「よろしいでしょう。私も奥山さんを殺した犯人を是非捕まえてもらいたいとおもいます。藪下さんを訪ねて来て、寺尾君に出会ったのもなにかの因縁《いんねん》でしょうからね」  森永は、淡々と話し始めた。      3  昭和十九年十二月二十二日の夜、森永は、奥山の官舎に夕食に招《よ》ばれた。森永は奥山に可愛がられ、時々官舎に招ばれて家庭料理を振舞われたのである。  午後九時ごろ消灯時間が近づいたので、そろそろ少年隊舎に帰ろうとしていた矢先、表戸を忍びやかに、しかし忙《せわ》しなく叩く者があった。奥山の細君が戸を開けると、千坂義典が只ならぬ形相で飛び込んで来た。  奥山と千坂は別室でしばらく密談していたが、奥山が緊迫した表情で出て来て、森永に隊舎へ帰れと告げた。そして今夜千坂が奥山の官舎へ来たことは絶対に口外してはいけないと命じた。  森永は事情がわからなかったが、なにか異変が発生したことを実感した。絶対にだれにも口外しないと約束して、隊舎へ帰り、翌日になってから昨夜寺尾春美の死体を奥山が発見したというニュースを聞いた。昨夜、森永が隊舎に帰ってから、奥山は寺尾春美の死体を発見したことになる。奥山、春美、千坂この三人の間になにかある。森永はピンときた。  だが奥山には可愛がられていたし、絶対に口外しないと約束した手前、森永は自分の知っていることと、疑惑を胸の中に畳み込んだ。  それから間もなく千坂義典がそそくさと帰国していったので、やっぱり自分の疑惑は的中していたとおもった。—— 「帰国されてからも沈黙していたのは、奥山さんとの約束を守るためですか」  棟居は言葉をはさんだ。 「それもあります。私が帰国したのは昭和二十三年の四月上旬ですが、とにかく生きて故国の土を踏めたことが嬉しくて、古い疑惑など掘り起こす気になんかなれませんでした。それに奥山さんや千坂の消息もわからないし、たしかに千坂が殺《や》ったという証拠があるわけでもありませんからね」  たしかに森永の言う通りであった。彼は、寺尾春美が死んだ当夜、奥山の官舎へ来ただけのことである。それを寺尾春美の死に結びつけたのは、森永の推測にすぎない。だが森永の証言は、千坂の姿を初めて寺尾春美の行動圏内に浮かび上がらせたのである。千坂の容疑(奥山殺しの動機も含めて)は固まったと見てよい。 [#改ページ]  故国への一歩      1 「引揚列車から途中下車して八路軍に入られたことに、この事件が影響していますか」 「その影響はありません。日本へ帰るのが決定的にいやになった動機は、マルタ小屋の壁に書かれた血書を見たことです」 「マルタ小屋の血書? さしつかえなかったならそのお話をしていただけませんか」 「そんな話が捜査に役に立つのですか」 「この際、731に関することをすべて聞いておきたいのです」  もはや事件が731から発していることは明らかであった。隊員たちの話の総合によって、溶々たる歴史の襞《ひだ》の中の埋没物から犯人を討ち取る武器を拾い上げられるかもしれない。  森永は、再び話をつづけた。  ——731部隊の撤収作戦は八月十日夜から始まった。これに先立つ九日朝、関東軍司令部より731に対して下された「独断専行せよ」=(勝手に行動せよ)という命令に基づいて731上層部は、マルタを含む証拠の隠滅、ロ号棟および部隊諸施設の完全破壊、隊員と家族の内地帰還、各種資料実験データの持ち帰りを決定した。  マルタの虐殺と並行して、各研究班の大量の標本の処理が急がれた。大小のホルマリン容器に入った生首、腕、胴体、脚、各臓器の標本は、一千個を数えた。いずれも731の生体実験の証拠である。これらの一個たりともソ連軍の手に渡してはならない。  十日夕刻から夜半にかけてハルピン一帯を水浸しにした豪雨の中をトラックで運ばれた標本は、夜陰に乗じて松花江へ投げ込まれた。  焼却炉からはみ出した膨大な実験データ、中国各地での細菌戦実施記録、解剖、病理、細菌培養の記録、フィルム等が穴に集められ、重油を浴びせられて火をつけられた。  学者の中には後日の名利を約束する研究データを灰にするのを惜しんでそっと持ち帰ろうとする者もいた。  細菌培養器、顕微鏡、化学|天秤《てんびん》、冷凍施設、遠心分離器、真空実験室等が片端から破壊されていた。  731の各建物施設、診療部、各隊舎、宿舎、発電所、大講堂、倉庫、学校、東郷村諸官舎などに一斉に火が放たれた。航空機は石井部隊長ら幹部搭乗機を残してすべて破壊された。炎上する動物舎や昆虫研究の田中班の建物から増産に増産を重ねた数万匹のネズミ、数百万匹のノミが解き放たれた。言葉どおり後は野となれ山となれで、いまやだれが何をやっているのかもわからなかった。  撤収作業の中の最大の難事は特設監獄の破壊であった。特殊鋼材と厚さ四十センチの鉄筋コンクリート造の壁を組み合わせた特設監獄は工兵隊が出動して爆破に当たった。  普通に爆薬を仕掛けたのではこの建物はビクともしないとあって、床下や階段下に深い穴を掘りそこへ爆薬を埋めることになった。  その穴掘り作業に少年隊が駆り出された。  森永もその一人としてツルハシをもって初めて特設監獄の中へ踏み込んだ。虐殺されたマルタの死体はすでに運び出され、がらんとした監獄の中には一面に消毒用石炭酸の臭いがたちこめて、息が詰まった。八月の盛夏にもかかわらず湿った冷たい風が、八棟の廊下を吹き抜けていた。森永は、その風に明らかに血のにおいを嗅いだ。  八棟は主に女マルタが入れられたが、男マルタの数が多いので、七棟に収容しきれない男マルタが回されてきた。  独房の一室へ入った森永は、壁面に目を向けて一瞬立ちすくんだ。壁面いっぱいに巨大な文字が跳躍していた。  日本帝國主義打倒! 中國共産黨萬歳! 文字はそう読めた。文字はどす黒く、所々かすれていた。マルタが墨《すみ》をもっているはずがない。森永は一目でそれがなにによって書かれたかを悟った。  収容された中国共産党員が祖国を侵略する者への憎しみと、党への愛情を迸《ほとばし》らせながら、自分の体の血を絞って書いたものであろう。  この戦いを�聖戦�と教え込まれ、大東亜共栄圏確立のために尽忠報国の信念に燃え、北満の地まで来たが、731の実態を知るにつれてこの戦いが正義のための戦いではないことをおぼろげに悟ってきた。  共産主義についてまったく知識のない森永であったが、壁の血書の訴えかける迫力に圧倒された。かすれがちの赤黒い字画の一辺一辺が、魂の根元に迫ってくるようであった。森永は茫然《ぼうぜん》としてその血書の前に立ちつくしていた。  壁の血文字は、それを書いた中国共産党員が殺された後も、次々に送り込まれて来る囚人たちを励まし、最後まで民族の解放と人間の勇気を訴えつづけたにちがいない。 (我々は滅《ほろ》んでも、祖国は死なない)血文字に励まされた囚人は、喜んで祖国の礎《いしずえ》となっていったであろう。大書された血文字のかたわらにも別の囚人たちによって書かれたとおもわれる小さな文字がいくつか認められた。もっと大きく書きたくとも血が不足したのであろう。  森永の頬《ほお》はいつの間にか濡《ぬ》れていた。彼は感動の波濤《はとう》にもみしだかれながら、この壁を破壊してはならないとおもった。この血文字だけは人類共通の�遺書�として残しておかなければならない。  しかしどうやってそれを残すか。壁は間もなく建物ごと工兵隊によって爆破されてしまう。森永には、それを阻止することができない。  束の間思案した森永は、はっと気がついて背負っていた背嚢《はいのう》を下ろした。いつでも引揚列車に乗れるように身の回りの品をもって作業をしていた。731に入隊するために郷里を出たとき、父が当時としては珍しいカメラを贈ってくれた。時々息子の元気な姿を写真で見せてくれという願いをこめてである。  背嚢の中にそのカメラが入っていた。カメラには一枚だけフィルムが残っていた。光線も不十分であり、性能の悪い幼稚なカメラである。果たして写るかどうかわからなかったが、森永は壁に向けてシャッターを押した。それだけがいまの彼が壁の血書に対してしてやれることであった。カメラを背嚢の中にしまいなおしたとき、廊下に複数の慌しい足音が聞こえた。  それから間もなく特設監獄は731全棟を揺るがす大音響をたてて崩れ落ちた。——      2 「そのフィルムはお手許におもちですか」  棟居は質ねた。 「残念ながら手許にはありません」 「どうされたのですか」 「八路軍の軍医にやったのです」 「それでは、そのフィルムは日中戦争の�証言�の一つとして中国のどこかにあるわけですね」 「そうおもいます」 「その八路軍の軍医と戦後連絡しましたか」 「いいえ、彼がその後どうなったか知りません。私は八路軍から逃亡した形で帰国して来たので、先方にも私の消息はわからないはずです」 「もしよろしかったら、731から八路軍へ入り、帰国されるまでのお話をしてくださいませんか」 「冒険小説のようにおもしろくはありませんよ」 「どうぞおねがいします」  ——731特設監獄の爆破につづいて東郷村官舎に火が放たれた。轟音《ごうおん》と炸裂《さくれつ》がひとしきりつづいた後、731の全施設から一斉に火の手が上がった。火の手の上方に黒煙がたなびいて空を暗くした。  だれがなにをやっているのかわからない混乱の中を八月十一日の夜半から引揚列車が次々に発車して行った。その中に森永がいた。貨車に積み込まれた[#「積み込まれた」に傍点]兵員と家族は、赫々《あかあか》と燃える平房の夜空に焦点の放散した目を向けていた。これが自分の大陸雄飛の夢を託した城の最期か。少年の目にはたった三日の間に世界が変ったように見えた。いや事実、変ったのだ。日本へ帰れることは嬉しかったが、三日前までのすべての価値観が自分の世界と共に音をたてて崩れ落ちた後には、全身ががらんどうになったような虚《むな》しさがあった。列車がいくら走っても、平房の赤く染まった夜空は遠ざからないような気がした。  列車は少年の挫折《ざせつ》感に同調するように喘《あえ》ぎ喘ぎ、途中何度も停車しながら南下して行った。  朝になると、北満に屯《たむろ》していた雨域はようやく去り、南下する列車に、八月の太陽が照りつけた。行けども行けども視野のかぎり大平原がつづいた。果てしない高梁《コーリヤン》畑をのろのろと這《は》いつづける列車は、その広さの中でまったく進んでいないかのような錯覚を乗っている者に抱かせた。  朝から夜まで風景は同じであり、次の朝になっても同じ風景の中にあった。  夕方になると、太陽が赤い光球となって地平線に近づく。日本の夕日と異なり、水蒸気がないので、地平に落ちていくほどに膨《ふく》れ上がり、球形の中に炎が圧縮されて色彩を強める。そして突然糸が切れたようにストンと落ちて、幕を引いたように暗くなるのである。ここには昼と夜の交代する幕間の、残照の揺曳《ようえい》する薄明の時間というものがなかった。まるでスイッチを切り換えたように昼から夜になった。それが逃げて行く者の不安をそそった。  731隊員と家族は、この数年見なれていたはずの大陸の落日を逃亡列車の上から眺めながら、自分たちがこの広大な大陸の粟粒《あわつぶ》のような一角を囲って住みついていたことを初めて実感した。大陸のほんの一隅に疑似日本のミニチュアをつくって王道楽土だと自画自賛していたのである。しかし、行なったことはこの広大さに匹敵する非道の凝縮であった。  他国の領土を斬《き》り取り暴虐を恣《ほしいまま》にした報いをいまこそうけて、その広大な領土を逃げまどいながら環状《リング》彷徨《ワンデルン》している。彼らはこのまま永久に果てしない高梁畑から脱出できないような恐怖を覚えていた。  八月十五日午後五時、森永が乗った列車は新京(長春)の手前で停車したまま動かなくなった。そこで森永らは敗戦の報を聞いた。中国人機関手が逸速《いちはや》く逃亡してしまったために、列車はいっこうに動かなかった。いつ発車するあてもなかった。  そこへ、すでに新京や奉天(瀋陽)はソ連軍が占領しているというデマが伝わった。デマはたちまち全車両に広がり、女子軍属や隊員の妻たちが、731撤収時に万一の際の自決用にと手渡された青酸化合物を呷《あお》った。一人が服《の》むと、集団心理に駆られて次々に見倣《みなら》った。引揚列車はたちまち死体の山となった。  悲劇の最中に列車がまた動きだした。遺体を満足に弔っている暇もなかった。デマは南下の途中次々に伝わってきた。 「日本はすでに米軍占領下にあり、一面の焼野原になっている」 「男はみな殺しにされ、女は全部|強姦《ごうかん》された後ニューギニアへ連れて行かれて奴隷《どれい》にされるそうだ」 「広島、長崎に落とされた新型爆弾の毒が全土に広がって国民は死に絶えたというぞ」  流言飛語は次々に形を変えては広まり、隊員と家族を絶望で塗り潰《つぶ》した。それを裏づけるように、行く先々で列車は中国民衆の襲撃をうけた。まだ武装解除していない隊員の反撃によってはらいのけたものの、襲撃をうける都度、前途が重い絶望によってふたがれていった。 「どうせ日本へ帰ってもアメリカ兵に殺されるだけだ」 「親や身内の者も一人残らず死んでしまったというじゃないか」 「そんな所へ帰って行くくらいなら、満州へ留まって馬賊でもやったほうがましじゃないか」  森永はじめ数人の少年隊員の間でこんな相談がこそこそと持ち上がった。  当時、伊達順之助や松本要之介などの馬賊が英雄視されていた時代である。敗戦の報で傷ついていた少年たちの心に大陸雄飛の夢がよみがえってきた。  かつて王道楽土建設を夢見て移って来た大陸から追い落とされて、敗れた故国へ帰ったところで仕方がない。それより大陸に留まれば、その広い国土に見合う可能性があるような気がした。そのとき、特設監獄の壁の血書が、森永の瞼によみがえった。  相談はたちまちまとまった。同志は七名いた。だれも諫止《かんし》しなかった。むしろ他の少年たちも一緒に行きたそうにしていた。ただおもいきって踏み切れなかっただけである。帰る者も残る者もどうなるかわからない。成行きに任せる以外になかった。  現地に留まり馬賊開業と決定しても、�営業地�が問題である。集落の近くで、建てこもる山があり、水のある所ということになったが、なかなか三条件を充たす地がない。場所を物色しているうちに列車は朝鮮国境に近づいて行く。朝鮮の馬賊ではサマにならない。やるなら大陸の馬賊でなければならない。  そうこうしているうちにも列車は南下をつづけ、国境に近い本渓《ペンシー》市に着いた。町の近くまで高い山が迫り、川もある。周辺に大小の集落がある。三条件揃っていた。ここを見過せば、下車する機会を逸しそうな気がした。 「よし、ここで下りよう」  いつの間にか森永がリーダー格になっていた。この期《ご》になって班長が日本まで一緒に帰ろうと引き留めたが、一行の決意は固かった。大陸に留まって馬賊をやるという、いささか悲壮美を帯びたロマンチシズムに自己陶酔してしまったのである。  班長の制止を振り切って七名の少年は、本渓《ペンシー》に下りた。停車時間は三分だった。同じ車両に乗っていた仲間が米俵や食料の箱を手当たり次第に投げ下ろしてくれた。列車が動き出した。「元気でやれ」「頑張れよ」「おまえらもな」列車と地上で声をかけ合いながら別れを惜しむ。  おもえば共に大陸の土になろうと決心して日本を出てから今日まで切磋琢磨《せつさたくま》し合ってきた仲間である。これが今生《こんじよう》の別れとなるかもしれない。送る者も送られる者も目頭を熱くして手を振り合った。  森永は、731に入隊するために郷里を発《た》ったときの光景と重ね合わせていた。あのとき列車が走りだすと、それまで歓送の人群から少し離れた所で黙って見送っていた兄が走り寄って来て、窓越しに森永の手を固く握った。握ったままホームを走った。加速する列車を追って兄は懸命に走った。ホームが尽きた。固く握り合っていた兄弟の手は無情に断ち切られた。  あのときホームのはずれに立って、汽車が視野から消え去るまで見送ってくれた兄の姿と仲間の顔が重なった。あのときと立場が逆になっているが、自分が留まるのは異国の土地である。見送られるのは、やはり自分のほうであった。      3  下車した地点は、本渓《ペンシー》の「宮の原」という地区であった。とにかく町の様子を�偵察�に行くと、まだ治安も悪化しておらず、住人は至極のんびりしている。町の中に日本人ホテルがあったので、当分そこに泊まることにした。  仲間が投げ下ろしてくれた箱の中に、隊員の貯金通帳と印がごっそり入っていたので、当分金に困らなかった。身の安全と生活が一応確保されると、とたんに馬賊の夢が遠のいた。  九月半ばごろまでホテルにごろごろしていると、ようやく金も食料も心細くなってきた。町の様子も騒がしくなり、本渓の刑務所で囚人が暴動を起こしたという噂《うわさ》が届いた。  時を同じくして本渓の近郊にあるバイテツ公司《コンス》という日本人経営の鉱山から警備のアルバイトを頼まれた。  バイテツ公司には八路軍の捕虜が数百名おり、日本敗戦を知って不穏な形勢にあった。臨時警備員に早変りして数日後、宮の原の刑務所を破った囚人の大群が武器を奪いバイテツ公司に押し寄せて来た。  応戦する間もなく、警備員は機銃を胸に突きつけられて全員降伏した。囚人たちは即座に八路軍の捕虜を解放した。代りに日本人が捕虜になった。 「こんな所で捕虜になっては、馬賊どころか、いつ殺されるかわからない。幸いに見張が甘いからいまのうちに逃げ出そう」  森永は、六名の仲間に図った。 「貨車の引込線に機関車が入っている。あれを動かせれば逃げられるんだがなあ」  小笠原という少年の一人が言った。 「だれか機関車を動かせないか」  と問われても、機関車どころか、車の運転もできない。 「一緒に捕虜になった朝鮮人の中にたしか機関手がいたぞ」  山口という仲間が言いだした。早速、その機関手という男に当たると、新義州《シヌインユ》(朝鮮)から貨車を引っ張って来たところで捕虜になったということである。  みんなで逃げようということに衆議一決したが、次々に逃亡希望者が増えて、乗り切れなくなった。止むを得ず、少年隊員が貨車の屋根の上に乗って夜半逃げ出した。後方に銃声が聞こえたが、追手の気配はなかった。  機関車は凄《すさ》まじい勢いで進んだ。途中から横なぐりの雨になった。雨は石炭車の上に降りかかり、石炭の粉を混じえて容赦《ようしや》なく一同に吹きつけた。目を開けていられない吹き降りであった。  鳳城《ブオンチヨン》という町の手前にさしかかったとき、貨車がガクンと揺れたはずみに、だれかが転落した。 「だれが落ちたんだ」と聞いても全員顔がススに汚れて見分けがつかない。だが、一人欠けていることはたしかである。 「大変だ! 小笠原がいないぞ」  富岡という少年隊員が騒ぎだした。 「どうしよう」  五人が森永に視線を集めた。 「彼一人を捨ててはいけない。みんなここで下りよう」  森永の決定によって、六人は鳳城で下りた。線路伝いに戻って行くと、小笠原がとぼとぼとやって来た。足を少しひきずっているだけで大した怪我もしていないらしい。一同無事を喜び合って、ともかく当分鳳城に滞在することにした。鳳城から朝鮮の国境まで五十キロ程度である。  ここでまた日本軍貨物処の警備のアルバイトにありついた。だがこの貨物処は武装満人たちのカモにされており、度重なる襲撃をうけていた。いや気がさしていた警備隊は、貧乏くじをなにも知らない少年たちに押しつけたのである。  ここで、山口と富岡が死に、小笠原以下三名が朝鮮へ脱出すると言いだした。 「こんな所にいたら殺されてしまう。朝鮮へ脱出すれば釜山まで列車も動いているだろうから日本へ帰れる」  小笠原は言い張った。彼は貨車の屋根から転落して以来弱気になっていた。他の三人が追随した。結局ここで袂《たもと》を分かって、森永一人が残されたのである。彼自身にもなぜ頑《かたく》なに留まろうとするのかよくわからなかった。ひたすらに信じていた聖戦の意味を見失って自棄になっていたのかもしれない。  皮肉なことに仲間と別れてから満人の襲撃はピタリと止んだ。比較的平穏というより、傷口が悪いなりに固まったような日々がつづいた。十一月の中頃、八路軍が南下して来て鳳城を包囲した。数千人の大部隊であり、鹵獲《ろかく》した日本軍の近代兵器で武装している。八路軍はひたひたと包囲すると、おもむろに、 「この町は我が軍が完全に包囲した。速やかに降伏せよ。いまから一時間猶予をあたえる。それまでに降伏しない場合は総攻撃を加える」と放送した。  一時間待つ必要はなかった。武器と、戦意のない日本人は降伏する以外になかった。通訳が投降者を一人ずつ訊問《じんもん》した。  森永の番がきた。まず名前と兵科と所属部隊名を聞かれた。  731の経歴は絶対に秘匿しなければならない。名前と、衛生兵だった旨だけ答えると、通訳はそれ以上詮索せず、「後方部」へ行くようにと命じた。  後方部とは、八路軍の野戦病院であり、軍医や衛生兵が不足していた八路軍はこれ幸いとばかりに森永をそこへ編入したのである。  当時の八路軍は、新生中国の正規軍を目指して近代化を急いでおり、日本軍の人材をできるだけ吸収しようとしていた。  森永が連れて行かれた先は、八路軍第八後方部の指揮所であり、そこで楊雷震という軍医に引き合わされた。  楊は四十歳前後の色白|細面《ほそおもて》の整った面立ちをしており、細い目の奥に感情の動揺とは切り離されたような冷たい光が沈んでいた。鼻筋が通り、唇が小さく薄い。削《そ》げた頬が時折神経質にピクリと震える。  雷震の金属的な眼光に見据えられたとき、森永は自分の秘匿した731での経歴を見破られたような恐怖を覚えた。  雷震はなにも詮索せず森永を自己の指揮下に加えた。後で知ったことだが、雷震は元抗日パルチザンの馬賊《マーツエイ》だったという。どこで医学を専攻したのか不明であるが、外科が専門であった。  雷震は試験的に森永を助手として使ったところ、さすが元731少年隊員だけあって医学の基礎知識を身につけ、消毒、注射、投薬等の実技の手つきも鮮やかである。八路軍第八後方部には約二千名の兵士がいたが、森永ほどの医学知識を備えている衛生兵はいない。  雷震はたちまち彼を気に入り、以後、あらゆる診察、手術、治療に連れて行くようになった。  森永は雷震に取り入れば身の安全が保障されることを敏感に悟って、彼に献身的に尽くした。雷震は森永を「小鬼《シヨークイズ》」と呼んだ。日本軍は鬼《クイズ》であり、それに因《ちな》んだ仇名《あだな》であるが、そこに雷震なりの親しみがこめられていた。  日本軍が敗退した後、中国大陸の情勢はめまぐるしく変転していた。国府軍は北上して華北を支配下においた。ソ連は国府を後押ししていた。重慶においては、蒋《しよう》—毛《もう》会談で連合政府樹立方針がまとまり、国府軍、中共(八路)軍を改編して「国軍一本」に統一することが協定されている最中、国府軍は満州の進撃をつづけて全満を制圧してしまった。  国府軍の�強盗作戦�によって殺戮《さつりく》、掠奪の犠牲になった北満の住民を救うために、共産軍も北上して来た。一九四五年から四六年にかけて中共と国府が中国大陸の覇権《はけん》を激しく争った。四五年後半から四六年にかけては、国共抗争が全面化していた。前線から多数の負傷兵が連日移送されて来た。傷口が移送中に腐敗し、ウジがわいている者も多い。  雷震は患者の識別と判断が速かった。彼に「|殺したほうがよい《ダースハオ》」と判定された重傷者は、ヨードホルムを静脈に注射されて、その場で殺(安楽死)された。  また彼が「助かる」と判断した者には、荒療治が施された。  麻酔薬がないので、負傷者に焼酎《チヤンチユー》を飲ませ、手足の切断や盲管の弾丸摘出手術を断行する。ここでは救命が最優先され、生き残った後の生活機能については一切考慮されなかった。  身体を手術台に縛りつけて、患部を切開し切断する。患者がいくら泣き喚こうと、雷震は眉《まゆ》一筋動かさなかった。そんなとき彼の無表情は、一切の感情を面皮の下に塗りこめてしまったようであった。  手術が終り傷口を縫合した後は、軍馬用のヨードチンキを塗るだけである。平時なら考えられないような荒療治で多数の兵士が生命を救われた。  雷震の手が回りかねて、森永が切開手術を代行したこともあった。手術後の経過が良く切断必至の腕がつながったので、ショークイズの評価は一変した。森永は軍医待遇となって護衛の少年兵が付いた。言葉も徐々に覚えてきた。731で北京漢語の基礎を学んでいたが、八路軍では山東|訛《なま》りの中国語が幅をきかせていた。言葉の修得によって、森永の位置はますます定まってきた。いまや彼は雷震の片腕になっていた。      4  八路軍の特徴は上層部と下部兵士の知的水準に著しい差があることである。上層部はインテリ揃いであるのに対して下部兵士は文盲が多い。それにもかかわらず軍律は厳しく統率がとれている。民族独立を唱える中共の軍隊だけあって政治教育が行き届き、民衆に対して礼儀正しい。また戦い上手で、機略縦横神出鬼没の戦術を展開する。  一九四三年(昭和十八年)抗日救国のために国内統一、民族戦線結成を訴え、国民政府との正面対決を避けて一年間にわたる苦難に充ちた二万五千里長征「大西遷」を敢行しただけあって忍耐強い。  装備はけっこう優秀であり、終戦直前の関東軍より鹵獲《ろかく》した武器が多い。馬匹、車両、食料も豊かである。  一九四六年(昭和二十一年)一月、森永は突然発熱した。四十度を越える高熱がつづき、意識は混濁して衰弱する一方であった。有効な薬はなかった。  森永を診察した雷震は深刻な表情をして考え込んでいたが、翌日馬に乗って忽然《こつぜん》と姿を消した。雷震に見放された森永は、脱水症状を起こし確実に死に向かっていた。三日後雷震はひょっこりと帰って来た。彼は、帰るなり、森永の尻《しり》に太い注射を射った。注射の効果は抜群で、熱はみるみる下がり症状は軽快した。  雷震は、日本人少年を救うために何日も部隊を留守にして危険な戦場を駆け回り、有効な抗生物質を探しだしてきたのである。  雷震が留守の間、何人かの負傷者が死んだ。森永は数人の八路軍兵士の犠牲の上にその命を取りとめたのである。  森永が全快した一方、国府軍の攻勢が激しくなって、八路軍は後退を余儀なくされてきた。第八後方部も戦況の悪化に伴い、国境の安東に撤退した。安東は、鴨緑江をはさんで新義州《シヌインユ》と向かい合っている。川一つ渡れば、朝鮮であった。新義州へ行けば、釜山までなんとか辿《たど》り着けるであろう。別れた仲間たちの顔が瞼に浮かび、日本へ心が飛んだ。  国府軍の迫撃は急で安東城内で市街戦が始まった。負傷兵が続出して医療班は多忙を極めた。安東には多数の在留邦人がおり、日本人医師や看護婦もいた。彼らは早速、第八後方部に�徴用�された。  八路軍は奮闘して、国府軍を撃退した。八路軍は日本人を病人だけ内地へ帰還させるから申し出るように布告した。  そのとき森永も帰国したいと言うと、雷震が医療関係者は手不足なので帰せないと拒んだ。たしかに人手不足もあったが雷震としては森永を手放したくなかったのである。感情を現わさない雷震であったが、森永を息子のように愛していたのである。森永も命の恩人の雷震の制止を振り切って帰れなかった。  一九四六年四月初めの朝、ショッキングな事件が起きた。雷震が「手術用具とホルマリン容器をもってすぐ来い」と命じた。その緊迫した声に、緊張して従いて行くと、鴨緑江の河原へ出た。早春の河原には雪が残り、冷たい風が吹き荒れていた。河口に近い鴨緑江は大河の様相を呈し、対岸は残雪の中に凍結している。  河原には完全武装の八路兵が緊張した面持で河の流れの方向に向かって半円をつくっていた。半円心の部分に川を背にして手錠《てじよう》をかけられた数名の日本人と中国人がいた。円陣の外周には弥次馬の市民が群がっている。 「なにが起きるのですか」  森永が質《たず》ねると、 「反動分子の処刑だ」  と雷震が無表情のまま言った。日本人は二名おり、一人は前安東市長であり、もう一人は元憲兵ということである。 「なんとか救けてやってください」  森永が命乞いをしたが、 「私の力ではどうにもならない」  と雷震は首を振った。処刑の時間が迫った。八路兵が歩み寄って囚人一人一人に目隠しをした。日本人二名は目隠しを断わった。処刑が開始された。 「川に向かって歩け」  囚人は一人ずつ川に向かって歩かせられた。八路兵が銃を構えた。囚人が川岸に達する前に指揮官が赤い手旗を振り下ろした。銃口が一斉に火を吹き、火線の交叉《こうさ》する中央で囚人が倒れた。死体をかたづける間もなく、次の囚人が歩いて来た。  中国人囚人がすべて河原に倒れると日本人が残った。元憲兵の番になった。彼は胸を張って歩きだした。視線は対岸に向けられていた。川の向うは故国へ通ずる朝鮮の領土である。元憲兵は歩数を数えるようにゆっくりと歩いた。彼はこれまでの処刑を観察して何歩歩けば手旗が振り下ろされるか知っているようであった。言葉どおりの「数歩の命」であった。  あと二、三歩というとき元憲兵は急に走りだした。八路兵が咄嗟《とつさ》に対応できずに唖然《あぜん》としている中を彼は全力疾走して川の中に走り入っていた。 「射て! 逃がすな」  そのときになって指揮官が狼狽《ろうばい》した声で命令した。だが兵士もうろたえているので弾着は悉《ことごと》く逸れた。  銃弾が水飛沫を上げる中を元憲兵の姿は、水流の中に沈んだ。だが手錠をかけられている憲兵は間もなく水流の中央に浮かび上がった。そこを狙《ねら》って弾丸が集中した。たちまち黄色い水流が赤く染まった。赤い水面の下に元憲兵の姿は沈んで、今度は二度と浮かんで来なかった。元憲兵は、最後の一歩まで、故国に近づこうとして死んだのである。  最後に前市長が残された。彼は落ち着いていた。さすが大物らしく貫禄《かんろく》のある厚みのある態度には一毫《いちごう》の恐怖もなかった。命令と共に彼はゆっくりと歩み始めた。首をまっすぐ上げ、対岸を一直線に見つめて歩く彼の視線は、絶望から目を逸《そ》らさずに、それをひたと見据えているようであった。  前の元憲兵に虚をつかれたので今度は八路兵も油断なく構えている。手旗が降り下ろされた。一斉射撃の弾着の交点で、前市長はガクリと膝を折り、上体を前かがみにしてゆっくりと倒れた。処刑は終った。朱に染まった死体の上に風花《かざはな》が舞っていた。  そのとき雷震が立ち上がった。「ショークイズ、従《つ》いて来い」彼は命じると前市長の死体の傍に走り寄った。森永が携行してきた手術用具を出させると、死体の上衣を剥ぎ取り、上半身を晒《さら》した。メスで首元から一気に臍《へそ》上まで切り開くと、肋骨を切断刀で切除し、心臓を取り出した。 「ショークイズ、何をしている。容器の蓋《ふた》を取れ」  茫然として立ちすくんでいる森永を叱咤《しつた》した雷震は、手につかんだ心臓をホルマリン容器の中に浸した。  731では日常のことであったが、森永が解剖の実際を見るのは初めてであった。雷震は新鮮な心臓の標本が欲しくて、それを日本人の死体から取ったのである。  ようやく我に返った森永は、「日本人を選んで心臓を標本にするなんてひどいじゃないか」と泣いて抗議した。雷震は森永のあまりに凄まじい見幕に当惑していたが、面を伏せたまま、「|すまなかった《トイプチ》」と詫びた。  中国人医師として、いかに反動分子でも同民族の死体を切り開くのはためらわれる。「東洋鬼」ならば標本にもってこいだと判断したのであろうが、このとき森永は雷震との間に日中両国に穿《うが》たれた深刻な溝を感じた。  八路軍はやはり自分の骨を埋める場所ではない。最後の一歩まで日本を目指して鴨緑江の流れの底に沈んだ元憲兵の凄惨《せいさん》な最期が残像となって瞼に焼きついていた。雷震は決して森永を手放さないだろう。彼は脱走を決意した。  第八後方部はその後もめまぐるしく転戦した。ジャンクに乗って鴨緑江を水豊まで溯《さかのぼ》り、さらにその北方の寛甸《カンデン》へ移動した。ここで日本人医師団と看護婦が解放された。だが森永は八路軍の軍医扱いなので帰国は許されなかった。  六月上旬のある日、森永は寛甸で遂に脱出を決行した。夜半、兵舎を脱け出した森永は南へ走った。だが途中で道に迷い、うろうろしている間に歩哨《ほしよう》に見つかってしまった。脱走は銃殺である。  処刑は翌日と決定した夜、森永は雷震に会わせてくれと頼んだ。ようやく雷震の前に連れて行かれた森永は、二度と脱走などしないから救けてくれと頼んだ。雷震の奔走と、これまでの森永の実績をかわれて、処刑は中止された。  森永は雷震に二度命を救われた形になった。森永の処刑が中止されたとき、雷震は言った。 「二度と逃げようなどという考えを起こしてはいけない。今度は私も庇《かば》いきれなくなる」  それ以後森永に対する監視は一段と強化された。四六時中監視兵の目が光っていた。だが一度点火された望郷の想いは阻止されるほど強くなった。  彼の胸の裡《うち》を見透したように監視兵は片時たりとも目を離さなかった。特に初めから付いていた張孚《チヤンフー》という同年輩の少年兵は起居を共にして「逃げようとすれば、私はあなたを殺さなければならない。私はあなたを殺したくない。おねがいだから逃げないでくれ」と訴えた。  少年同士の間には、相対立する立場を越えて友情が芽生えていた。だが森永の望郷の念は、その友情をも越えるものであった。森永は脱走のためには張孚を殺すのも止むを得ないと決心した。森永は決行の機会をじっとうかがっていた。  数日後の夕方張孚と共に、鴨緑江の岸辺を歩いていた。夏が近く、鴨緑江の水は豊かで、対岸は夕靄《ゆうもや》の中に霞《かす》んでいた。西の空に盥《たらい》ほどもある夕日がゆっくりと落ちて行く。�緑江�が夕映に染色されて赤く見える。岸辺に八路軍のオール付きのボートが舫《もや》ってあった。 「なあチャン、ぼくには日本に両親がいる。きょうだいも待っている」  森永は対岸に遠い目を向けて言った。  ボートを漕《こ》いで渡河すれば朝鮮である。郷愁が吹きつけるように募った。張孚の面に当惑が揺れた。 「おれは日本人だ。祖国へ帰りたい。見逃してくれないか」  森永はすかさずつけ込んだ。 「|だめだよ《シヨマ》。|それはいけない《ブシン》」  張孚は一瞬の当惑を抑えてきっぱりと言った。これで森永は張孚を殺す以外に脱出の道は開けないのを悟った。  翌日の夜十時ごろ就寝して間もなく、雷震から急の手術があるので手伝ってくれという伝令が来た。直ちに出かける支度をしていると、張孚も身支度をした。 「自分一人でよい。きみは寝ていろ」  と言っても、張孚は聞き入れない。武装をして付いて来た。森永は今夜が脱出の最後のチャンスだとおもった。また転戦して鴨緑江から遠ざかってしまえば、もはや機会はない。空は厚い雲におおわれて暗い夜であった。  兵舎から野戦病院まで川岸を歩く。対岸も闇に塗り潰されている。病院の建物が見えてきた。張孚が一瞬気を抜いた隙《すき》を突いて、隠しもっていた石で後頭部を撲《なぐ》った。張孚はのどの奥で呻《うめ》いて倒れた。森永はその手から銃を奪った。主客は転倒した。銃をもって逃げかけた森永の足に地上に倒れていた張孚がしがみついた。 「チャン、離せ、行かせてくれ」 「ショマ、ブシン」 「頼む。きみを殺したくないのだ」 「ショマ、ブシン」  二人は必死に争った。森永はできれば張孚を殺したくなかったが、止むを得ないと決心した。銃口を突きつけて、まさに引き金を引こうとしたとき、背後に声がかかった。 「チャンフーを殺してはいけない」  いつの間にか雷震が来ていて拳銃を構えていた。森永が遅いので様子を見に来たらしい。銃を奪い返された、チャンスは潰《つい》えた。 「森永《スンユン》、おまえそんなに日本へ帰りたいか」  雷震が言った。 「帰りたい。日本は私の祖国だ」  二度目の脱走に失敗したので、今度こそ銃殺は免れない。森永の視野は周囲の闇よりも濃い絶望に塗りつぶされていた。 「おまえそんなに帰りたいのなら帰ってよい」  雷震に言われて、森永はキョトンとした。言われたことの意味が直ちに理解できなかったのである。 「あとは私がなんとかする。このまま逃げろ」 「本当にいいのか」  ようやく意味を理解しても信じられない。 「早く行け。巡視兵が来るとまずい」  雷震はうながした。雷震に礼も言わずに森永は川へ向かって走りだした。—— [#改ページ]  未遂まんじゅう      1 「八路軍のボートでようやく対岸へ漕ぎついた私は、南へ歩いているうちに朝鮮人民義勇軍の兵士に捕まり、新義州の日本人収容所へ連行されました。さらに興南の収容所へと回送され、そこに昭和二十三年の二月末まで収容されました。朝鮮にさえ脱出できれば、すぐにも日本へ帰れるとおもっていたのが、当てがはずれて、いつ帰国できるのかまったくわかりませんでした。収容所には約三百人の日本人が入れられていましたが、粗食と重労働でバタバタ死んでいきました。八路軍では軍医として扱われましたが、ここではソ連軍監視下の収容所の捕虜でした。不思議なことに私は収容所の中から日本の空より、脱出して来た中国の空の方を見ていたのです。  いまにして雷震の愛情が身に沁み、彼の許へ帰りたがっていたのです。反面、こんな所で死んではせっかくの雷震の好意を無にしてしまうとおもい、頑張りました。引揚船に乗ったのは昭和二十三年三月末でした」  森永はようやく731以後帰国するまでの長い身上話を終った。 「雷震に妹がいたという話を聞きませんでしたか」  棟居は藪下から楊君里の身許を初めて明らかにされたとき、彼女の兄が八路軍の軍医をしていたと聞いたのである。雷震も姓が楊である。 「雷震は身上話をしたことはありませんが、妹がいるというはなしは聞きませんでしたね。妹がどうかしたのですか」  森永は反問した。棟居が楊君里についてざっと説明をすると、 「私も一度だけですが、赤ん坊連れの女マルタを見たことがありますよ」 「それはいつごろのことですか」 「昭和十九年の六月の末頃だったとおもいます。私は、太陽の光を浴びたくなってロ号棟の屋上へ上がって行ったところ、中庭の方角で鎖を引きずるような音がしたのでハッとして見下ろすと、マルタが鎖につながれたまま運動を許されている最中でした。彼らが歩き回る都度チャリチャリという音がしていました。その中に一人、一歳ぐらいのよちよち歩きの子供を連れている女マルタがいました。他のマルタはみな手錠をはめられていましたが、その女マルタだけは手足を自由にされていました。子供と手をつないで散歩している女マルタを見たとき私は、ポケットに入れていたキャラメルを投げてやりたい衝動に駆られたものです。色白で小柄な女マルタでしたが、いまでもあの母子《おやこ》の姿は目に焼きついています」  昭和十九年六月というと、楊君里の出産前であるから別の女マルタにちがいない。楊君里の子供は生まれると同時にすり替えられたのであるから、その女マルタは731に送り込まれる前すでに出産していたのだろう。鬼の731隊員も子連れの女マルタに対しては特別の感情が働いたようである。 「カメラは雷震の許においてきたのですか」  棟居は質問の鉾先《ほこさき》を変えた。 「着のみ着のままで逃げ出して来たので、私物は一切八路軍の兵舎においてきました。それがその後どうなったかわかりません。私物をもって逃げたところで、朝鮮軍にみんな没収されてしまったでしょう。私が今日こうしていられるのは、すべて雷震のおかげです。あの人には三度命を救けてもらいました。あの人だけにはもう一度会って礼を言いたいとおもっています」 「その後雷震がどうなったかわかりませんか」 「わかりません。当時四十歳前後でしたから健在ならば、七十を越えているはずです。私を逃がしたことで懲罰されなければよいのですが」 「八路軍の軍医として権威があったようだから、多分大丈夫だよ」  寺尾が慰めるように言った。 「まあ、それを祈っているんだがね」  森永の茫々たる表情に一抹の感傷が浮かんだ。彼の表情は戦乱の中国大陸で出会った中国軍軍医との交流を追っているようであった。これも731から変転派生した運命の軌跡である。 「ところで森永さんは、どうしてこちらの藪下院長を訪ねて来られたのですか」  棟居は、身上話が一段落したところで、気にかかっていたことを質ねた。 「実は731時代に私は藪下先生に生命を救われたことがあるのです。雷震に三度救われたことと合わせて、私はよほどしぶとい人間だとおもいます」 「どんな風に救われたのですか」 「当時、隊内では�まんじゅう恐い事件�と呼ばれたのですが、731構内はセントラルヒーティング装置が行き届き、その高圧蒸気を利用して各研究班が夜食用まんじゅうをつくっておりました。私はある研究班でつくったまんじゅうを勧められるままに食べたところ、二日後に高熱を発し、脳障状態に陥りました。診察したところ、白血球が異常に減少していることがわかりました。そのとき私を手当してくれたのが藪下先生です。731部隊が開発した対チフス用ワクチンを注射してくれたおかげで危ない生命を取りとめたのです」 「そんないきさつがあったのですか。しかし、マルタだけでなく、少年隊員まで生体実験の材料に供するとは、731とは恐しい所ですね」 「零下三十度という酷寒の地にセントラルヒーティングを完備してふかふかと湯気のたつ毒まんじゅうをつくっている。いかにも日本人的な発想じゃありませんか。火の如く侵略しながら、斬り取った広大な版図のほんの片隅を囲って悪業を凝縮する。このあたり、通過した後は『およそ人間用いる所の物は尽《ことごと》く取りて以て去らざるなし』という徹底した掠奪を繰り広げた蒙古《もうこ》やバイキングと明らかに異なる国民性が現われています」  森永の�解説�によって、棟居は731の悪の本質を見たようにおもった。      2 「森永さんは731でどんなお仕事をされていたのですか」 「柄沢《からさわ》班に配置されて細菌の製造に携っておりました」  ——そこは731の経験と技術の粋を集めた巨大な細菌製造工場であった。ロ号棟総務部建物の真裏に更衣室と浴室があり、柄沢班員は職場に出勤する前に必ずそこで更衣と�入浴�をした。更衣室で素裸になり、白衣、白帽、多重ガーゼのマスクをつけ、ゴム製の前掛けで首から足首の上まで覆い、ゴム長靴を穿《は》く。これにゴム手袋と水中眼鏡のようなゴッグルをつけて�完防�(完全防衛)となる。  この姿で浴室に入る。浅いタイル張り浴槽には石炭酸液が充たしてある。浴槽の中をザブザブと渡って行くと渡り終えたところで、膝から下が完全に無菌となる。浴室の次に班員は滅菌室を通る。七メートル立方ほどのその部屋の天井から消毒液が班員の頭上に噴霧して全身を消毒した。培養基の寒天の上に被培養菌以外の菌を付着させないための完全滅菌である。 �工場�には、巨大な蒸気釜と培養基が四台据え付けられてあり、蒸気釜で寒天を溶かし、培養基に入れたものを高圧釜に入れる。この中で、百八十度から二百五十度の高温によって寒天を完全滅菌する。この工程後、培養基と寒天を冷却室に入れて固める。次に固形化した寒天を培養基ごと無菌室へ入れて、寒天の上に被培養菌を塗布する。  無菌室はおよそ三十畳くらいのガラス張りの部屋である。ここには二重の�関所�を通り抜けた隊員のみ入室を許される。  寒天への菌植え付けには「綿棒」と呼ばれるジュラルミン製の長さ五十センチ、鉛筆ほどの太さの棒先の綿に生菌をたっぷり沁み込ませたものを、手早く寒天の片面にくるくると塗布する。一回限りの塗布でムラなく植えつけなければならないので、かなりの熟練を要する。  作業中の班員は、�完防�に身を固めているので見分けがつかない。生菌を吸い込まないように作業中は一切無言であり、意思伝達はすべて身ぶり手ぶりで行なった。  菌植え付け後の培養基は培養室へ運ばれる。培養室は総銅板|葺《ぶ》きの広い部屋で天井に電灯が二個だけ点《とも》り暗室をおもわせた。培養室の温度は被培養菌種に合わせて二十度から八十度まで自由に調節できる。一日で繁殖する菌もあれば、一週間かかってコロニー(繁殖して目で見分けられる集塊となったもの)を形成する菌もあった。  寒天の栄養に育《はぐく》まれて菌は培養基の表面にドロリとした乳白のコロニーとなって増殖をつづける。頃合いよしと見て取ると、今度は「掻《か》き棒」と呼ぶ白金製の長さ五十センチ、先端が箆《へら》状になった棒で、培養基の上に盛り上がったコロニーをシャレーの中に掻き落とす。シャレーの底にたまったコロニーは甘酒の素のように見えた。そのトロリとした粘塊から独特の凶気が漂っていた。 �収穫�後の培養基は再び高圧釜に入れられ、完全に殺菌した後、解けた寒天は廃棄する。以上が細菌製造工程の一サイクルであった。殺菌後の寒天がまだしっかりしておれば再生してまた培養基に用いる。寒天は使用三回にして再生力を失った。  このようにして柄沢班においてペスト、チフス、コレラ、赤痢、破傷風、結核、脾脱疽《ひだつそ》、レプラ、ガス壊疽《えそ》等のあらゆる菌が製造されていった。  班員は、作業中、生菌に触れ、感染する危険に絶えず晒されていた。どんなに注意していても空中に粒子となって飛散した生菌が口中に入るのを避けきれない。工場の各所にリンゴが山積みされていて、班員たちは作業の一区切り毎にリンゴを齧《かじ》っては吐き出した。果肉に菌を吸い取らせて体外に排出させようとしたのである。—— 「リンゴなんかで獰猛《どうもう》な生菌を吸い取れるのですか」  棟居は原始的な排毒法に驚いた。 「気休めみたいなものでした。細菌製造の過程で多くの柄沢班員が殉職しました。窓のない廊下が三方に走るロ号棟一階の�工場�は昼でも薄暗く殉職隊員の幽霊が出ると噂されたほどです」 「リンゴの代わりにレモンを使いませんでしたか」 「レモン?」 「レモンも殺菌性があると聞きましたが」 「そう言えば、一部の研究班でマルタにレモンを齧らせて解熱したという話を聞いたことがあります」 「解熱に?」 「レモンには非常に強い解熱作用があって、当時ではレモンの汁を服ませるのが最大の解熱法だったそうです」  731にレモンは備えつけてあったのである。台湾産のレモンを731に常備することは可能であったろう。  だがレモンについては森永もそれ以上のことは知らなかった。 「千坂義典は、奥山さんの家に駆け込んで来たとき、あなたがおられたことを知っていましたか」  棟居は、質問を戻した。 「奥山さんが話さないかぎり知らないとおもいます。おそらく奥山さんは話さなかったでしょう」 「もしあのときあなたが奥山家におられたことを千坂が知っていたとしたら、あなたになんらかの対応をしたでしょうか」 「さあ、その辺はどうでしょうか。当時の技師は少年隊員にとって雲の上でしたからね。少年隊員の一人や二人がなにを言おうとものの数ではなかったでしょう。だからチフス菌入りの毒まんじゅうを平然と食わせて、生体実験の材料としたのです」  そのとき棟居の脳裡に光が走った。 「あなたに毒まんじゅうを食わせた研究班はどこだったのですか」 「岡本班です」 「岡本班! それでは千坂の所属していた班じゃないですか」 「そうですね」  森永はいま初めて気がついたような顔をした。 「あなたに毒まんじゅうを勧めたのはだれですか」 「技手の一人ですが、名前は知りません」 「それはいつごろのことでしたか」 「昭和二十年の二月初めだったと記憶しています」 「千坂が帰国する直前ですね」 「あなたは千坂が私の口を塞《ふさ》ぐために毒まんじゅうを食わせたというのですか」  森永はようやく棟居の示唆する意味を悟った。 「その可能性がないとは言えないとおもいます」 「しかし、まさか……」 「隊内で感染して殉職した隊員は少なくないのでしょう。細菌製造工場で働いていたあなたが、チフスに感染して亡くなったとしても、だれも疑惑はもたないとおもいます」  空中に飛散した生菌をリンゴに吸収させるような恐しい環境で働いている隊員を、細菌感染を偽装させて謀殺するのは、たやすいであろう。だが、森永はまだ半信半疑の体であった。 「あなたはそのことをなおってから言いましたか」 「藪下先生にしつこく聞かれたので話しました。それから熱が下がってから見舞に来てくれた教育部長にも話しました。後に岡本班は厳重に注意をうけたそうです。岡本班はまちがってマルタ用のまんじゅうを食わせてしまったと謝ったと聞きました」 「上層部がもみ消したのでしょうね。マルタ用の毒まんじゅうをあなた一人にまちがえてあたえるはずがない。最初からあなた一人を的にしていたのですよ」 「そう言えば藪下先生も同じようなことをおっしゃってました。まちがえたのなら、他にも発病者が出たはずだと……」  推測の域を出ないが、恐しい謀殺の構図が浮かび上がってきた。だがいまとなってはそれを証明することができない。      3  森永の証言によって千坂の疑惑はいっそうに固まった。寺尾春美が死んだ夜、千坂は奥山に救いを求めて来た。奥山は千坂を救った。結局それが千坂の弱みとなり、奥山の命を縮める結果となった?  毒まんじゅう事件について藪下も原因の徹底究明を要求したが、なぜか上層部の態度が煮え切らず、「まちがい」ということで処理されたそうである。  まんじゅうについて詮索されることは、寺尾春美の死の真相につながる恐れがある。同女に関係ある上層部が寄ってたかって事件をもみ消したという推測が可能である。  日は徒《いたず》らに経過していった。捜査は膠着《こうちやく》し、捜査本部はいまや末期的症状を呈していた。犯人像を追って731元隊員の間を回り歩き、同部隊の恐るべき実像が浮かび上がってきたが、犯人を仕留める物証は得られない。  四面楚歌《しめんそか》の捜査本部に、意外な方角から途方もない新事実が現われてきた。 [#改ページ]  再会した時効      1  その朝、出勤前になにげなく新聞に視線を走らせた棟居《むねすえ》は、国際面の一隅にふと目を留めた。そこには「日本陸軍細菌戦部隊秘話」と題して、米、機密資料の独占を図り、隊員を戦犯から免罪——と見出しが出ていた。  棟居は、記事を追った。その大要は次の通りであった。  ——ワシントン××日=××特派員[#「ワシントン××日=××特派員」に傍点]米月刊誌「ブルティン・オブ・アトミック・サイエンス」誌に発表された中国系米人ジャーナリスト、ジョン・ローレル氏が米国の情報公開法に基づき入手した最高機密資料に拠《よ》る論文によれば、一九四五年八月まで当時の満州ハルピン郊外で細菌兵器の開発生産を行ない、捕虜三千人以上に対して人体実験を実行した731部隊(隊長石井四郎中将)の研究成果を独占的に確保するため、米国は、同部隊の人体実験の犠牲者の中に米国人がいたことを承知しながら、この事実を隠し、石井隊長を始めいかなる隊員も極東軍事裁判において起訴しないことにする決定をした。これは日本軍の細菌戦情報はソ連にはほとんど流れておらず、裁判にすると731部隊の研究成果を証拠として公開せざるを得なくなり、ソ連側にも明らかにされ、米国の防衛と国家の安全保障上きわめて好ましくないからである。——  記事の要旨は以上であったが、終戦時米国と731部隊との間に戦犯免責をめぐっての裏取引きがあった事実は、元隊員たちの間でささやかれていたことでもあった。  棟居の意識に引っかかったのは、その論文の筆者、ジョン・ローレルである。ジョン・ローレル、どこかで聞いたような名前であった。それもつい最近である。「中国系米人ジャーナリスト」というからには「中国人の二世」であるのか。ジョン・ローレルと楊雷震《ヤンローレイ》(中国読み)の名前が重なり合った。そうだ、どこかで聞いたようにおもったのは、八路軍《はちろぐん》の軍医、楊雷震に似ていたからである。それを米国式に直せば、ジョン・ローレルになりそうであった。  日本でも同姓同名はよくある。おそらく偶然の一致であろう。  だが本当に偶然の一致であろうか。ジョン・ローレルは戦後三十七年してなぜ、旧日本軍が行なった悪業に関心を抱いたのであろうか。単にジャーナリストとしての関心だけではなく、ジョン・ローレル自身が731に対して個人的関わりがあるのではないのか。  棟居はそれを確かめたくなった。紙面にはジョン・ローレルの小さな顔写真が載っていた。彼は早速、大分にいる元731少年隊員、森永清人に連絡を取った。  森永はまだその新聞記事を読んでいなかった。ローレル論文の記事が掲載されたのは、たまたま棟居が購読していた一紙だけである。記事もそれほど大きな扱いではなかったから、森永の目に触れなかったとしても不思議はない。  森永は、早速同じ新聞を購読している知己から借りて、折り返し返事をよこした。それによると、「三十何年も前に別れたので断定できないが、楊雷震によく似ている」ということであった。  森永も命の恩人らしき人物の消息におもいがけなく接したので、興奮している気配であった。 「早速、新聞社に問い合わせて、ジョン・ローレル氏に連絡を取るつもりです。もしこの人が雷震ならば、アメリカまで会いに行きたいとおもっています」  感情をめったに現わさない森永の声が明るく弾んでいた。  だが森永の問い合わせを待つまでもなく、数日後、ローレルの身許《みもと》が判明した。ローレル論文は日本のマスコミの関心を喚《よ》び、別の雑誌がローレル論文の大要と筆者とのインタビュー記事を掲載した。その中に、  ——ソ連軍がソ満国境を越え進軍を開始した一九四五年八月九日深夜といえば、日本の無条件降伏が一週後に迫っていたときである。この間数日の猶予期間を使って日本軍は中国にある細菌戦用施設を破壊し、生き残っていた捕虜を(一人の例外を除いて)殺害し、大部分の隊員と貴重な資料、機材を南朝鮮に運び出した。貴重な資料、機材とは長年にわたって蓄積した生体実験のスライドと研究記録である。米政府の機密文書は、こうした資料、機材が成功|裡《り》に日本へ運び込まれた事実を明らかにしている——  という一文があり、これに基づいてローレルと記者との一問一答がある。  ——捕虜は、全員殺害されたと聞いたが、生き残った者がいるのか—— 「一人だけ生き残った。それは女マルタで、元隊員数名の協力の下に、救出された」  ——彼女だけがなぜ救われたのか—— 「マルタは主として抗日中国人、八路軍兵士、ソ連軍兵士、朝鮮人などによって構成されていたが、彼女は平和主義的日本人ジャーナリストの内縁の妻だった。そのために�夫�の友人知己である元731隊員が救出した」  ——それも情報公開法に基づいてあなたが入手した機密資料の中にあったのか—— 「ちがう。これは私が個人的ルートによって知った隠されていた事実である」  ——あなたの個人的ルートとはどんなルートか。さしつかえなければ話していただきたい。—— 「べつにさしつかえはない。マルタのただ一人の生存者は、私の妹である。妹から聞いたところによると、私の弟も731の生体実験の犠牲になったらしい」  ——あなたの妹! すると現在存命しているのか—— 「元気でいれば、現在、五十八、九歳になっているとおもう。中国のどこかにいるのではないか」  ——あなたは、妹さんが救出された日本の敗戦時どこで何をしておられたのか—— 「八路軍第八後方部で軍医をしていた」  ——その後どういう経緯でアメリカへ来たのか—— 「その経緯は長くなるし、関係ないことだからノー・コメントにする。今回明らかにしたものは情報公開法に基づいて入手した機密資料であるが、私が個人的に保存している資料もある」  ——個人的に保存している資料とは何か—— 「私の妹の�夫�が殺された。犯人は731関係者であると推測している」  ——あなたは犯人を知っているのか—— 「犯人を推測する資料をもっている。犯人については日本の法律においてとうに時効が完成している」  ——犯人を推測する資料とは何か—— 「ノー・コメント。いまさら時効が完成している古い犯人を穿り出しても仕方がない」  質疑応答はまだつづけられていたが、棟居の興味を惹《ひ》いたのは、以上である。ともかくこのインタビュー記事によってジョン・ローレルと楊雷震が同一人物であることが確定した。棟居はローレルが個人的に保存しているという資料に興味をもった。それは犯人を推測する資料だという。  当時八路軍にいた雷震がどうやってその資料を得られたのか。考えられるのは、731から救出された妹、楊君里の線である。ローレル自身、「妹から弟が生体実験の犠牲になったらしいと聞いた」と言っているところを見ると、二人は接触したと考えられる。彼の「個人的資料」は、この接触において得られたものであろう。  楊君里の�夫�である山本を殺害した犯人を推測する資料とは何か。もし犯人が存命でこのインタビュー記事を読んだらどうおもうか。時効完成後として涼しい顔をしていられるか。  山本を殺害した犯人は楊君里と弟を731に送り込み生体解剖の実験材料にさせてしまったのではないのか。  藪下から聞いたところによると、山本が殺されて二、三日後に少年が送られて来てその二日後に解剖されたということである。死体の解剖であれば、死体の鮮度《イキ》がよいほど良好な標本が得られるので、解剖を急ぐということはあるが、生体の場合は急ぐ必要がない。それにもかかわらず、少年は送り込まれて二日後に解剖された。  ここに犯人の意志が働いていると考えられた。少年は犯人にとってなにか都合の悪いことを知っていたのではないのか。そのために解剖を急がれた。もしそうであれば、犯人は解剖担当班に影響力をもっている人間ということになる。  少年の解剖を執刀したのは、石川班ということであるが、岡本班との連係の下にあり、両班は間もなく合併してしまうから、犯人は両班に顔がきいたと考えられる、この辺に犯人と千坂義典とのつながりもありそうである。  棟居は、ジョン・ローレルに会ってみたくなった。彼はいまさら時効の完成した古い犯人を穿り出す気はないと、インタビューに答えたが、刑事の立場から説得すれば、また別の反応を得られるかもしれない。  だがローレルは海を越えたアメリカにいる。ましてや本件(楊君里と奥山謹二郎の曖昧死《あいまいし》)にどのように関わっていくかわからない捜査にアメリカへ出張させられることはあり得ない。ICPO(国際刑事警察機構)を動かすほどの関連性は認められない。棟居があきらめかけたとき、意外な形でジョン・ローレルとの間に連絡がつけられたのである。      2  森永に報《し》らせて確認を取る前に彼の方から棟居の許に連絡がきた。今度は逸速《いちはや》く雑誌を読んだらしい。 「雑誌のインタビュー記事を読みました。今度はジョン・ローレルの鮮明な写真も何枚かあります。まぎれもなく楊雷震です。私の恩人にまちがいありません」 「やっぱりそうでしたか。八路軍の軍医とあったので、まず同一人物とおもったのですが」 「それでアメリカへ行って来ようとおもいます。ジョン・ローレル氏はサンフランシスコに住んでいます。シスコなら九時間ほどで行けますので」  森永は国内旅行するような気軽さで言った。棟居はそんな彼の身軽さが羨《うらやま》しかった。単に身軽であるだけでなく、サンフランシスコ如きに距離感を覚えないのであろう。 「できれば私もご一緒したいのですが、宮仕えの身はままなりません」 「私にできることがあればお手伝いしますよ。楊君里の兄がジョン・ローレルであることがわかったのですから」 「それは有難い。実は渡米されるようであればおねがいしたいと考えていたところなのです。私が説得するよりも、雷震と親しかったあなたから直接頼んでもらったほうが効き目があるでしょう」 「どんなことですか」 「雑誌に紹介されていたでしょう。ローレル氏が個人的に保存しているという資料を借りたいのです」 「楊君里の�夫�殺しの犯人を推測させるという資料ですね。それが楊君里の事件に関係があるのですか」 「わかりません。つながっていくかもしれないし、いかないかもしれない。ただ、私も楊君里の夫を殺した犯人を知りたいのです。知ってもいまとなってはどうにもなりませんが」 「承知いたしました。ローレル氏を説得してみましょう」  東京からサンフランシスコまで九—十時間の飛行である。東京を夕方|発《た》ち、太平洋上で朝を迎え、午前十時から十一時ごろにサンフランシスコへ着く。これは時差が七時間あるからである。  森永は、初めて機上から眺めるアメリカ大陸に感慨無量であった。かつて敵として戦った国を初めて訪れるのである。たった九時間余の飛行であるが、その間に跨《また》ぎ越したものは単に太平洋の距離だけではない。いま森永の胸裡《きようり》には、無量のおもいが鬩《せめ》ぎ合っていた。  ジョン・ローレルにはすでに連絡がついている。彼は楊雷震であることを認め、森永の無事の消息を喜び、再会を熱望した。空港までローレルは迎えに来ることになっている。  スチュワーデスが機のサンフランシスコ空港接近を伝えた。機内が騒《ざわ》めき、窓際の乗客は一斉に窓外を見下す。幸いに窓際の席を取れた森永は、徐々に高度を下げていく機窓から初めてのアメリカ大陸に熱い視線を向けていた。  音に聞こえた金門橋《きんもんきよう》や海に臨んだ美しい市街は、方角がちがうのか視野に入らない。陸地の遠方に水たまりのように見えた湖水は、視野からはずれ、ほぼ一直線に走る海岸線を越えると、機体はすでにアメリカ本土の上にあった。日本とちがい、褐色の大地に、明らかに植林とわかる緑が整然と嵌《は》めこまれ、それぞれの位置に人家が密集している。茶筒形のガスタンクが日の光に輝く。ハイウェイがうねり、無数の車が虫のように這《は》っている。駐車場なのか、升《ます》目に刻まれた道路に夥《おびただ》しい数の車が駐まっている。運河が直線の軌条《きじよう》を画いている。初めて見るアメリカの大地である。  感慨深く見下している彼の視野の下に陸地が切れて再び海が見えてきた。  青い画布を広げたような水面に玩具《がんぐ》のような船が固定されている。地図で確かめるとサンフランシスコ湾である。すぐ眼の下を小型機が数機飛んでいる。機は旋回しながらますます高度を下げている。赤茶けた干拓地がせり上がってきた。騒《ざわ》めいていた乗客は、いまはみなシートベルトを締めて神妙にしていた。  サンフランシスコ空港は、市の南二十二キロに位置している。サンフランシスコ湾に面して造られた近代的大空港であるが、成田国際空港から飛び立って来た身には地方空港のように鄙《ひな》びて映った。着陸した機体が所定の位置まで地上滑走《タクシング》して駐機すると、|搭 乗 橋《ボーデイング・ブリツジ》が寄って来て、機体の出入口に接続した。  係員からOKサインが出て、ドアが開かれた。シートにベルトで固定されていた乗客たちが待ちかねたように動き出す、ボーディングブリッジを溯行《そこう》し、検疫所を通り、入国審査《イミグレーシヨン》を経て、税関を通り抜ければ、空港ロビーの中である。  到着客と出迎者があちこちで出会い、大袈裟《おおげさ》な交歓風景が繰り広げられる。当然のことながら耳につくのはほとんど英語であり、眼に触れるものは、個性のない空港ターミナルビルの中でありながらすべてエキゾチックであった。海流の影響と聞いたが、気温は、日本の五月並みである。空気の匂《にお》いまでが、成田とはちがうような気がした。  森永は、雷震の姿を探した。別れてから三十六年(別れたのは一九四六年六月)経っているからたがいに見過ごす恐れがある。きょろきょろ探し歩いたが、雷震らしい人物は見当たらない。ここで落ち合えなくても住所を聞いてあるから、いずれは出会えるのだが、土地不案内の森永は心細いことこの上ない。棟居や家人の手前、アメリカなど日本の庭先のようなものだと強がって出て来たが、英語は一語も解せず、土地不案内ときては、タクシーにすら乗れない。  森永が途方に暮れかけたとき、背後から、「ミスター、モリナガ?」と問いかけられた。  はっと振り向くと、高齢の痩《や》せた背の高い老人が立っていた。真っ白な髯《ひげ》をたらし、白い眉毛《まゆげ》の下に細い目が隠れかけている。 「オウ、森永《スンユン》」  と言ったなり、老人は絶句した。 「雷震先生」  森永も、同時にその老人の中に三十六年前の八路軍軍医のおもかげを見出していた。二人は駆け寄ってたがいの手を固く握り合った。彼らの間で三十六年の年月が一瞬の間に逆行した。  森永が八路軍の捕虜となって初めて雷震の前に連れて行かれたとき、森永が初めて手術をして、切断必至だった八路軍兵士の腕をつないだ記憶、肺炎になり高熱に冒され危篤状態に陥ったとき、雷震が戦場を駆け回って探して来た抗生物質によって、生命が救われた想い出、元安東市長の処刑死体から心臓を剔出《てきしゆつ》した雷震を詰《なじ》ったこと、そして雷震に見逃されての朝鮮への脱出行……これらの遠い過ぎ去ったことが一挙によみがえって懐古の嵐《あらし》を吹きつのらせる。  二人は手を握り合い、たがいの顔を見合ったまま立ちつくしていた。三十六年の星霜は、たがいの風貌《ふうぼう》にも時の工《たくみ》を刻みつけていた。  判断が素早く正確で、俊秀の八路軍軍医は、長い風霜の中に圭角《けいかく》を失い、白い髯と眉と無数の皺《しわ》の間に、年輪を空洞化した枯木のような遠く穏やかな表情を覗《のぞ》かせている。それに対する森永も往時の紅顔の少年ではなく、五十代に入っている。二人の共通語である中国語も、別れてからの長い年月の間にすっかり錆《さ》びついていた。 「|ま た 会 え て 嬉 し い《グラツド・トウ・ミート・ユー・アゲイン》」  ようやく雷震の口から言葉が出た。英語であった。 「再《ツアイ》次《ツー》見《チユー》到《タオ》|※[#「にんべん+尓」、unicode4f60]《ニイ》、很高《ヘンコオ》|※[#「内/一/八」]《シン》(再会できて嬉しいです)」  森永もようやく中国語で応じた。 「さあ、とにかく家へ来てください。それからきみに会わせたい人間がいます」  雷震は、中国語を記憶から引っ張り出すように訥々《とつとつ》と言って背後を振り返った。そこには五十半ばと見える初老の東洋人がいた。 「この人を憶えていますか」  雷震は茫々《ぼうぼう》たる表情で、その東洋人と森永の顔を見比べた。東洋人に多い平板ななんの特徴もない顔で、森永の記憶にまったく引っかからない。 「張孚《チヤンフー》だよ」 「張孚!」 「きみの護衛兵だった少年だ」 「ああ」  森永はのどの奥でうめいた。八路軍にいる間起居を共にした少年兵のおもかげが、目の前の初老の男の顔と重なった。雷震に制止されなかったら、脱出の夜に殺してしまったかもしれない男である。 「スンユン。久しぶりだね。会えて嬉しいよ」  張孚がにこにこ笑いながら手を差し出した。 「積もる話は、家へ行ってゆっくりしよう」  雷震が言い、張孚が森永の荷物を手に取った。  雷震の家は中心部から少しはずれた「チャーチ・ストリート」にあった。さすが「坂の街」だけあって、起伏の激しい道路が連続し、その真ん中を名物の路面電車がマイペースで走っている。  道路の両側にはスペイン風の白い建物が軒を連ねて、この街の歴史がスペイン人の入植によって始まったことを教えてくれる。道路には車だけが行きかい、歩道に人の姿は見えない。閑散とした市街に、白い家並みがカリフォルニアの太陽に輝いている。  雷震の家は坂の中腹の四つ角に面していた。薄緑のペンキで塗った二階建の建物で、一階が古道具の店舗になっている。ガラスのショーウインドウに金泥の文字で「アンティック—ローレルの店」と書かれている。かなり大きな店構えである。ショーウインドウの中には大時代なシャンデリアが所狭しと陳列されている。医者でも開業しているかと密《ひそ》かに予想していたのに反して雷震が古道具屋の主人に変身していたのに、森永は驚いた。 「|さあ着いた《ヒア・ウイ・アー》」  雷震が英語で言った。長いアメリカの生活で英語のほうが自然に口に出るのであろう。  車から下り立つと、店の右|脇《わき》にある通用口が内側から開かれ、品のよい白人の老婦人が笑顔を浮かべながら出迎えた。 「スンユン、私の妻のシルビアだ。シルビア、こちらがよく噂《うわさ》していたスンユン、いやモリナガだ」 「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ、ナイス・トゥ・ミート・ユー」  シルビア夫人はきれいな英語で挨拶《あいさつ》した。若いころの容色を偲《しの》ばせる端正な面立ちである。 「まあとにかく中へ入ろう」  雷震に促されて、一同は屋内へ入った。入口から古い階段が二階へつづいている。木造の手摺《てすり》は、その家の古さと住人の人柄を示すようによく磨き込まれてあった。途中小さなフロアがあって、民芸品らしい竹の籠《かご》が飾られてある。  導き入れられた部屋は、十畳ほどの居間である。部屋の中央に樫材《かしざい》のティーテーブルがあり、それに添ってL字形の長いソファと、三脚の単独《セパレート》のソファが配されている。  居間の壁に南宋《なんそう》画風の山水画や中国の絵皿が数枚飾られ、壁際のサイドボードには中国の酒瓶や古陶が並べてある。床には字模様の厚みのある中国|緞通《だんつう》が敷かれている。全体に中国の趣味で統一されている。  居間の両隣りはそれぞれ書斎と寝室になっているようである。家の中の気温はほどよく快い。屋内各部屋のドアはすべて開け放たれ、空間を広々と使えるような工夫が感ぜられる。家の中は居心地よく管理されており、家具調度すべて古く、手入れが行き届いている。管理と手入れに人肌の暖かみがあり、この家の住人が日常をよくコントロールして生活を楽しんでいる雰囲気が屋内のたたずまいから伝わってくる。  子供はいないのか、屋内はシンと静まり返っている。 「遠路の旅で疲れただろう、きみのために寝室を一つ空《あ》けておいたから、シャワーを使って一休みするとよい。一眠りしたら、みなで夕食にしよう」  雷震は居間の隣りの寝室を指さして言った。 「私は、ホテルに予約をしてあります」  初めて訪れる家に泊めてもらうつもりのなかった森永は、やや驚いて言った。 「なにを言うか、森永。古い友が三十何年ぶりに再会したというのに、ホテルへ泊まるという手はないだろう。きみが来るとわかってから妻は寝室の模様替えをして待っていたのだよ」  雷震は、首を振った。 「奥様にご迷惑をかけて申しわけありません」  森永は恐縮した。 「迷惑どころか、家内はきみが来るのを指折り数えて待っていた。腹はへっていないかね。寝《やす》む前になにか軽い物でも口に入れるかね」  雷震は少年時代の森永に言うような口調になった。彼の意識の中で三十六年の時間が逆行し、十八歳の森永を見ているのであろう。その分だけ雷震も若返っている。 「飛行機の中でよく眠ってきたので少しも眠くありません。それよりシャワーを使わせていただいてから、三人で話したい」  機内でよく眠ったというのは嘘《うそ》である。だが興奮していて、このままベッドに入っても眠れないことがわかっていた。 「もしきみがさしつかえなければ、私もそのほうが嬉しい。話したいことが山ほどある」  雷震も嬉しそうに答えた。シャワーを使って着替えをし、居間へ戻ると、コーヒーとオレンジの芳香が混じり合って室内に広がっていた。 「家内自慢のコーヒーを点《た》てておいた。アメリカンではない、本格のコーヒーだよ。日本人は濃いコーヒーが好きだからね」  意識がやや時差ボケしている森永に、濃い本格のコーヒーは有難かった。  ティーテーブルの上にはコーヒーカップの他に新鮮なオレンジとサンドイッチが置かれてある。 「ディナーの前の胃の腑《ふ》だましにどうかね」  雷震がコーヒーと共に勧めた。シャワーとコーヒーとカリフォルニアオレンジで人心地ついた森永は、改めて雷震と張孚と久闊《きゆうかつ》を叙した。 「先生のお写真を新聞で拝見したときは、まさかとおもいました」 「私も、まさかきみが日本から訪ねて来るとは予想もしていなかった」 「あなたから問い合わせがあったとき、スンユンだとはおもわなかった」  張孚も話に加わった。シルビア夫人はキチンに退いて三人のために中国茶を淹《い》れ直したり、スナックを運んだりしている。  おもいで話は弾み、尽きることがなかった。 「先生と張孚はどうして米国へ来たのですか」  おもいで話と別れてからの森永の身上話が一段落した間隙《かんげき》をついて、森永は、質《たず》ねたいとおもっていた質問を発した。  雷震はチラと張孚の顔をうかがった。二人の間でなにかの合図がなされた気配である。 「さしつかえのあることでしたら、けっこうですが」  二人の様子から、森永はいまの質問になにかの抵抗があるのを感じた。 「いやべつにさしつかえがあるわけではないが」  語尾を濁して雷震はなおためらっている気配である。 「これはどうも余計なことをお質ねしたようです。どうぞお忘れください」 「実は、先生がアメリカへ来たのは、きみから発していることなのだよ」  張孚が口を開いた。 「張孚……」  雷震が制止しかけるのを無視して、 「きみが脱走したのを見逃した罪を咎《とが》められて、先生は八路軍から追放されたのだ」 「私が脱走したのを咎められて……」  森永は愕然《がくぜん》とした。初めて聞く意外な真相であった。 「先生が普通の兵士であったなら銃殺になったところだった。軍医としてのそれまでの功績があったので、追放刑に留まったのだ。私もきみの護衛兵としての責任を問われて銃殺に処せられるところを先生のおかげでたすかったんだよ。先生が罪を全部引っかぶってくださったんだ」 「雷震先生」——本当ですかと問う目を向けると、 「古いことだよ、気にすることはない。八路軍に残る気があれば残れたのだ。だが私には、医学以上に関心を惹かれているものがあった。それは文学だった。自分自身が書くよりも、中国の秀れた文学を世界に紹介するような仕事をかねてよりしたいとおもっていたのだ。そこで追放を機会にその方面に転向を図った。張孚も私と一緒に来たがった。森永を逃がしたことについて張孚の責任はない。私の証言で、張孚は無罪になったのだが、張孚は私と共に来たがった。  私にはきみがいなくなった後、張孚がきみのような気がしてきた。こうして私は張孚を連れて上海《シヤンハイ》へ行った。そこで米国人の大金持で政治に野心をもっているアンダーヒルという男と知り合いになった。政治家になるにはマスコミとつながりをもつのが手っ取り早い。アンダーヒルは『チャイナ・イン・レビュー』という雑誌を買収して自分のプロパガンダ誌としていた。  アンダーヒルはチャイナ・イン・レビューにおいて中国文芸の紹介をしていたが、間もなくアンダーヒルが金を出してくれて、私は中国文学の翻訳会社を設立した。  アンダーヒルには商才もあり、翻訳会社は好調だった。一九四九年一月共産軍は北京《ペキン》を陥れ、同年十月、中華人民共和国が樹立された。さらに翌年六月朝鮮戦争が勃発《ぼつぱつ》した。そこで私はアメリカ軍が細菌戦を行なったというニュースを聞いた。その方法は寧波《ニンポウ》において731部隊が行なった細菌戦と酷似していた。陶器爆弾、噴撒《ふんさつ》の方法によりバクテリア、ヴィールス、その他の毒素で汚染された生物が投下された後、ペスト、コレラ、炭疸《たんそ》病、流行性出血性熱病などが流行した。  私はこの事実に大変にショックをうけて、元731のメンバーが米軍に密かに協力して細菌戦を展開したにちがいないとおもった。私は弟妹が731の捕虜となり、弟は731の生体実験の犠牲となったので、特に同部隊の動向には関心をもっていたのだ」 「弟さんが生体実験の犠牲となったのをどうして知ったのですか」  森永はようやく口をはさんだ。 「妹から聞いたのだ」 「妹さんはどうして知っていたのでしょう」 「妹を救出してくれた731隊員から聞かされたそうだ」 「妹さんとはいつお会いになって、いつ別れたのですか」  森永が雷震の許にいるとき、妹が訪ねて来た形跡はなかったのである。森永は雷震に731の経歴を隠していたので、雷震も彼に妹の消息を質ねなかった。 「私がチャイナ・イン・レビューに書くようになってからだよ。私の文章がたまたま彼女の目に入って、上海まで訪ねて来た。妹も少し英語を解したので、私が米国へ来るまで、しばらくそこで翻訳の仕事を手伝ってもらった」 「それでいつ米国へ渡られたのですか」  雷震が渡米後の妹の消息を知っているか確かめたかったが、森永は、当面している質問を急いだ。 「私は米軍細菌戦のルーツに興味をもったが、それから間もなく、チャイナ・イン・レビューはつぶれた。当然翻訳会社も空中分解した。アンダーヒルは、本国への引揚げを決意して、私にも一緒に来ないかと誘ってくれた。私はかねがね米国へ行きたいとおもっていたので、その機会におもいきって渡米することにした。張孚と妹を誘うと、妹は中国を離れたくないと言うので、止《や》むを得ず、私と張孚の二人で渡米したのだ。その後妹がどうなったか知らない。元気にしていれば五十八歳ぐらいになっているはずだが。幸福に暮らしていればよいがといつも念じているよ」  やはり雷震は楊君里を見舞った悲運を知らなかった。それをこれから彼に告げるという重苦しい役目が森永に課せられたのである。森永はそのいやな役目をできるだけ後に回すことにした。 「アメリカへ移住されてから今日までもいろいろとご苦労があったことでしょうね」 「渡米してからはもっぱら中国革命や米国政府の対中国政策をめぐる論評などを書いて生計を立てた。間もなく私はシルビアと結婚し、米国の市民権を取得した。中国問題評論家という肩書があたえられて、どうにか筆一本で生活できるようになったとき、米ソの冷戦が始まった。  マッカーシズムの嵐が米上院に吹き荒れ、これと並行して、ジャーナー委員会《コミツテイ》というものが議会に設けられた。ジャーナー議員が、マッカーシーと歩調を合わせて、反《アンチ》米活動をした疑いのある民間人や公務員、文化人を名指しで国会へ召喚し、裁判にかけた。  私は、書いた論文のいくつかが引っかかって、ジャーナー委員会に召喚された。私は、朝鮮戦争において、米軍が日本の元細菌戦部隊メンバーと協力して細菌戦を実行した事実を調べていた。ところが、ジャーナー委員会のチェックによって私の調査は中断された。  私はジャーナー委員会《コミツテイ》によって、『米国政府を打倒するような原稿を書いている』と弾劾《だんがい》され、私のやっていた学校講師や評論家としての文筆の仕事を事実上|剥奪《はくだつ》された。そして裁判がはじまった。私の朝鮮戦争(細菌を使用した)について書いた論文が虚偽であり、米国政府を傷つけるものであるとして起訴された。  裁判は何年も何年も続いた。私は公判廷で、日本の第731部隊について、GHQ当局が作成した文書があるはずだ、その公文書《ドキユメント》を証拠として採用せよ、と主張した。米国は民主主義国家であり表現の自由を保障しているはずではないか、と主張し、争った。政府から、何とかしてドキュメントを提出させよう、と考えたからである。  私の主張の前に政府の立場は悪くなった。秘密にしている公文書を法廷に提出したくなかったからだ。突然、公判は結審を迎え、一九六一年に『これ以上ミスター・ローレルの裁判を続ける必要はない』という判決が出た。判決というよりも、正確にいえば、政府が起訴を取り下げたのである。  ジャーナー委員会で指弾されていた期間(一九五六年—六〇年)は、一番生活が苦しかった。あらゆるマスコミから締め出され、文筆による収入の道は跡絶《とだ》えた。アンダーヒルからの援助はなかった。私は友人から借金して一軒の中古の家を買い、張孚と二人でそれを修理して手入れをしては売り、又次の家を買い、修理して売り……と十四軒も家の転売で細々と食いつないだ。一九六〇年の終りになって、たまたま中古の家の転売で集まった中古家具を売りに出したところ、これが中古家具ブームで当たった。そこでシルビアと二人で、アンティックの店を出して現在に至っている。  私は米国市民となってからも母国の中国を愛している。妹を通して石井部隊に、さらに朝鮮戦争を通して米国と石井部隊の関連に疑惑と関心を抱き、そこからジャーナー委員会に召喚される原因となった論文を書いたのだ。  私の論文は人間を大量に殺戮《さつりく》する細菌兵器を二度とつくるべきではないという主張に貫かれており、石井部隊の研究成果を引き継ぐことは人類が犯した極悪非道の一つを相続することであるという主旨であるが、それがジャーナー委員会に反米的と映ったようだ」  雷震の長い身上話は終った。三人とも疲労していたが、まだ話し足りないおもいが胸の中に溢《あふ》れている。 「先生の妹さんは楊君里とおっしゃいませんか」  雷震の身上話が終ったところで、森永は、これまで保留していた質問を発した。  救われたマルタは一人しかいないことがわかっているので確かめるまでもない質問であったが、まだ、雷震の妹の名を彼から確認していなかった。 「やっぱりきみは私の妹を知っていたのだね。きみが731元隊員だということは知っていたよ」  雷震は少しも驚かずに淡々と言った。むしろ森永のほうが雷震の知識に驚いた。 「先生はどうしてそのことを!?」 「写真だよ。きみは脱走した後カメラを残していったのを憶《おぼ》えているかね。あの中にあったフィルムを後日現像して、きみが731元隊員であったことがわかったんだ」  森永はおもいだした。フィルムには隊内でのスナップが撮影されていた。まだ検閲前のフィルムであったから、撮影場所が731であることを示すような資料が写っていたかもしれない。すると、雷震は森永の脱走後、彼の経歴を知ったことになる。 「そうでしたか。あのフィルムをごらんになったのですか。経歴を隠していて申しわけありませんでした」 「少年にしてはずば抜けた医学の知識になにか曰《いわく》がありそうだとはおもっていたのだがね、まさか731元隊員だとは知らなかったよ。フィルムを現像してからびっくり仰天したんだ」 「そのことも先生の立場を悪くしたのです」  張孚が註釈を入れた。 「先生は、その後妹さんがどうなったか、本当にご存知ないのですか」 「知らんね」  雷震は、森永の口調の含むものに、彼が妹の消息について知っている気配を嗅《か》ぎ取ったようである。 「妹さんは、昨年五月日本でお亡《な》くなりになりました」 「なんだって!?」  雷震の穏やかな目が見開かれた。 「それも原因不明の死に方で、日本の警察が捜査しております」  森永は、棟居から聞いてきた楊君里の死の概略を語って、 「そこで渡航前に日本の刑事から頼まれてきたのですが、刑事の言うには、妹さんの死には、パートナーであった山本という日本人新聞記者の怪死とつながりがあるかもしれないそうなのです。先生は日本のマスコミのインタビューに妹さんの�夫�を殺した犯人を推測する資料をもっていると答えておられますね。刑事はその資料を欲しがっています」 「刑事は妹が殺されたのが山本の死につながっているかもしれないと言ったのかね」  雷震の目が光った。 「殺されたとは言いません。怪死と言ったのです。ハルピンの傅家甸《フウジヤーデン》で死体となって発見されたということですが、当時彼が731の不正を探っていたために消されたのではないかという疑いが強いそうです。その辺のいきさつは妹さんからお聞きになったのですか」 「そうだ。妹も山本が憲兵に殺されたのではないかと疑っていたが、731に連行されてからその確証をつかんだのだ」 「確証を?」 「妹は犯人を知っていた」 「犯人をどうやって知ったのですか」 「例の資料だよ、私が個人的に保存している……」  雷震の目が意味を含んだ。 「とおっしゃいますと、妹さんがその資料をもっていたのですか」森永は雷震の個人的資料が楊君里からパスされたものかとおもった。 「偶然のことから妹は弟の�遺書�を独房の中で見たのだ」 「遺書を? 弟さんが犯人の名を遺書に書いて妹さんに渡したのですか」 「君里に宛《あ》てたわけではなかったが、偶然のことから君里の目に触れたんだ。君里は弟の志敏が入れられた同じ独房に入ったのだ。偶然というより因縁かもしれない」 「その遺書をおもちなのですね」 「そうだ。それも偶然に私の手中に入った」 「妹さんからパスされたのではないのですか」 「ちがう。これも因縁としか言いようがない」 「その遺書を見せていただけませんか」  森永は棟居から依頼されたことでもあるが、�個人的興味�もかき立てられていた。 「いいだろう。いまさら時効になったことを穿っても仕方がないとおもったが、君里が日本で怪しげな死に方をして、それとつながりがあると聞いては蔵《しま》っておけなくなった。それにもともときみのものだからね」 「ぼくのもの? 遺書が……」  雷震の意外な言葉の意味が、森永はよくわからない。 「そうだ、きみのものなんだ。遺書というのはきみのフィルムなんだよ」 「フィルム!」 「きみが残していったフィルムの最後の一コマに、731のマルタを収容したらしい監獄の内部が撮影されていた」  森永の記憶がよみがえった。731の最後の日平房からの引揚げに際して、森永らは特設監獄爆破を担当した工兵班のために爆薬を仕掛ける穴掘りを命ぜられた。初めて特設監獄の内部に足を踏み入れた森永は、独房の壁を染めたマルタの血書に激しく感動して、それを一枚だけ残っていたフィルムに撮影した。そのフィルムに「犯人」を示す資料が定着されていたというのか。 「現物を見ながら話したほうがいい」  雷震は立ち上がり、隣りの書斎へ行くと、十数枚の写真をもって引き返して来た。 「これがきみのカメラの中にあったフィルムを現像焼付けしたものだよ。問題のコマはこれだ。おもいださないかね」  そこには三十七年前の夏の悪夢の一瞬が定着されていた。鏖殺《おうさつ》されたマルタの死体が運び去られた後のがらんとした獄房内に石炭酸の臭気が立ちこめ、湿った風が廊下を吹き抜けていた。独房壁面いっぱいに書かれた巨大な文字は、光線不足ながら「日本帝國主義打倒! 中國共産黨萬歳」とはっきりと撮影されている。コンクリートの所々|剥落《はくらく》した房壁一面に万斛《ばんこく》の怨《うら》みをこめて書いたどす黒く変色した血書き文字の凄惨《せいさん》さと迫力は、性能と感度の悪いカメラとフィルムに加えて照明不足という悪条件下で撮影されたために、大分弱められているが、撮影者のシャッターを押したときの実景とショックを再現させるには十分であった。 「どうかね。確かにきみの撮影したものだろう」  雷震が森永の表情をうかがいながら確かめた。それ以外にも、731での相撲大会や盆踊り、あるいは内務班で隊友たちと撮ったスナップがある。森永は懐旧の念に浸《ひた》る前に、 「確かに私が撮影した写真です。しかし、この写真のどこに山本氏を殺した犯人を示す資料があるのですか」  盛り上がった個人的興味を追った。 「大きな血文字のかたわらで、見過ごされやすいが、日本帝國主義打倒という文字の右下に小さな文字が書いてあるだろう」  雷震が指さした。確かにそこに小さな文字が認められる。だが小さすぎてなんと書かれてあるのか読み取れない。 「これがその部分だけ拡大したものだよ」  雷震が脇に除けておいたらしい一枚を差し出した。今度ははっきりと読み取れた。 「何と書いてあるね」 「単手鬼殺害《ダンシヨークイサーハイ》山本正臣!」  森永は、その字を読み取って、凝然とした。その文字もやはり血で書かれたものらしく、大きさにおいて劣るものの、壁に塗りこめられた怨みの深さは同じであることを示すように黄色く変色した印画紙の上に字画の一辺一辺がどす黒く定着されていた。 「最後のフィルム」にこのような重大な告発が秘められていたとは、いまのいままで気がつかなかった。単手鬼については731時代、ハルピン憲兵隊本部の「凄い憲兵」という話をチラリと小耳にはさんだことがある。すると楊君里を731へ連れ込んだのも単手鬼であったのか。 「その文字を発見したときはびっくりした。山本正臣というのが妹の内縁の夫だった。山本という姓は日本人に多いが、正臣となるとそんなにないだろう」 「いったいだれがこの文字を書いたのですか」  森永はようやくうめくように言葉を押し出した。 「志敏だよ。わずか九文字だが、筆跡に特徴がある。したがって山本正臣はまぎれもなく妹の夫だ。志敏は、自分の運命を悟って、壁に犯人の名前を書いたのだ。そしてこの文字に自分が不法に殺される理由もこめている。妹が壁に見た志敏の�遺書�をきみのカメラが記録しておいたのだ。それがぼくの手に回ってきた」 「それでは……」  森永は声がかすれた。 「それこそ志敏が731へ連れ込まれた理由だったのだ。彼は単手鬼が山本を殺す現場を目撃していたのだろう。そのために口を塞《ふさ》がれた。その場で同時に殺されなかったのは、志敏が子供だったからか。あるいは他の人目、他の憲兵が居たからか。とにかくその場では弟を殺し難い事情があったので、731へ送り込んで実験材料という形で永久にその口を封じた。志敏はたった十三歳の若さでむざむざ殺される無念さを、この血文字に託したのだ。いまそのことがようやく確かめられた。きみのおかげだよ。時効が完成した犯人をいまさら穿り出しても仕方がないとおもっていたが、私からのおねがいだ。日本の刑事に伝えて欲しい。君里の死にも単手鬼が関係しているにちがいない。いや彼が君里を殺したにちがいない。君里は単手鬼の正体を突き止めに日本に行き、そして彼に殺されてしまったのだ。すると単手鬼の新たな犯罪は時効になっていない。どうか君里と志敏と山本を殺した犯人を突き止めてもらいたいと……」  語っているうちに、�時効�になったはずの彼の胸裡に身内を殺された古い怨みがよみがえってきたようである。楊君里が他為死であれば、古い怨みに新しい怨みが加わったことになる。 「必ず伝えます」  森永も単手鬼を許してはおけないとおもった。  731は日本が中国に負った、いや人類に対して負った重大な債務である。その債務はまだ返済していない。永遠に返済できない債務であろう。それにもかかわらず単手鬼は古い債務を糊塗《こと》するためにまた新たな債務を重ねた気配濃厚である。  単手鬼を許すべきではない。 「実は単手鬼の正体を探る重大な手がかりが最近得られたのだよ」  雷震はいくぶん声をひそめるようにして言った。 「手がかりとおっしゃいますと」 「私が日本のマスコミとインタビューをした後、それを読んだらしく照会があったんだ。私が個人的に保存している犯人を推定する資料とは何かという問い合わせがね」 「それは警察やマスコミ関係ではないのですか」 「明らかにちがうね、どちらも名前を言いたがらなかった」 「どちらもというと、問い合わせは一件ではなかったのですか」 「二件あった。両方とも男の声で一件は日本、もう一件は米国内のメリーランド州のフレデリックという町からだった。身許を明らかにしなければ言えないと突っぱねると日本の方は『東京のマエダ』と名乗ったが、フレデリックの方は諦めて引き退《さが》ったよ」 「東京のマエダには、教えてやったのですか」 「住所を明らかにするように求めると、事情があってそれ以上は言えないというので、それでは私も教えられないと突っぱねた」 「国際電話局の方から調べられなかったのですか」 「問い合わせてみたのだが、米国と日本の主要都市との間はダイヤル通話区域になっているので調べようがないそうだ」 「フレデリックの方はどうしてわかったのですか」 「これは先方のミスだったとおもうのだが、まず交換手が取り継いで、フレデリックからだと言ったのだよ」 「ダイヤル通話ではないのですか」  日本全国は離島の限られた一部を除いて、ダイヤル通話区域になっている。機械文明はある部分においては、すでに欧米を追い抜いている。 「ダイヤル通話区域だが、ホテルかあるいは会社のような所にいて、私設交換台を経由した様子だったよ。そういう問い合わせならば、交換手によく聞いておけばよかったと後で悔やんだものだ」 「身許や住所を明らかにしたがらないというのはなにか疚《やま》しいことをかかえているからでしょうか」 「そのように釈《と》られても仕方がないな」 「その資料に最も関心をもつのは、犯人だとおもいます。まして彼が妹さんを手にかけていれば、時効になっていない。山本殺しから糸を手繰られて、妹さんの事件と結びつけられれば、時効の上にあぐらをかいていられなくなります。しかし、二件の問い合わせがあったのは、どういうことだろう?」 「犯人の単手鬼に関係のある人物か、事件に関心をもっている人間が同時に問い合わせてきたのだろう」 「フレデリックに三十何年も前の中国で発生した事件に関心をもつ人間がいるのでしょうか」 「私にもわからない」  雷震は首を振った。フレデリックは米国東部のメリーランド州の一隅にある小さな町である。ニューヨークの西南西四百キロ弱の、日本にはまことに馴染《なじ》みのうすい田舎町に、ジョン・ローレルの保存する個人的資料に関心を寄せた者がいた。  彼が身許を伏せたのは、山本正臣殺しや楊君里の死因についてなにか後ろ暗い事情をかかえている故と疑われる。  ともあれ、東京のマエダとフレデリックのXなる人物が、雷震の言う「重大な手がかり」であった。  だが東京に「マエダ」は多数いるし、それも本名かどうかわからない。フレデリックのXにいたっては探しようがない。重大な手がかりにはちがいないが、手がかりとしての効用ははなはだ怪しいものであった。  いつの間にか窓外は昏《く》れかけていた。サンフランシスコへ着いてから、ずっと語り合っていたのである。三人はさすがにしゃべり疲れた。特に昨夕東京を飛び立ってからほとんど一睡もとっていない森永は、疲労に圧倒されそうになっている。 「いくら話しても、語り尽きない。少し憩《やす》もう」  雷震が言ったのをきっかけに、猛烈な睡魔が森永を襲って来た。 [#改ページ]  悪魔の落人《おちうど》      1  森永が米国から持ち帰った資料は、棟居を興奮させた。楊君里の弟の志敏の血書は、遂に山本殺しの犯人の名前を明らかにした。それはいかなる告発にもまさる、死に臨んだ告発であり、厳然たる物証であった。これで単手鬼の犯罪事実は確定した。  だが単手鬼とは何者か。彼はどこにいるのか。その正体と所在は依然として曖昧模糊《あいまいもこ》としている。雷震が提供してくれた「東京のマエダ」も雲のように漠然としている。731の戦友会リストに「マエダ」はいない。  試みに電話帳を索《ひ》いてみた。夥《おびただ》しい「前田」に数えるのも億劫《おつくう》になった。  棟居はこれまでコネクションのついた731関係者に片端から電話をかけて、「マエダ」なる人物について心当たりはないかと質ねた。  徒労の色が濃くなったとき、昨年暮、園池と訪れた篠崎がかすかな反応を見せた。 「心当たりがございますか」  気負い込んで質ねる棟居に、 「どこかで名前を聞いたような気がするのです」 「マエダという名前はありふれていますからね」 「いや、それが731関係のなにかの機会に聞いたような気がするのです」 「731関係の機会に……」 「ちょっと待ってくださいよ、いまおもいだします。頭のここまできているんですがね」  篠崎がもどかしげに頭を振っている気配が電話口に聞き取れた。 「すみません。どうしてもいまおもいだせない。なにかの拍子におもいだすかもしれないので、そうしたらすぐにご連絡しますよ」  電話口でしばらく粘っていたが、篠崎はとうとうあきらめた。  だが電話を切ってから数分もしないうちに篠崎から折り返し電話がきた。 「おもいだしましたよ」  彼の声が電話口で弾んでいた。 「それは有難い! それで……」  棟居も送受話器を固く握りしめた。 「前田|良春《よしはる》という人物です。前後の前、田畑の田、優良の良、春夏の春です。千坂義典氏の秘書ですよ」 「千坂の秘書!」 「三、四年前の精魂会に、この人が千坂氏の代理で出席しまして、供養料を預かったことがありました」  棟居は礼を言うのも忘れて電話機の前に立ちつくした。千坂の秘書に「前田」がいた。東京に夥しい前田がいるが、棟居は雷震の個人資料について問い合わせをしたのは、前田良春にちがいないと確信した。もちろんそれには千坂義典の意志が働いている。  マエダが偽名であるという可能性は考えられる。  棟居は「マエダ」に偽りはないとおもった。「東京のマエダ」だけでは探りようがなく、偽名を名乗る必要がないからである。  棟居は国会便覧を繰ってみた。千坂の秘書として前田良春は記載されていた。国会便覧には第一秘書名が載《の》る。国会法によって国費で付けられる秘書である。各議員とも第一秘書には最側近の腹心を据える。  千坂義典が�雷震資料�すなわち山本正臣殺しに関心を抱いている。ということは、千坂と単手鬼の間に関係があることを示すものではないのか。  棟居は前田良春について、さらに深く調べた。彼は千坂の女婿《むすめむこ》であった。千坂の次女が前田の妻になっていた。現在五十二歳、昭和二十七年東京の一流私大経済学部を卒業後、大手商社に入社、大学在学中に千坂の次女と同級生であったところから昭和三十三年同女と結婚、同四十二年商社を退社して千坂の秘書となる。  千坂の台頭と歩調を合わせて、前田も頭角を現わし、いまでは十数人いる公、私設秘書団の中で名実共にナンバーワンである。千坂の切れ味抜群の懐《ふとこ》ろ刀《がたな》として、千坂になくてはならない人物となっている。  千坂の信任を一身に得、�側用人《そばようにん》�と影で呼ばれるほどに実権を握っている。前田ににらまれたら、どんな陳情も千坂に達しない。千坂にアピールしたければ、まず前田の意を迎えなければならないと言われるほどの千坂陣営の実力者である。  本人は、いずれ千坂の地盤を相続して、政界に打って出る野心を抱いており、千坂も自分の後継者と目しているらしい。  千坂の懐ろ刀が雷震の資料についてなぜ問い合わせをしたのか。  千坂は、山本正臣殺しにもつながっているのか。千坂が浮上したのは、楊君里の嬰児《えいじ》すり替えの経緯を洗っている過程である。嬰児すり替えのためにはどうしても病理解剖班の協力が必要であり、岡本班の馴鹿沢を突き止めた。馴鹿沢の口からすり替えを命じたのが千坂義典であったことが判明し、同時に千坂の身辺の世話をしていた寺尾春美殺害事件に千坂がからんでいた状況が浮かび上がった。  奥山謹二郎と楊君里もこの間の事情について知っていた模様である。  当時、千坂義典は731の中枢に位置し、同部隊の不正にも連座していた疑いが濃厚である。その不正を探っていた正義派の新聞記者山本正臣はハルピンの魔窟《まくつ》、傅家甸《フウジヤーデン》で死体となって発見された。犯人単手鬼は、犯行の目撃者楊志敏を731に送り込んで生体解剖の検体にした。ここに単手鬼と千坂義典を連絡するパイプが感ぜられる。単手鬼の依嘱をうけて、千坂は石川班に解剖を命じた。  千坂が、山本正臣殺しの資料に関心を抱いても不思議はない。棟居の推測の中で731を源とする�相関図�が引かれたが、それを証明すべき資料がない。唯一の資料は、雷震から提供された「血書の写真」である。この資料を生かすためには単手鬼の正体と所在を明らかにしなければならない。  だが単手鬼と推定される「ニタニ」の消息はどこにもつかめなかった。      2  手持ちの資料が薄弱であることはわかっていた。だがこれ以上坐していてもなんの進展もない。棟居は意を決して前田良春と対決してみることにした。相手の反応を見るだけでもなんらかの心証を得られるだろう。  那須キャップに自分の意見を具申すると、うなずいて「やってみろ」と言ってくれた。そして「民友党幹事長の第一秘書だから慎重にな」と言葉をつけ加えた。  前田に会見を申し込むと、案の定警察に用はないと突っぱねられた。�第五秘書�ぐらいが応答したのを粘り、ようやく前田を電話口に引きずり出して昨年五月来日中に死んだ中国婦人について質ねたいことがあると押すと、そんな事件は知らないし、なんの関係もないとニベもなくはねつけられた。 「それでは前田さんは、最近サンフランシスコのジョー・ローレル氏という人物に国際電話をかけて、ある事柄について問い合わせをされたことはございませんか」  棟居のとっておきの質問に電話口ではっと息をのむ気配が聞き取れた。まったく無防備の所を突かれたらしい。やはり「東京のマエダ」は前田良春だった。棟居は自信をもった。 「サンフランシスコなんかに電話をかけたことはない。ジョンなんとかなどという人物についてはまったく知らない」  相手は咄嗟《とつさ》に立ち直った。一瞬の動揺を糊塗して、言葉遣いにも危なげがない。さすが千坂の懐ろ刀だけのことはあった。 「それならよろしいのですが、それでは国際電話局の方に問い合わせてみましょう」  棟居は、はったりをかけた。電話局に対する問い合わせは憲法の保障する「通信の秘密」、および公衆電気通信法の「秘密の確保」の条項があってややこしい問題を生ずる。だが棟居のはったりは有効に作用したらしい。前田の口調が急に弱くなって、どんな用件か知らないがとにかく会おうと譲った。  前田が指定した場所は赤坂のホテルのラウンジで、時間は翌日午後二時であった。ラウンジのナンバー6のテーブルをあらかじめ予約しておくということである。  約束の時間に指定された場所へ赴くと、前田はすでに来ていた。長身|痩《や》せ型の男で、目の光が敏捷《びんしよう》である。顔は浅黒く日|灼《や》けしており、身体はよく引き締まっている。ピタリと身に合った仕立てのよいスーツの下の身体は、いかにも運動神経がよさそうであり、鋭い目配りと共に油断ならない人物を感じさせる。さすがは千坂義典の�側用人�だけのことはある。  ナンバー6のテーブルはラウンジの最も奥まった一隅にあり、他のテーブルからも少し離れた位置にある。名刺を交換すると、前田は棟居の意図を探るようにレンズのような目を向けた。一切の感情を抜いた精巧な解像力だけをもったような目である。 「それで私にどんなことをお質ねになりたいのですか」  初対面の挨拶がすむと、前田は早速うながした。忙しいというより、棟居の意図を早く確かめたい様子である。 「実はですね、昨年五月三十日中国から来日していた楊君里という中国人女性通訳が、タクシーの中で急死した事件について調べておるのですが、この事件はご存知ですか」  棟居は前田の面を凝視しながら質ねた。 「いいえなんにも。それが私にどんな関係があるのですか」  前田は眉一筋動かさずに答えた。楊君里については当然備えを立てていることが予想される。できれば不意を突きたかったのであるが、それでは任意捜査において相手を捉えられない。 「奥山謹二郎という人についてはなにかご存知ではありませんか」  棟居の凝視の先で、前田はかすかに身じろぎをして、 「名前だけは聞いたことがあります。妻の母の長兄として」 「会ったことはないのですか」 「終戦後消息不明になっておりましたし、妻の母が亡くなり、養父が再婚してから、まったく没交渉でした」 「奥山さんが昨年八月文京区のマンションでお亡くなりになったことはご存知ですか」 「新聞で知りました」 「それでいかがなさいました」 「どうもしませんよ。もう他人ですからね」 「でも千坂先生にとっては亡くなられたとはいえ、前の奥さんのお兄さんに当たる人でしょう」 「終戦後ずっと没交渉で、家内の母の死によって完全に他人になったのです。いまさらこちらから名乗りをあげて菩提を弔う必要はありません」 「そんなものですかねえ」 「あなたはそんなことを聞くために来られたのですか」  前田は|顳※[#「需+頁」、unicode986c]《こめかみ》のあたりをぴくぴくと動かした。 「まだおうかがいしたいことがございます。千坂先生は、戦時中関東軍満州第731部隊の高等官(高級軍属)だったとうかがっておりますが」  千坂の731の経歴は秘匿され、戦時中軍属として大陸勤務とぼかされている。 「養父の戦時中の経歴についてはほとんど知りません。興味がありませんので」  前田の内面の動揺は、鉄面皮の下に封じこめられてまだうかがい知れない。 「千坂先生と奥山さんは731部隊でご一緒だったと聞いております。終戦後奥山さんが消息不明で没交渉だったということは、731でご一緒だったのが帰国して別れたためと解釈してよろしいですか」  前田の顔色が少し動いた。危うく棟居の誘導訊問に乗せられかけていることに気がついた様子である。 「養父の戦時中の経歴については知らないと申し上げているでしょう」  前田の声が少し苛《い》ら立っていた。 「なぜ興味がないのですか。千坂氏の第一秘書としてあなたは当然千坂氏のすべてをお知りになりたいのではありませんか」 「きみ! ちょっと言葉が過ぎやしないか」  前田は、鋭く詰《なじ》った。暗いのでよくわからないが、表情が先刻よりこわ張っているようである。 「お気に障りましたらお許しください。ところでおうかがいする前にちょっとお質ねしたことですが、サンフランシスコのジョン・ローレル氏にお電話なさったのはあなたですね」  棟居は、うむを言わせぬ口調で押した。  前田の面に明らかな当惑の色が塗られた。  時間と労力を要するが国際電話局を調べれば、海外に発信した電話の記録を探し出せないことはない。電話をかけた対話国によって磁気テープあるいは交換証に記録として残され、おおむね六か月保存される。  また料金の請求書には、対話日時、料金、対話地名と国名、通話の種類などが記入される。これのコピーが国際電話局に保存されてある。前田の当惑は、いま否認して、後になって通話記録が出てきた場合を恐れているものである。 「いかがですか、電話をなさいましたね」  棟居は追い打ちをかけた。 「そう言われれば、そんな電話をかけたことがあったかもしれない。なにしろ毎日世界各地とさまざまな連絡を取り合っているのでよく憶えていない」  前田は渋々と認めた。棟居は、前田がサンフランシスコに電話をかけたことはないと言った事実は保留して、 「ジョン・ローレル氏にどんな用件で電話をなさったのかさしつかえなければお話しいただけませんか」 「きみ、自分の質問の意味がわかっているのかね。それはプライバシーの侵害だぞ。通信の秘密は憲法で保障されていることを知らないのか」 「よく知っております。私はただ確かめているだけです。あなたは、ジョン・ローレル氏に、彼の妹の夫の山本正臣が三十八年前の昭和十九年四月ハルピンで殺された事件に関する資料について問い合わせをなさいましたね」  棟居はまたジリッと間合いを詰めた。 「知らない。忘れた。きみはいったい何を言いたいのだ」 「ジョン・ローレル氏は確かにそのような問い合わせをうけたと言っておりますが、あなたはなぜその事件に関心を抱いたのですか」 「ローレルがなんと言ったか知らないが、一切記憶にない。そのことに関してはノー・コメントだ」  胸裡の動揺は、相変らず鉄面皮の下に閉じこめているが、乱暴になった言葉遣いに、棟居の質問が有効に作用していることが現われている。 「もう一つお質ねします。同じ事項に関して前後してローレル氏に米国のフレデリックという町から問い合わせてきた人物がいるのですが、お心当たりはありませんか」  棟居は質問を進めた。 「フレデリック……」  束の間、前田の顔色が動いた。それを意志の力による無表情の中に塗りこめて、 「ローレルにだれがどのような問い合わせをしようと関係はない。私は大変忙しい。そのような用件であれば、失礼する」  前田は席から立ち上がった。      3  前田との最初の対決において、形として得たものはなかった。だが、棟居の心証として得たものは小さくない。  帰署して那須に報告すると、 「前田は、ローレルに問い合わせた事実は認めたのだな」 「KDDを調べられたら逃げきれないとおもったようです」 「フレデリックの謎《なぞ》の人物にも反応を示したのか」 「彼は確かに心当たりがあります」 「千坂—前田のラインとアメリカ東部の田舎町にどんなつながりがあるのだろう」 「それがわかりません」 「どう考えても、千坂と前田とフレデリックとはつながりがなさそうだ。だがなにか彼らをつなぐ共通の環《わ》があるはずだ。731の生存者がフレデリックに住んでいるという可能性はないか」  那須の示唆が、思考が陥った隘路《あいろ》を押し開いて、一場の新しい視野をもたらした。 「731の生存者ですか。それはあり得ますね」 「ローレルに身許を秘匿したということは、それを明らかにしたくない事情があったからだろう。731の生き残りなら、それもあり得る」 「石井四郎は終戦時米国と取引きして戦犯を免罪されました。米国とは因縁があります」 「石井の側近で、山本殺しに一枚|噛《か》んでいるような731の幹部がフレデリックに住んでいるという可能性はあるぞ」 「それにしてもどうしてそんな辺鄙《へんぴ》な田舎町に住んでいるのでしょう」 「どこに住んでいたっていいだろう。ニューヨークやシスコだけがアメリカじゃないんだ」 「日本人の好んで住みつく土地というものはありますよ。フレデリックなんてまったく日本に馴染みのない土地です。こんな所に本当に731の関係者がいるのか」 「女なら旦那《だんな》に従《つ》いてどこへでも行くよ」 「女!」 「731関係の女性でアメリカ人と結婚した者がいないかな。彼女が旦那に頼んでローレルに照会させたのかもしれない」 「女とは気がつきませんでした」  棟居の脳裡《のうり》に会ったことのない「智恵子」のおもかげが浮かんだ。まさか智恵子が米国へ? それも可能性の一つであるが、智恵子であるとすれば、彼女はなぜ山本の事件に関心をもったのか。山本正臣が自分の父親だとは知らないはずである。それともだれかが彼女に出生の秘密を打ち明けたのか。そうだとすれば、智恵子が実父の死の真相とその犯人を示す資料に関心を示しても不思議はない。  だが、智恵子がフレデリックのXであるならば雷震は伯父にあたる。身許を隠す必要はないはずである。      4  フレデリックに日本人が住んでいれば相当に目立つはずである。棟居はICPO(国際刑事警察機構)を介しての調査依頼を考えた。ICPOとはいささか大袈裟《おおげさ》な感もした。  国際犯罪の増加に対応して発足したICPOは、犯罪情報の交換、被疑者の割出、逃亡犯罪人引渡しの請求があった場合の逮捕の三つの方法によって国際犯罪の検挙を国際的に協力し合う機構である。国際協力を行なう最も重大な犯罪は、テロ、ハイジャック犯、国際詐欺、窃盗団、通貨偽造犯、麻薬密売組織などである。  日本から外国警察に対する捜査共助の要請は、偽造小切手行使詐欺、拳銃《けんじゆう》密輸、麻薬密売、金の密輸などの事件が多い。国際手配には四種あり、レッドが逮捕と身柄の引渡しの要求、ブルーが被疑者の所在確認等の必要情報の照会、グリーンが防犯警告、ブラックが死体の発見に関する手配となっている。  フレデリックにいる(いないかもしれない)日本人が、本件にどのように関わってくるかわからない。  そんな曖昧な事項の調査にICPOに頼るのはいささか気が引けたが、棟居は強引に押した。一、フレデリックに日本人がいるか。二、もしいた場合はその氏名、住所、職業、その他身上に関する詳しいデータの以上二点を捜査本部名でICPOルートにより米国メリーランド州警察に対して調査依頼が出された。  回答は、メリーランド州警察の名前で三日後にもたらされた。  ——一、当市に日本人は一名居住している。    二、a氏名 ヨシタダ・イザキ。      b年齢 七十二歳。      c住所 一〇六、ウエストセコンドストリート、フレデリック。      d職業 医師、軍関係施設勤務《ミリタリ・フアシリテイ・コンサーン》。      e家族関係 現在単身。      f電話番号 694—164×フレデリック。  備考、イザキ夫妻は一九六八年入国、同七六年米国籍取得、同七八年十二月二十七日ミセス・イザキ死去。さらに必要な情報があれば、リクエスト次第追加調査する——  というものであった。 「さすがにアメリカだなあ。簡にして明、しかも反応が速い」  那須が感心した。確かに簡潔で要領を得た回答にはちがいないが、木で鼻をくくったような無表情な文言である。だが、棟居は、その回答の第二打に愕然とした。  ヨシタダ・イザキ。井崎良忠がここにいた。「智恵子」の�親�で、嬰児すり替えの主役であった井崎が、初めてその消息を明らかにしたのである。わからないはずである。彼は米国東部の片田舎に�逼塞《ひつそく》�していたのだ。 「彼が井崎良忠なのか」  那須もイザキの正体を知って金壺眼《かなつぼまなこ》を円くした。 「まず同姓同名の別人ではないとおもいます。それに別人ならば、ローレルの資料に関心を寄せないでしょう」 「職業が軍関係施設勤務となっているが、軍医でもやっているのかな」 「もともと彼は731の技師でしたからね」  井崎は、リケッチヤ研究の野口班に属して藪下の上司であった。 「井崎がローレルの資料に関心を寄せたということは、山本殺しの事情について多少知っているとみてよいかな」 「彼は楊君里を野口班の研究材料として確保して彼女に頻繁に接触しておりましたから、山本の怪死の状況も彼女から聞いていたでしょう。また『智恵子』の実の父親としての山本の死の真相を示す資料には必ず興味を覚えたはずです」 「一九六八年に渡米したのであれば、楊君里が死んだときも彼はアメリカにいたことになるな」 「とは言いきれないとおもいます。簡単に帰国できますからね。この回答をみると、井崎は細君と死別してから独りでいるようです。すると智恵子は日本にいるのかもしれない。楊君里が来日したことをみてもその可能性は大きいと考えてよいでしょう」  意外な形で井崎良忠の消息が判明した。井崎に問い合わせれば、智恵子の消息もおのずからわかるであろう。  時差を考慮して、先方の地が午前七時になる午後九時になるまで国際電話をかけるのを待つことにした。時間待ちしている間に九州から一本の電話が棟居宛にきた。 「棟居さんですか。森永です。少し前にサンフランシスコの雷震から電話がありまして、面白い発見を伝言してきました」 「面白い伝言?」 「そうです。フレデリックの電話の主を推測させるようなデータです」  その件なら、すでに解決ずみだとのど元まで出かかったのを棟居は抑えた。せっかくの相手の協力に水をかけたくなかったのと、発見という言葉に少し興味を惹かれたからである。 「うかがいましょう」  棟居がうながすと、 「フレデリックという町の中にフォート・デトリックがあるのです」 「なんですか、そのフォートトリックとかいうのは」  新たに登場した耳なれない名前に、棟居は舌をもつれさせた。 「フォート・デトリックです。フォートというのは要塞《ようさい》という意味だそうで、この地に米陸軍の細菌化学戦の基地と研究所があるのです」 「な、なんですって!?」 「つまり731と同様の米軍の基地ですよ。一九四三年頃に創設され、一九四五年、つまり太平洋戦争終結後から本格的活動を開始したそうです。このフォート・デトリックに731の研究成果はすっかり引き継がれたということです」  棟居は、井崎がフレデリックにいる意味がようやく解けた。「軍関係施設」というのは、フォート・デトリックのことであったのだ。 「もしもし聞こえますか」  電話口で黙り込んでしまった棟居に、森永が問いかけた。 「よく聞こえますよ。びっくりしたものですから」 「参考になりますか」 「大変、参考になります」 「雷震から、日本の警察に伝えるようにと頼まれたものですから」 「なにかよいタレコミらしいな」  森永からの電話を切ると、那須が早速声をかけた。いまの通話の内容を告げると、 「石井部隊の生き残りが米軍の細菌戦部隊にいるという事実がわかると、日本のマスコミが飛びつくぞ」 「井崎が身許を秘匿していた理由がわかりますね」 「井崎がフォートなんとかにいることがわかれば、終戦時石井四郎が731の研究資料を米軍に引き渡す見返りに戦犯を免れた具体的な証拠となる」 「これは井崎に問い合わせても、おいそれとは口を割らないでしょう」  ようやく午後九時になった。棟居はフレデリックの井崎の家に電話を申し込んだ。国際電話局の交換手に井崎の電話番号を告げて、いったん切る。待つ間もなく、ベルが鳴って、 「先方の方がお出になっています。お話しください」  交換手が抑揚のない声で告げた。 「井崎さんですか」 「そうです」  年輩の枯れて乾いたような声が一拍おいて、都内の電話のように明瞭《めいりよう》に聞こえた。時ならぬ時間に日本からの国際電話にいささかとまどっている様子である。  棟居は自己紹介をして、まず楊君里を知っているかと質ねた。必ず知っているはずであるが、これは確認のためである。電話口で驚いている気配が伝わってきた。 「楊君里は、いささか存知よりの者ですが、彼女がどうかしたのですか」  初めの驚きから素早く立ち直ったらしい井崎は反問してきた。 「昨年五月来日中に亡くなりました」 「死んだ! 楊君里が」  井崎は絶句した。激しい驚愕《きようがく》に打たれて言葉を失ったらしい。それが演技かどうかわからないが演技であるとすれば、迫真力がある。 「その死因にいささか疑わしい点があるので調べているのです」 「疑わしい点とおっしゃいますと、例えば犯罪の疑いがあるとでも……」  井崎はようやく言葉を返した。 「そうです。そこであなたにお質ねしたいのですが、楊さんは日本へ智恵子さんを訪ねて来た模様があるのです。楊さんとあなたや智恵子さんとのご関係は731におられた藪下さんから聞いております。楊さんは智恵子さんを訪ねての帰途毒物を服《の》んで亡くなりました。そこで我々は智恵子さんに会って事情を聞きたいのです」 「そ、それでは、智恵子が疑われているのですか」  井崎の口調が喘《あえ》いだ。 「参考人の一人と考えております」 「智恵子は関係ない! 彼女はなにも知らない」  太平洋とアメリカ大陸を跨《また》ぐ回線にも井崎の動揺がはっきりと伝わった。 「関係ないことを確認したいのです」 「智恵子をそっとしておいてやってください。彼女はなにも知らないのです」 「智恵子さんの実の母親がはるばる日本へ訪ねて来て怪しげな死に方をされたのですよ」 「楊君里と智恵子は、いまなんの関係もない。彼女の母親は四年前にアメリカで死んだ私の妻です。そんな古い母親の亡霊にいまごろ名乗り出られても智恵子が当惑するばかりです」 「智恵子さんの出生の秘密は守ります。彼女の居所を教えていただけませんか」 「それは……申し上げられません」 「奥山謹二郎さんをご存知ですね」 「知っておりますが、それがどうか……」 「昨年八月、殺された疑いがあり、捜査しております」 「殺された!?」 「楊君里さんの死とつながりがあると我々はにらんでおります。楊さんの事件で捜査の手が奥山さんに伸びると都合の悪い人物がいたようです」 「それが智恵子にどんな関係があるのです」 「どんな関係があるか、それを調べているのです」 「関係なんかない!」 「どうしてそう言い切れるのですか」  井崎の口調は、彼が追いつめられていることを示していた。 「ニタニという元関東軍憲兵隊本部の憲兵をご存知ですか。右手首の先をゲリラに吹き飛ばされて失っていたところから単手鬼と呼ばれていた凄腕《すごうで》の憲兵です」 「あ、あなたはどうしてそれを!?」  棟居の追い討ちに井崎は激しい反応を示した。 「ニタニを知っているのですね」 「勤務に遅れるので、失礼します」 「もしもし、ちょっと待ってください」  棟居は慌てて追いすがったが、電話は無反応になった。なおも未練がましく死んだ電話に呼びかけていると、交換手が通話は終りましたかと介入してきた。 「どうだったね」  那須が通話が終るのを待ちかねていたように聞いてきた。 「井崎は、智恵子の所在もニタニの正体も知っておりますね」 「知っているか」 「どうやら彼が鍵《かぎ》を握っている気配です」 「それで井崎の感触はどうかね」 「とにかく国際電話ではもどかしいですね。相手の返事が一拍遅れるので、果たしてこちらの言葉が相手に通じているのかどうか不安になります。井崎は避けていますが、直接会って攻めれば、必ず陥《おと》せるとおもいます」 「アメリカのフレデリックか。まだそんな遠方まで出張した者はおらんな」  那須の窪《くぼ》んだ目が、棟居の表情を探っている。 「キャップ!」  言葉の勢いで言ったものの、まさか米国へ出張させてもらえるとはおもっていなかった棟居は、那須の顔を見つめ直した。 「フレデリックに行ってもらうことになるかもしれんよ。井崎が握っているかもしれん鍵をこちらの手に入れないことには、にっちもさっちもいかん」  那須の言葉によって膠着《こうちやく》した局面ににわかに明るい光明が射しかけてきた。井崎に直接会えば必ずその鍵を得られる自信があった。  捜査員が海外に派遣されるのは、国際手配によって外国警察に身柄を拘束された犯罪者を引取りに行く場合が多い。現地警察との共助捜査のために捜査員が派遣されるケースはきわめて少ないがあることはある。  だが、参考人の事情聴取のための海外派遣は、初めてである。それだけに那須のおもいきった英断であり、棟居の一筋の捜査にかける本部の期待と苦悩がわかる。 [#改ページ]  日本人の債務      1  東京からアンカレッジ経由約十五時間の飛行の後、ニューヨークに着き、そのままその足をワシントンへ伸ばす。棟居の「ニューヨーク体験」は、ケネディ国際空港からラガーディア空港までの移動のタクシーだけであった。  父親を踏み殺した米兵の母国へ来たという感慨は特にない。棟居の視野にはいま一個の色鮮やかなレモンしかなかった。その行き着く所を見届けるためにアメリカへ来たのである。  二月十八日午後四時四十五分、ラガーディア空港を飛び立った |A ・ A《アメリカン・エアライン》、ボーイング727は、蒼然《そうぜん》と昏《く》れかかるニューヨーク上空を半旋回しながら次第に高度を取り機首をワシントンの西南方へ向けた。機窓から見下すマンハッタンは墨を溶いたような暮色の底に巨大な墓石を連ねたように見える。それは確かに物質文明の行き着いた墓地と言えぬことはない。  さらに機が上昇するにつれて、スモッグは下方に沈澱《ちんでん》し、黒灰色の画布に無数の光の破片を打《ぶ》ち撒《ま》けたような夜景が展開した。残光に映えるハドソン川とイースト川に挟まれたペニス形のマンハッタン島、それはアメリカの美しい恥部でもある。きらめく大都会の外枠は、黒人女の肌のような官能的な濃密な闇《やみ》が取り巻いている。  棟居の感慨に関わりなくニューヨークの夜景はたちまち視野の外へ逃れ去った。  約二十分後機長のぶっきらぼうな声がワシントン、ダラス空港への接近を告げた。機体は残光漂う雲間を下降し始めた。雲の間から闇のあちこちに光の集落が隠見した。ワシントン郊外の町の灯であろう。遠方に星雲のようにおぼろに光るのはメリーランド州都のボルチモアか。棟居は地図で得た予備知識を基《もと》に、目指すフレデリックの方角を闇の中に探した。上空には残光がかすかに漂っているが、地上には完全な闇が屯している。日本とちがって闇の奥行が広大であり、光は見えるものの、疎《まば》らである。その疎らな光点の間にアメリカの広さが隠されている。  機体が激しく揺れ始めた。乗客は平然としている。闇の奥に目を凝らしていた棟居の視野に突然大都会の夜景が飛び込んできた。縦横に走るハイウェイ。連なるヘッドライトの列。ちょうど夕方のラッシュにかかっているらしい。無数の車の灯が、生物の細胞のように蠢《うごめ》きながら長大なハイウェイを埋めつくしている。それはアメリカのエネルギーを象徴するようなダイナミックな光景であった。その光景は棟居の視野の中にたちまち拡大されてくる。  川が光の海の中に黒い触肢を伸ばした。空港の滑走路を示す着陸灯の光列が見えた。  機は何度もバウンドしながら接地した。荒らっぽい着陸であった。ボーディングブリッジが接続されて、乗客が動き始めた。出口ドアが開放されると同時に冷たい外気が機内に入って来た。乗客全員が厚いオーバーコートをまとっている。機窓にチラチラと白いものが舞っていた。飛行中気がつかなかったが、ダラス空港は雪であった。  入国手続きはすでにニューヨークですましているので、ここでは手荷物《バゲージ・》受取場《クレイム》で預けたスーツケースを受取るだけである。空港ロビーへ出ると、一人の中年のアメリカ人が寄って来て、「ミスター・ムネスエ?」と問いかけた。茶褐色の髪を短く刈り込んだ赤赭顔《あからがお》の大男である。顔の面積に比較して目が小さく、穏やかである。茶色の革製のジャンパーに紺のジーパン、金属製の鷲《わし》のペンダントが男っぽいアクセサリーとなっている。 「イエス」と棟居がうなずくと、 「マイ・ネイム・イズ・ハリー、ハリー・ワンダリック。メリーランド州警察の者です。東京の那須警部からICPO経由で連絡をうけてお迎えに来ました」  と棟居にもわかるようにゆっくりと名乗ると、分厚い手を差し出した。初めてのアメリカでいささか心細さを覚えていた棟居は、救われたおもいがした。那須がここまで手を回してくれていたことに棟居は胸の中で感謝した。  棟居はワンダリックと握手して初対面の挨拶《あいさつ》を交した。  この地におられる間は、すべて自分が案内役をつとめるからなんでも言ってくれ。メリーランド州警察としては、東京の警視庁の捜査のためにあらゆる便宜をはかる用意があるというようなことをワンダリックは言った。  土地の警察が全面協力してくれれば、大いにたすかる。棟居は一目でワンダリックがよい案内者であることを悟った。彼は日本から出張して来た刑事に協力できることを喜び張り切っている。  空港ターミナルビルの出口にワンダリックの車が待っていた。パトカーではなく、普通の乗用車である。運転席には背広を着た黒人の青年が坐っていた。アメラグの選手のように肩幅が広く、胸板が厚い。  ワンダリックが「ルーミス」と紹介してくれた。彼も警官らしい。  ルーミスはワンダリックと棟居を乗せると、車を発進させた。道の両側には雪が積もり、視野にも白い花が舞っている。 「ミスター・イザキには連絡を取ってある。彼は明日午後一時にフォート・デトリックの基地の方へ来てもらいたいと言っている。あなたも日本からの遠路の旅で疲れたであろうから、今夜はホテルでゆっくり寝《やす》むといいだろう。明朝九時三十分にホテルへ迎えに行く」  ワンダリックは言った。棟居がこれからしなければならないことはすべて手回しよく手配されていた。フォート・デトリック基地で面会するというのは、棟居にも好都合である。731関係者の間を巡り歩いている間に731の研究成果を引き継いだとみられる同基地に関心を抱くようになっていた。この機会に是非共、米国の細菌戦基地を覗《のぞ》いてみたいとおもっていたのである。  ダラス空港から、「ダラス・エアポート・アクセス」と表示のある片幅三車線の高速道路が走っている。ハイウェイの対向車線(下り車線)はかなりの渋滞で、ワシントン市内での一日の勤めを終えた人々が家路に向かっているらしい。広いハイウェイの上を乗用車が延々と長い列をつくっていた。  二十分も走ったころ、高速道路は、ワシントン・DCを環状に囲むキャピタル・ベルトウェイに突き当たり、インターチェンジをゆるやかに旋回しながら、九番の出口へ出て66号線に乗った。地下道を抜けると目の前に黒々とした大きな川が横たわる。ポトマック川であった。ルーズベルト記念橋の手前で渋滞に巻きこまれた。ノロノロ運行である。ふと左手前方を見ると夜間照明の大がかりな装置がある。光を受けて白い大理石の像が輝いている。アメリカ国旗を押し立てようとしているアメリカ軍兵士数人の像である。どこかで見たことのある石像であった。……と目をこらしていると、 「あそこに石像が見えるでしょう。あれは硫黄島《イオウジマ》で戦った海兵隊員の記念像です」  棟居の視線を追って、ワンダリックが説明した。 「硫黄島の……どうりで見憶えがあるとおもいましたよ」  それは硫黄島・摺鉢《すりばち》山の頂上に米国旗を打ち立てようとしている兵士の姿であった。棟居はその戦闘と兵士の行方を追った映画を見た記憶があった。 「当時私の父は軍属の船員で、あの海兵隊員たちを戦場に運んでいたのです」  ワンダリックが補足した。ルーミスの背中が二人の会話に聞き耳を立てているのがわかる。  ——私の父はそのアメリカ兵たちに踏み殺されたのだ——と言いたいところを棟居は抑えた。ここで�旧怨�を蒸しかえして、せっかくの協力者との間を気まずくしてはいけないとおもったからである。  車はルーズベルト記念橋を渡り、市内へ入った。  フォート・デトリック基地のあるフレデリックはワシントンの北方六十マイル、約百キロの所にある。バスの便があることはあるが、一日四、五本で時間が曖昧《あいまい》であるということであった。日本と勝手が異なり、こちらでは車をもっていないことには動きがつかない。ワンダリックにあまり迷惑をかけたくなかったが、結局彼の好意に全面的にすがらざるを得ないようである。      2  翌朝九時三十分にワンダリックとルーミスがホテルまで迎えに来てくれた。 「お早う。よく眠れましたか」  ワンダリックは快活に問いかけた。一夜の熟睡で時差の疲れは完全に除《と》れている。彼の赤赭顔《あからがお》は昨日よりもてらてら輝いているように見えた。ホテルの外へ出て見て驚いた。一夜の中に雪が厚く降り積もっている。昨日はまだ剥《は》げチョロだった市街が白一色である。しかもまだ雪は降りつづいている。 「ワシントンは、二十年来の大雪ですよ」  ワンダリックが言った。昨夜時差の疲れでぐっすり眠っている間に記録破りの大雪が降ったらしい。 「そんな大雪でフレデリックへの道は閉鎖されませんか」  棟居は不安になった。一日バスが四、五便の辺鄙《へんぴ》な土地への道路など、簡単に麻痺《まひ》してしまいそうである。 「大丈夫《ネバー・マインド》。ミスター・ムネスエのために軍の除雪車が出動して交通を確保している」 「軍の除雪車が私のために!?」  棟居は仰天した。 「そうです。日本からのVIPをこの程度の雪のために阻むことはできない。私が軍にかけ合ったら、一発で除雪車を出してくれました」  棟居は、その大袈裟《おおげさ》な待遇に驚愕《きようがく》し、当惑した。日本の一介の刑事に対するに、これは国賓並みの待遇である。 「準備OKのようだからそろそろ出発しよう。雪で少し時間がかかるかもしれない。気象通報によると、雪は午後には止むそうです」  ワンダリックは、棟居の当惑をよそに急《せ》かした。市内を抜けて四車線のハイウェイに出た。雪は次第に小止みになっている。  視野のかぎり広大な雑木林となだらかな丘陵がつづき、その単調な風景の中に白く枯れた一面の芝生と桜並木を侍《はべ》らせた別荘風のコテージが数百戸点在する。コテージの間に八階建の白亜の建物が目立つ。  ルーミスがアメリカ陸軍病院だと言った。寡黙《かもく》な黒人青年もいくらか棟居に馴《な》れてきたようである。八階建の建物は、温泉つきのリハビリ施設で、一流の医者がいる、とワンダリックが説明を追加した。延々数キロにわたる雑木林の群落は、五月から六月の新緑期になれば、木々の芽吹きでみごとなグリーン・ウォールになるそうである。  ハイウェイに乗る。270号線「ワシントン・ナショナル・パイク」と呼ばれる有料道路だが、冬期は一切無料とのことで、ゲートには誰もいない。ワシントン市内の積雪はハイウェイに出ると雨の後のように消えて、遠方の丘陵まで濡《ぬ》れた道路が黒々と連なっている。これなら除雪車の世話にならずにすみそうである。アメリカ人特有のラッパであったかと棟居はややホッとした。  ロックビルの町を右に見過ごし、ゲイザースバーグの丘を走り抜け、アメリカ原子力エネルギー研究所の広大な敷地を左手において、なおも車は疾走をつづける。白い画布を広げた荒野の中央を切り裂いて、地平線の一点に集中するハイウェイの遠近法の構図はアメリカの広さを実感させた。  牧場と丘陵と雑木林の間を道は果てしもなくつづくようである。三十分ほど走り、車はようやくハイウェイの分岐点にさしかかった。  ルーミスは左の道に入った。雪が急激に深くなる。一車線幅だけ除雪されている。これが軍の除雪車によって確保された道であろう。ワンダリックのラッパではなかった。すでに雪は完全に止んでいた。  前方の丘陵の麓《ふもと》に町が見えてきた。戸数三千戸ぐらいか。雪をまとった荒漠たる草原と雑木林のかなたの丘陵の麓に赤茶けた集落がゴミがへばりついたように人為の介入をなしていた。 「フレデリックだ」  ハンドルを握ったルーミスが言った。  銀灰色に輝く尖塔《せんとう》は、町の教会でもあろうか。ハイウェイから下り、車は一路フレデリックの町に入った。静かな落着いた町並みである。全体にくすんだ古い建物が目立つ。高い家でも三階、長屋式に一つの建物を二戸で共用している。煉瓦《れんが》造りの頑丈な家並みはそれの経た年月の古さを感じさせる。町の道路はつぎはぎが目立ち、道の両側は駐車の列である。人影はない。アメリカのすべての地方都市や町に共通する現象だが、住人が死に絶えたかのように人の姿が見えない。アメリカの広大な国土の中に人口が拡散されてしまったように人気《ひとけ》が少ないのである。 「さて、キャンプ・フォート・デトリックは町の郊外にあるはずだが」  ワンダリックの目が窓外を物色した。彼もルーミスもフォート・デトリックに来たのは初めての模様である。間もなく道路脇の建物に「ビジター・センター」の看板《サインボード》が目についた。 「あそこで尋ねよう」  ワンダリックが言って、三人は車から下り立った。  ビジター・センターの中は、十五坪ぐらいの広さになっている。大きな机が一脚あり、眼鏡を掛けた高校生風の少女が一人腰かけている。入室してきた遠来の客を迎え、「ハイ……ウェルカム・フレデリック・カウンティ……メイ・アイ・ヘルプ・ユー?」と可愛い声を出して椅子《いす》から立ち上がった。  フレデリック市《シテイ》の商工業者団体が共同で経営する観光協会のような機関らしい。ワンダリックが何も言わぬうちに、少女はてきぱきと一枚の地図と一葉のパンフレットを渡す。地図にはコンパクトな案内図が印刷されており、一目で市内の要所が判別できる。  あと一葉のパンフレットには、「ウェルカム・ツー・ダウンタウン・フレデリック!」と印刷されていて、「この美しく伝統ある町へようこそ、フレデリックの下町には、歴史上の史蹟《しせき》や、娯楽、買い物、お店や必要とするサービスがすべてそろっています」とあり、市内下町のポイントがコンパクトな市街図に番号表示されている。 「……我々はフォート・デトリック基地に行きたいのだが、どの道を行けばよいのかね」  とワンダリックが質《たず》ねた。 「フォート・デトリック? アーミー・キャンプ? それは町はずれの一角にあります。町のメインストリートを北へ抜けて突き当たりを左へどこまでも行ってください……軍用《ミリタリイ・》道路《ロード》に出ます。その一角がフォート・デトリック基地です」  少女が答えた。彼女は棟居の顔を見、カメラに目を留めて、 「アー・ユー・ジャパニーズ?」  と好奇心を盛った声をかけた。 「イエス」 「オウ、この町にも一人日本人が住んでいます。しかし旅行者として来たのは、あなたが初めてよ。東京から来たの?」  と親しみ深い笑顔を見せた。その一人が井崎であろう。だがいまは先が急がれる。フォート・デトリック基地へは、車で約十分ぐらいということである。  車がフレデリックの市街を駆け抜けると、再び平原に出た。道路の両側に煉瓦色のアパルトメントや独立家屋が連なり、そのはるか後方に薄緑に塗られた貯水槽のような球型タンクが群がっている。五階建の白いビルと木造らしいペンキ塗りの家屋も見える。  車は大きく左に進路を取り、軍用道路に出た。広大な白樺《しらかば》の並木道が一直線に延びている。間もなく左手に「USAMRIID」と大きな表示板が立っている。後で聞いたところによると「米陸軍伝染病調査研究所」の略号である。  やがて基地のゲートに来た。青い軍帽と制服を着けたソバカスのある女子軍属が、「ストップ!」と手を上げ、詰所から出てくる。車の窓を指さして、 「オープン・ザ・ウインドー」と命じた。  緊張の一瞬である。彼女は軽快な足取りで近づいて来た。ワンダリックは窓を開けた。冷たい風が横なぐりに車内へ吹きつける。 「グッド・アフタヌーン。アー・ユー・ビジター?」(訪問客か?) 「イエス」 「誰に会うのか」彼女は眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せて訊《たず》ねた。 「我々はメリーランド州警察の者だが、日本から来たムネスエ刑事をエスコートして来た。基地のドクター・ヨシタダ・イザキと一時の約束を取り付けてある。ドクター・イザキはUSAMIIA(米陸軍医学情報部)で待っている」  ワンダリックが車の窓から首を出して説明すると、女子軍属の顔が緊張して、 「オウ、ミスター・ムネスエ。|お待ち申し上げておりました《ウイー・ハブ・ビーン・エクスペクテイング・ユー》」と挙手の敬礼を捧げた。  棟居がその大袈裟な歓迎にびっくりしていると、女子軍属は、ルーミスに一枚の地図を手渡して、 「副司令官がインフォーメーション・エージェンシイでお待ちになっておりますので私がご案内いたします」  と告げた。棟居はますます驚いて、 「副司令官が待っているのですか」  と聞き返すと、若い女子軍属は青い瞳をくるりと翻して、 「本来なら司令官がご挨拶申し上げるところなのですが、たまたま休暇で帰省しております。どうぞ、私の後に尾《つ》いて来てください」  と言って、ゲート脇に駐車してあったジープにさっさと乗り込んだ。  副司令官が挨拶するとはえらいことになったなと棟居は内心緊張した。先導のジープはすでに走り出している。それは軍極秘の細菌戦基地というより、広大な農場という雰囲気であった。軍の基地らしいものものしさはかけらもなく、むしろ牧歌的なムードである。牛でも放し飼いにされていれば、そのまま牧場として通りそうである。  ゲートもあるにはあったが、さして警戒厳重なものではなく、ジープで先導してくれている女子軍属がウォッチに立っていただけである。彼女が棟居らを案内するために出て来た後はだれもいない。 [#挿絵(img¥234.jpg)]  キャンプ・フォート・デトリックが、米国防総省《ペンタゴン》とアメリカ大統領の直轄で、長年、細菌戦の秘密研究に従事した基地であることは、この道の関係者には広く知られている。  約七年前に、「アンドロメダ」というSF映画が日本でも輸入公開された。アンドロメダと名づけられた宇宙からの飛来病原菌がアメリカ南部の小さな町を恐怖の坩堝《るつぼ》にたたきこむ。全米からえりすぐられた科学者たちが、大統領からの直接要請である農場へ集まってくる。そこは農場のようにカムフラージュされた、巨大な細菌戦研究所だった……。この映画のモデルとなったのもキャンプ・フォート・デトリックである。  ワンダリックも同じ様に感じたとみて、 「本当にここで細菌戦の研究をしているのかね」  と首を傾《かし》げた。  彼らが入ってきたメインゲートから中央奥まで南北一直線にディットー・アベニューがのび、メインゲートを入ったところでポーター・ストリートが東西に交叉している。主要な基地施設の大半は、ディットー・アベニューより西半分に集中しているようである。  暗緑色の軍用トラックが基地の中を走り回りそこが牧場ではないことを教えてくれる「USDA」の標識が見える。案内図によると「フレデリック基地農場」となっている。731にも八木沢《やぎさわ》班と名のる植物研究班があって、広大な農場で、クロボ菌の植物伝染に関する研究をおこなっていたと聞いている。ここフォート・デトリックにも同様の施設があるのだろうかと棟居は思った。  ジープに従《つ》いてしばらく行くと、広いガラスハウスが何棟もみえる。植物防疫の研究が基地内でおこなわれていることは、もはや疑いがない。交叉点でトラックの列に阻まれ、ジープを見失った。あてずっぽうに進んでいくうちにとうとう迷ってしまった。  ルーミスが車を降りて建物の表示を調べていると、 「ヘイ? 何を探しているのかね」と大声が掛かった。  見ると、将校服を着た大男が道路を横切って近寄ってくる。 「インフォーメーション・エージェンシイはどちらですか」 「ああ国旗のある建物だ……基地の道路に沿って左へ左へと走っていけば国旗が見えてくる。その建物だよ」  教えられた道を左へ左へと曲って行くと、白いペンキを塗ったオンボロの建物が現われた。ドクロのマークがあり、「DANGER」と赤い表示がドアに書かれている。 「INSECT AND RODENT CONTROL SEC」  と大書してある。棟居はぎくりとした。昆虫《インセクト》とネズミ(ロデント=齧歯《げつし》類)は細菌戦研究に欠かすことのできない生物である。第731部隊において、石井部隊長の実兄によって動物舎が経営され、ノミ、南京虫、ダニや大量のラッテマウスが飼育されていた……と聞いている。  当てずっぽうに車を乗り回し、ようやく目指す「インフォーメーション・エージェンシイ」の建物の前に出た。先導のジープが駐《と》まっている。玄関前の広場の両|翼《サイド》に緑色のカバーを掛けた迫撃砲が一門ずつ据えられている。左側の広場に星条旗がひるがえっている。芝生の前庭を持った左右シンメトリーの建物である。左右対称形……たしかに第731部隊の総務部(第一棟)も同じ造りであった。棟居は奇妙な偶然を感じた。  基地全体の広さは、731よりフォート・デトリックの方が広いように思えるが、実際には同様の(六キロ平方の)広さなのかもしれない。  彼らの車を見て、玄関からゲートの女子軍属が飛び出して来た。 「後から来ないので心配しておりました。いま捜索隊を編成しようとしていたところです」  彼女は冗談《ジヨーク》を言ってウインクをした。 「我々はもう少しで遭難するところだったよ」  ワンダリックが負けずに応酬している。  女子軍属に導かれて、玄関を入ると、星条旗とアメリカの地図が、ポーチの壁に掲げられている。ドアが二重になっていて、奥の頑丈なドアを開くと緑色のリノリウム張りの廊下が左右に走る。両側に小部屋のドアが貝のようにシンと閉ざされたままつづく。  廊下はかなり暗い。薬品の臭いがする。石炭酸の臭いである。リノリウムの床を踏み鳴らしながら進むと、左側にかなり大きな部屋があり、ドアが開放されている。男と女の軍属が白衣の作業衣を着たまま、盛んに議論をたたかわせていた。図書室かもしれない。書棚にぎっしりと本が並んでいる。  図書室を過ぎ廊下を右へ回ると、「メディカル・インテリジェンス・インフォーメーション・エージェンシイ」の本部室であった。  衝立《ついた》てで仕切ってある室内に入っていくと右側に細長い机が一脚あり、広報関係の女子軍属がすわっていた。面長《おもなが》で青い眼、褐色の髪の毛、白いブラウスの襟元《えりもと》から、胸が豊かに盛り上がっている。オレンジ色の制服を着て、胸に金色のネームプレートを光らせている。何か書き物をしていた。ネームプレートには、「C・|ANNY《アニー》」とある。  室内は快く暖房がきいていて、汗ばむほどのあたたかさである。スチーム暖房施設が隅々まで行き届いているらしい。  案内の女子軍属がアニーのそばに行って何事かささやいた。アニーが棟居の方ににこやかな微笑を向けて立ち上がり、 「ようこそいらっしゃいました。副司令官がお待ちでございます」と歯切れのよい英語で言った。ここで棟居らはゲートの女子軍属からインフォーメーション・エージェンシイの受付係へ引き継がれた。  アニーは部屋の奥にあるソファへ一同を誘った。待つ間もなく床がきしむ音がして、真青なスーツに身を包んだ長身の男が現われた。金髪、青い目、とがった鼻梁《びりよう》、紅顔であるが額がややはげ上がっている。頬《ほお》に少しだけソバカスを散らし、目は丸い。顔全体に愛嬌《あいきよう》があり、どことなく少年の面影がある。四十歳ぐらいである。唇が小さく口元が締まっている。  彼が基地副司令官ユージン・F・ヘンダーソン大佐であった。彼は棟居の前へ一直線に歩み寄ると、 「フォート・デトリック基地へようこそ」  と手を差し出した。初対面の挨拶を交し、棟居は除雪をしてくれた軍の厚意に感謝した。  大佐は挨拶のために立ち上がった一同にソファを勧めながら、 「ドクター・イザキを日本からわざわざ訪ねて来られたそうだが、あなたも731関係の用向きですか」  と質ねた。 「どうしてそのことをご存知なのですか」  棟居は、やや驚いて反問した。フォート・デトリックが731を母体としているとは言うものの、すでに三十七年も前のことである。米軍側に731の印象は薄くなっているであろうと推測していた。棟居は、井崎に会う要件についてあらかじめ一言も告げていない。それをずばりとヘンダーソン大佐に言い当てられた。それに彼は「あなたも」という言い方をした。ということは、棟居の前にだれか井崎を訪ねて来たことを示すものであろうか。 「ドクター・イザキが731元隊員であることは知っています」  だが731元隊員であったとしても、棟居がその関係の用件で訪ねて来たとは限らない。とにかく古いことなのである。  棟居のおもわくを察したように、ヘンダーソンは言葉を追加した。 「いや……最近、サンフランシスコ在住のジョン・ローレルというジャーナリストがある雑誌に731部隊についての論文を発表しました」 「アトミック・サイエンスでしょう」 「その通りです。そこであちこちのマスコミが、ローレルの論文を読んで、キャンプ・フォート・デトリックに細菌戦研究について問い合わせの電話をかけてきているのです。……いったい、ローレルの書いた731とは何だということで……ペンタゴンの資料図書室で見つけてきたのがこの書類です。……他にも三百五十枚ぐらいの付属書類があります。当時はトップ・シークレットだったが、今では極秘扱いする理由が殆《ほとん》どなくなったと我々は判断しています」 「我々」という表現から、基地の幹部が731関係資料をめぐって討議したことがうかがえた。 「なぜトップ・シークレットではなくなったのですか?」 「いや、極秘扱いの形は今でも変っていないが、極秘の実質を失ったということです」 「その理由は?」 「それは、ニクソン政権が誕生した時に、合衆国政府は続けてきた一切の攻撃的細菌戦の研究を中止し、基地の大幅縮小をおこなう旨の大統領発表をおこなったからです。以来、フォート・デトリックは攻撃的な形での、いかなる細菌戦の研究も止めました。基地は縮小され、いくつかの実験設備は廃棄されました。研究者も減り、予算も大幅に削られました。それ以後キャンプ・フォート・デトリックは、防禦《ぼうぎよ》的な、防疫研究しかおこなっていないのです」 「それは本当ですか……」 「本当です。基地全部を案内して、あなたに公開してもよい。自分の目で確かめられるとよいでしょう」  初めて知った意外な事実である。米国の持つ唯一の細菌戦研究所は、今から十数年も前に、すでに実質を失い、機能を消失していたのである。  棟居はヘンダーソン大佐の誠実な口調から、その言葉が嘘《うそ》ではないことを実感した。牧場のようなオープンな空気の背景には、フォート・デトリックの変容があったのである。      3  ヘンダーソン大佐と話している間に痩せた背の高い老人が室内に入って来た。脱色したような見事な銀髪であり、それにきれいに櫛目《くしめ》が入っている。七十二歳とICPO経由のデータには記されていたが、皮膚の色は若々しい。背が高く、実際の年齢より若く見えるのは、これまで会って来た731関係者の共通項のようである。右の頬の上部、目と耳の間あたりにうすいシミが浮き出ているのが、唯一の�老醜�と言えば言えた。  老人は距離をおいたかなたから棟居をまっすぐに見つめて歩いて来た。 「井崎です。遠路をご苦労様です」  井崎は棟居の所へ歩み寄って手を差し出した。日本からわざわざ刑事が出張して来た事実に棟居の用向きの容易ならざることを認識して緊張している様子である。 「麹町《こうじまち》警察署の棟居です。先日の電話では失礼いたしましたが、電話では埒《らち》があきませんのでやってまいりました」  棟居は言外に聞くべきことを聞かない間は帰らないぞという意志を示した。 「わざわざ日本から警察の方が私を訪ねて来られるとはおもいませんでした」  井崎はその事実にかなり驚いているようである。太平洋とアメリカ大陸の厖大《ぼうだい》な距離によって彼の黙秘は守られていると安んじていた節がある。 「地球も狭くなったものです。必要があれば世界の果てまでも飛んで行きますよ」  棟居はそれとなく言葉に圧力をこめてにじり寄った。棟居をエスコートして来た二人の米国の刑事までが彼に味方するようにその圧力を促している。 「それでご用のおもむきは、先日電話でお話しいただいたことですか」  井崎は、棟居の圧力に対抗するように言った。井崎が棟居を基地へ呼んだのは、自宅では一対一の対決となって、自分の城で迎え討つ有利性を十分に発揮できないからである。土地不案内の日本の刑事を米軍施設の基地の中に引っ張り込んで、まず米軍の権威を笠にきて相手を圧迫し、次いで周囲すべて英語圏の中で、圧倒してしまおうという計算が働いている。  だが基地では、棟居をVIP待遇で迎えた。たまたま基地司令官のマークハイム少将が休暇でフロリダの方へ行って留守だったが、副司令官ヘンダーソン大佐の命令で除雪車を出し、折からの記録破りの大雪にもかかわらず、基地までの交通を棟居のために確保した。もしマークハイム司令官が基地にいれば、彼自ら出迎えたはずである。  井崎の米軍の権威を笠にきて棟居を追い返そうとした計算が裏目に出て、棟居は基地のVIPとして乗り込んで来た。米軍の権威を背負ったのは、むしろ棟居の方になってしまった。棟居にとっての言語的ハンディキャップも、井崎と対決するためにはなんら負い目とならない。 「そうです。おおかたの経緯はすでにお話し申し上げた通りです。楊君里さん、奥山謹二郎氏、お二人の死には関連があり、我々は殺人事件とにらんでおります。どうか犯人を検挙するためにご協力いただきたい」  棟居はひた押しした。ワンダリック、ルーミス、そしてヘンダーソン大佐までが棟居の言葉の意味がわかるかのように井崎の返答をじっと待ちかまえている。 「せっかく日本からお越しいただいたが、私に申し上げられることはなにもありません」  井崎は、まだ必死に抵抗していた。 「井崎さん、楊君里はあなたのお嬢さんを訪ねて来られたのにちがいないのです。その帰途、原因不明の死を遂げた。いや死因は有機|燐《りん》化合物の中毒死であることが判明しております。彼女はなぜ毒を服んだのか。あるいはだれになぜ毒物を服まされたのか」 「智恵子はなにも知りません。彼女は無関係です」 「ですからそれを確かめるために捜査しておるのです。あなたは智恵子さんが無関係であることを確認してもらいたくないのですか」 「なにも知らずに幸せに暮らしている智恵子を巻き込みたくないだけです。智恵子の幸せには何人もの人間の願いがこめられています」 「たとえば智恵子さんとすり替えたあなたの嬰児《えいじ》とか、生きながら解剖された楊君里の弟とか、単手鬼に殺害された山本正臣氏とかですか」 「あ、あなたは、そんなことまで知っているのですか」  井崎の面が激しい驚愕《きようがく》の色に塗られた。 「楊君里の死体のかたわらには、一個のレモンが転がっておりましたよ」 「レモンが!」  井崎の顔がふたたび激しい驚きの色に塗られた。 「レモンの由来は、藪下さんから聞きました。楊君里は三十六年間レモンを我が子の形見としてひたすら抱きつづけて日本へやって来たのです。そのことについてなんともお考えになりませんか」  棟居はここぞとばかりに詰め寄った。 「知りません。楊君里とやらいう中国人女性がレモンをもって死のうと、私には関わりのないことです」 「本当に関わりがないと言えますか」 「関係ありません!」 「——そんなにもあなたはレモンを待つてゐた   かなしく白くあかるい死の床で……   昔|山顛《さんてん》でしたやうな深呼吸を一つして   あなたの機関はそれなり止まつた……  そのレモンを楊君里がもっていても、あなたには関係がないと言い切れるのですか」  井崎の表情が苦しげに歪《ゆが》んで、唇の端が痙攣《けいれん》した。 「あなたは亡くなった我が児の遺体に一個のレモンを託した。あなたのお子さんはレモン哀歌そのままにこの世で只《ただ》一度限りの呼吸しかしなかった。ただ一度だけの呼吸をするために生まれてきて死んだ子供、あなたはそれが不憫《ふびん》でレモンを託した。そのレモンを楊君里は三十六年間もかかえていたのですよ。それでもあなたは関わりがないと言えるのですか。もし言えるのであれば、あなたは人間ではない」  井崎はうなだれた。内訌《ないこう》する激しい感情を抑制しているのか肩が小きざみに震えている。 「それはあなたが死んだお子さんに託した同じレモンです。楊君里の無限の母性愛に包まれて三十六年間『涼しい光り』を失わず、『トパアズいろの香気』を維持してきたレモンなのですよ。楊君里は立派に成人した娘を見て、そのレモンに訣別《けつべつ》するつもりだったのかもしれません」 「どうか許してください。いまさら智恵子に出生の秘密を教えたところで、彼女を傷つけるだけです。楊君里は気の毒なことをいたしましたが、死んだ人間より、生きている人間の幸せを守ってやりたいのです」  井崎の頬がうすく光っていた。楊君里がかかえていた「ただ一個のレモン」に井崎は激しく突き動かされていたが、まだ抵抗を止めていない。 「おかしいですね。智恵子さんも現在三十七歳くらいのはずです。いまになって出生の真相を知ったからといって心に深い傷をうけるとはおもいません。それに楊君里が智恵子さんに当夜会っていれば、出生の真相をすでに知っているはずです。  智恵子さんと会ったと考えられる帰途、服毒死を遂げているのですから、智恵子さんは好むと好まざるとにかかわらず、無関係者にはなれないのです。あなたがあまり智恵子さんを庇《かば》い立てなさると、彼女の立場をまずくしてしまうのではありませんか」 「智恵子が疑われているのですか」 「あなたのお答え次第ですね。我々としても、智恵子さんを疑いたくないのです」 「智恵子が実の母親を殺すはずがない!」  井崎が抗議するように叫んだ。 「智恵子さんは楊君里を実母と知らされていなかったかもしれませんよ。あるいはいまさら実母に名乗り出られては都合の悪い事情があったのかもしれない」 「そんな事情なんかない」 「ですからそれを確かめるために日本から来たのです。レモン哀歌に歌われています。『——命の瀬戸ぎはに、——生涯の愛を一瞬にかたむけた』と。楊君里は我が子にレモンを届ける一瞬のために戦後の長く辛い三十六年を生きたのです。そしてまさしくその一瞬のために生命をかたむけたのです。私はレモンに籠《こ》められた悲しい意味と、その涼しい光りを見たとき、楊君里の死因を明らかにすることは日本人の責務だとおもいました。楊君里に託されたレモンは只一個でありながら一個ではありません。あのレモンは日本人共通のものです。  楊君里が戦後三十六年して日本へ返して来たレモンをむざむざ腐らせてはならない。智恵子さんに疚《やま》しいところがなければ……そのように信じておりますが、その居所を教えてくれませんか」  井崎の上半身がぐらりと揺れた。  井崎は遂に智恵子の居所を棟居に告げた。楊君里が戦後三十六年間抱きつづけてきた「ただ一個のレモン」が、井崎の固い口を開かせたのである。  智恵子は現在結婚して薬剤師となり、夫と共に渋谷区|幡ケ谷《はたがや》二丁目で「弁天堂」という小さな薬屋を営んでいるそうである。渋谷区幡ケ谷では、楊君里が生前訪ねて行った目黒区都立大学付近とは方角ちがいである。  目黒区になにか心当たりはないかという棟居の問に対して、井崎は、智恵子を訪ねればすべてわかると含みのある答えをした。それは、目黒区の楊君里の訪問先と、智恵子がなんらかの関係をもっているような含みであった。だが井崎はそれを自分の口から言いたくない様子である。彼の面に濃い疲労の色が塗られた。それは戦後三十有余年しても下ろせぬ731の重荷によるもののようである。 「最後にもう一つお質ねします。おさしつかえがあればお答えいただかなくともけっこうですが、あなたは戦後どうしてこちらの基地へ来られるようになったのですか」  それは捜査に直接関係ない質問であったが、事件発生以来、731の軌跡に深く入り込んだ棟居は、同部隊を母体として発足したと伝えられる米軍細菌戦基地に731の元隊員が戦後三十七年して生きのびていた事実に興味を覚えたのである。 「べつにさしつかえはありません。終戦後731の幹部はGHQのG2(参謀二部、情報担当)の取調べをうけました。私も731の技師の一人として取り調べられたのですが、そのときの担当官が家内と同郷の出身者で、発足したばかりの米軍の細菌戦部隊の技術顧問にならないかと勧誘されたのです。  当時の日本は全土にわたって荒廃しており、731での経歴を秘匿しなければならなかった私は、引揚後の生活の方途が見つからず、途方に暮れていたので、渡りに舟とばかりにその勧誘をうけました。私はそのままフォート・デトリックの極東支部ともいうべき、米陸軍在日医療本部406医学研究所の客員となりました。この部隊はアジア地域の風土病を研究するという名目で日本に設けられた機関で、朝鮮戦争時代は『国連軍406医療所輸血部』の名前で献血事業に当たっていました。米国にわたったのは、一九六八年です」  終戦後、米国と石井四郎の間に行なわれた731の研究成果を引き渡す見返りとしての戦犯免罪に関する裏取引はジョン・ローレル論文によって明らかにされているが、その取引の実際が、G2の取調べ時に行なわれたのであろう。すると、そのとき井崎と共に石井四郎や北野政次などの幹部も取り調べられたことになる。  意外な戦後史の一端がチラリと覗《のぞ》いた。 「しかし私もここでもはや不用の人間となりました。智恵子のいる日本へ帰りたいとおもっているのですが、この地に妻の墓がありますので、彼女を異国の地に一人残すのは可哀想で踏みとどまっているのですよ」  井崎が追加した言葉には亡き妻に対する追慕と、731の過去を引きずって、アメリカ東部の片隅まで三十有余年歩いて来た者の疲労が重く澱《よど》んでいた。      4  アメリカから帰国した棟居は、那須への報告もそこそこに、井崎から聞いた智恵子の居所へ赴いた。訪ねてみると、弁天堂は、京王《けいおう》線幡ケ谷駅を下りて甲州街道を渡り、北へ折れた小規模な商店街の中にあった。小規模ながら下町的な雰囲気に溢れた活気のある商店街である。  行ってみると、弁天堂だけがシャッターを下ろして「臨時休業」の紙が貼《は》ってある。どうやら二階が居住区らしいが、そこも雨戸がしまっている。隣りの八百屋に聞いてみると、内儀《おかみ》が前掛けで手を拭《ふ》きながら、 「ああ、お隣りさんね、一昨夜ご主人のお父さんが亡くなったとかで、一家でそちらの方へ行かれてますよ」と答えた。 「ご主人のお父さんの家はどちらにあるのですか」 「さあ、よくは知らないけれど、都立大学の方だと聞いたことがあります。いらっしゃいませ。奥さん、今日はミツバが安いですよ」  八百屋の内儀は入って来た客の方に向かって愛想笑いを浮かべた。 「都立大学!」  内儀の関心が客の方を向いたのもかまわず棟居は店先で棒立ちになった。一時の驚愕から立ち直った棟居は、なおも近所を聞きまわって、「弁天堂」の主人の父親の家が目黒区中根にあり、弁天堂の姓が「二谷」であることを知った。  智恵子の婚家は「二谷」であった。井崎が智恵子を訪ねればすべてわかると言った言葉の含みが、いま解けかけてきた。  だが、智恵子の夫の父親が、一昨夜急死したという。棟居が帰国の途についたとき、彼は死んだことになる。不吉な胸騒ぎがしきりにした。      5  二谷家の住所は目黒区中根一丁目十×番地となっており、目黒通りと東横線にはさまれた住宅地である。楊君里がタクシーを拾った地点まで一、二分の至近距離にあり、仙波信仰の居宅とは、まさに�隣り組�のような位置にあった。  二谷家は、探すまでもなく、すぐにわかった。葬家の会葬客のための黒指マークが途中目に付く場所に貼られていた。目黒通りを折れると、生け垣をめぐらした古びた平家の前に喪服姿の群れているのが目についた。そこが二谷家であり、「二谷昭治」とうすれかけた墨字で書かれた表札がある。これが単手鬼の本名であろうか。棟居はこれまでその家の前を何度か通っていた。ちょうど火葬場から荼毘《だび》に付した骨壺《こつつぼ》が持ち帰られたところであった。  棟居はおもわず舌打ちをした。これで死因に疑わしいところがあったとしても、死体は骨になってしまったのである。ほんの一足ちがいであった。  棟居が弔問を装い、家の中に入ってみると、庭に面した一室に設けられた祭壇に骨壺と位牌《いはい》を安置して、遺族や故人に親しかった人が焼香している。  祭壇の右側に遺族らしい人たちが固まっていた。  骨壺の上に花に飾られて、故人の拡大写真が掲げられている。煙草をくゆらせながら寛《くつろ》いでいる穏やかな容貌《ようぼう》の老人の顔がそこにある。告別用の写真は、おおむね故人の最良の写真が選ばれるものであるが、それから見るかぎり、長い人生航路において、人間の生臭い欲望や野心から完全に脱脂されたような、まことに清々しく枯れた老人の顔であった。  まだ確認していないが、故人は「単手鬼」本人か、あるいは縁《ゆかり》のある人物である公算が大きい。だが写真のイメージと、単手鬼の凄惨《せいさん》の経歴とはあまりにも乖離《かいり》している。三十有余年という歳月が、血まみれの過去を風化してしまったのであろうか。弔問客のために�精進《しようじん》落とし�の飲食物が供された。  棟居は一般の会葬者を装って部屋の一隅に坐った。楊君里の死に始まって、731の軌跡を溯るうちにその中に深くのめり込んでしまった。捜査を開始してから古館豊明、奥山謹二郎の死に際会している。楊君里を加えてこれで四人目の死者である。  戦時中、中国大陸で悪逆無道の限りをつくした単手鬼の告別に立ち会うとすれば皮肉なめぐりあわせである。それとなく様子をうかがったが、731や当時の軍関係者らしき者の気配はない。献花も町会、出入りの商人、個人名のものばかりである。それとなく詮索《せんさく》していた棟居は、はっと息をのんだ。弔客のために甲斐《かい》がいしく飲食物を運んでいる中年の女性の横顔に記憶が走ったのである。  昨年末、押しつまったころ多磨霊園に篠崎を訪ねたとき、バスで一緒になったラベンダーの香りをまとった女性の横顔がそこにあった。帰途、精魂塔へ回ったときも構内ですれちがった。  まさか彼女が智恵子では! 棟居の気配を悟って彼女が顔を向けた。切れ長の目、形のよい鼻と唇、喪服に肌の白さが浮き立って見える。まちがいなくあのときの女性である。  彼女は棟居と目が合うと、軽い会釈を送った。彼を知っているはずはないから故人の関係者と釈《と》ったのであろう。  彼女は、棟居の前にも飲食物をおくと、また別室の方へ引き返していった。  外から見た構えはそれほど大きくないが、古い家を何度か継ぎ足したらしく、間取りが複雑なようである。だれも棟居の存在を気にしていない。 「二谷さんはなんのお病気だったのですか」  棟居は、隣りにいた近所の人らしい会葬者にそれとなく探りを入れた。 「脳溢血《のういつけつ》と聞いていますがね、咋年五月末ごろ一度発作が起きて倒れてから療養しておられたのですよ」 「一度発作で倒れた……」 「まあ、こう言ってはなんだが、突然亡くなったのと異なり、一度倒れてからですから遺族も心構えができているでしょう」  棟居は、その死の形が古館豊明と同じパターンであるのを知った。古館も一度倒れ、再発作で死んだ。最初に倒れた時期も同じころである。その間に犯罪の入り込む余地はなかったのか。だがいまとなっては手遅れであった。 「二谷さんは、以前軍人だったと聞きましたが」  棟居はカマをかけた。 「ああ、そんな話を聞いたことがありますな。ご本人は昔のことを話すのをいやがっておられたが、戦時中は凄腕《すごうで》の憲兵で鳴らしたという噂でしたよ。あるテレビ局が終戦特集に『憲兵』という番組を企画して二谷さんを引っ張り出そうとしたがとうとう出なかったという話を聞きました」 「二谷さんは、右手がご不自由ではなかったですか」 「そうです。戦時中、ゲリラに手榴弾《てりゆうだん》を投げつけられて、右手首を吹っ飛ばされたそうです。おや、あなたはそんなことも知らないのですか」  相手は怪訝《けげん》な顔をした。 「いや、私の死んだ父親が二谷さんと親しくて、私は代理で来たのです」棟居は一瞬ヒヤリとしたが、なに食わぬ顔でその場を言いつくろった。 「それでは二谷さんの軍人時代の戦友ですか」 「まあそんなところです」  先方は、それ以上詮索せずに出された料理の方に関心を向けた。  これで二谷昭治が単手鬼であったことが確認されたわけである。  おそらく楊君里は二谷を訪ねて来たのであろう。二谷の居所を教えたのは古館と推測される。古館の娘の言葉によると、彼女が昨年二月半ば学校からの帰途、目黒通りにある父親の仕事部屋へ立ち寄った際、古館が「珍しい人間に会った」「奇遇」だとしきりに言い、紅茶にレモンのスライスを添えてくれたそうである。  古館の仕事部屋と二谷の家は目黒通りをはさんで目と鼻の距離にあるので、彼らが顔を合わす機会はあったであろう。  だが、戦時中、731少年隊員であった古館が二谷を知っていたであろうか。仮に知っていたとしても古館にとって二谷は「奇遇」を懐しがるような人間ではなかったのではないか。古館はその人物からレモンを連想した。二谷とレモンは結びつかない。  ここで一人の新たな人物が浮上して来る。それは井崎良忠である。智恵子は二谷家に嫁した。ここにも数奇な運命の糸を感じるが、娘の婚家を井崎が訪ねて来ることは考えられる。昨年二月、井崎は米国から一時帰国して二谷を訪ねたのではなかろうか。その際、古館と出遇った。井崎は古館に智恵子の婚家が近所にあることを告げる。それを古館が楊君里に伝えた。  このように推測の糸を追うと、楊君里のこれまで不明だった訪問先との間に橋が架《か》かるのである。 「なんにもお召し上がりになりませんのね」  自分の思考に耽《ふけ》っていた棟居の耳許《みみもと》で女の声がした。目を上げると、いつの間にか�智恵子�が傍《かたわ》らへ来ていた。まだ彼女が智恵子であるかどうかも確かめていない。棟居はその機会を捉えた。 「奥さんは、智恵子さんとおっしゃいますか」 「そうですけど」  ここで遂に智恵子を突き止めたのである。 「失礼ですが、故人のご子息の奥さんで……」 「はい、故人は主人の父にあたります」 「私の父が故人の知合いで、私は代理ですが、奥さんのご父君は井崎さんですか」 「父をご存知ですか」 「直接には存じ上げませんが、私の父が戦時中、大変おせわになったそうです」  棟居は、なんとなく自分の正体を明らかにするのが憚《はばか》られた。 「それでは大陸時代のお知合いですのね」 「そうです。ご母堂にもおせわになったと言ってましたよ。ご母堂もお元気ですか」  棟居は、智恵子の反応をうかがいながらとぼけて質ねた。 「両親共、昭和四十三年に渡米しておりますが、母は五十三年に向うで亡くなりました」 「亡くなられた!? 少しも存じませんでした。昨年五月ご母堂が日本へ来られたという噂を聞いたのですが」  その「母」とはもちろん楊君里を指している。だが智恵子の面にはなんの反応も現われず、むしろ不審の色を浮かべて、 「昨年の五月? そんなはずはございませんわ。母は四年前にアメリカで亡くなっているのです。きっとなにかのおまちがいでしょう」 「そうですね。なにかのまちがいでしょう。ところで私は、奥さんとは今日が初めてではないのですよ」 「あら、どちらでお目にかかったかしら」  智恵子の面に好奇心が浮かんだ。 「昨年の暮でしたが、多磨霊園で偶然奥さんをお見かけしました。行きのバスも同じでした」  棟居はあのとき、彼女の、悲しみのカプセルの中に閉じこめられていたような姿を想起した。夫は元気なようであるが、「孤独に耐える生き方」に関する新聞の切り抜きを読んでいた。 「ああ、あのときご一緒だったのですか。ちょうどあの日が母の命日になっていたのです」  ICPOを介しての照会によって、井崎の妻が一九七八年十二月二十七日に死去したと回答されていたが、あの日が命日に当たっていたのか。 「多磨霊園にお墓があるのですか」  井崎はたしか米国の地に葬ったと言っていた。 「父が多磨霊園の精魂塔に母の霊も合祀《ごうし》されていると言っていたものですから」 「精魂塔とは何ですか」  棟居はとぼけて質ねた。 「よく存じませんが、父の大陸時代の部隊関係者の霊が祀《まつ》ってあるそうです」  と言ったとき、祭壇の前の一団から彼女を呼ぶ声があった。夫であろう。智恵子は一礼して去った。  智恵子は楊君里の存在や彼女との関係を知らされていない。嘘をついている表情ではなかった。楊君里は智恵子に会わずに死んだのだ。なぜ彼女は死んだのか? 楊君里が死んだこともその存在そのものも智恵子は知らず、楊君里は智恵子のまったく与《あずか》り知らないところで死んだのである。  楊君里は二谷昭治を知っていたであろうか。二谷は、憲兵時代ハルピンの傅家甸《フウジヤーデン》をトンネルとして大量の戦略物資の闇ルートをつかんでいたという。楊君里の父親は同じフウジャーデンで歯科医を開業していた。楊君里と二谷はフウジャーデンで顔を合わせている可能性が大きい。  楊君里は弟が収容された同じマルタ小屋に入れられて、弟が書いた「単手鬼殺害山本正臣」の告発の血文字を読んでいた。楊君里は夫を殺した犯人の名前も顔も知っていた。  そんな経緯も知らず、古館は自著を手がかりに中国から訪ねて来た楊君里に二谷の家を智恵子の婚家として教えた。ようやく実の娘に会えると胸躍らせて訪ねて来た楊君里は、そこに夫を殺し、弟を死に追いやった単手鬼を見出した。  自分の腹を痛めた娘が、倶《とも》に天を戴かざる敵の息子と結婚している。それを知ったときの楊君里の衝撃はいかばかりであったか。  死んだように打ちのめされて二谷家を飛び出した楊君里は、折しも通りかかったタクシーに転がり込んだ。不幸なことに彼女はそのとき、研究資料としてもらった農薬を持ち合わせていた。彼女はその猛毒性をメーカーから教えられていた。絶望のあまり、彼女はその農薬を衝動的に呷《あお》った。  ただの絶望ではない。戦後三十六年間、生きる支えとしてひたすらに抱きつづけてきた只一個のレモンを無惨に踏み潰《つぶ》されてしまったのである。  楊君里が死んだ車内に転がっていた一個のレモンは、生きる支えを失った、彼女の絶望の象徴であったのだ。執念を燃やした捜査の果てに行き着いた所は、絶望の象徴であったのか。  一触の着想が走った。棟居は智恵子の姿を探した。空になった食器を下げようとして出て来たところを棟居は呼びとめて、 「つかぬことをうかがいますが、二谷さんが最初に倒れられたのはいつですか」 「昨年の五月三十日の夜でした」 「五月三十日の夜! それにまちがいありませんか」 「まちがいありません。月末の土曜日とあって集金したり、されたりしていましたからよく憶えています。それがどうかいたしましたか」  楊君里の訪問は、二谷にもショックをあたえたのである。大陸時代の悪業を星霜の中に風化させて、いまは穏やかな余生を送っている老人の許に、突然過去の悪業の�生き証人�が現われたのである。  二谷は、息子の嫁となった智恵子の出生の秘密について知っていたであろうか。知らなかったとすれば、楊君里からそれを告げられたときの衝撃は強烈であったであろう。それを告げられなかったとしても、楊君里が現われただけで老化した脳血管を破るに十分な衝撃波を被ったにちがいない。  楊君里が二谷を訪ねて来たときの模様は、もっと詳しく確かめなければならない。だがいま故人と親しかった人たちが寄り集まって生前の追懐に耽っている時間を捜査の名目においても妨げることはできない。棟居は後日出なおすことにした。  棟居はポケットをまさぐった。闘志を奮い立たせるためにそこには常に一個のレモンを容れていた。いまこそそれを本来の�相続人�に返すべき時期がきたようである。 「死んだ父から聞いたことですが、亡くなられたお母さんはレモンが好きだったそうですね。ここでお目にかかれたのはよい機会なので、お渡しいたします」 「はあ?」  意味がわからずキョトンとしている智恵子の手にレモンを押しつけた。棟居はそれでよいとおもった。智恵子がレモンの意味を知らないところに彼女の幸せがあるのだ。 「ママ」  智恵子によく似たおもざしの十二、三歳の少女が寄って来た。  二谷家を辞して駅の方角へ辿《たど》りながら、棟居は激しい脱力感に襲われていた。自分の捜査はレモンを彩った悲しみの色を少しも希釈しなかった。つまり楊君里に対する日本人の債務を少しも返済していない。彼女から負託された莫大な債務を返そうとおもい立ったこと自体が、実現の可能性のない大それた野望なのかもしれない。  人の影が多くなり、家並みが密になってきた。街角に夕闇《ゆうやみ》が降り積もっている。空の上方は晴れて、夕映えにうすく染色されている。気温は低いが、寒さの底に芯《しん》がないような気がする。  春はすぐそこまで迫っているようであるが、棟居の心は暗かった。  駅前へ出た。明るい灯群れが視野を彩った。棟居はそこではっと立ち停まった。楊君里と智恵子に関心が集中して束の間忘れていたが、奥山謹二郎の死因はまだ確かめられていないのである。楊君里の死に関連して奥山に生きていられては都合の悪い人物がいたのかもしれない。いや必ずいたはずである。  楊君里の死因にしても棟居の臆測にすぎず、確認されたわけではない。二谷昭治の死因についても疑いがまったくないとは言えない。  棟居はレモンを相続人に返したのが少し早すぎたとおもった。 [#改ページ]  帰化した共犯者      1  棟居は日を改めて二谷家を訪れた。葬儀後、葬家を取り巻いた喧噪《けんそう》は一応鎮静して、死者と別れた後の本来の静けさを取り戻している。  応対してくれたのは、二谷未亡人である。白髪の上品な面立ちの老婦人であるが、多年連れ添った夫を失った憔悴《しようすい》と寂寥《せきりよう》が表情に深く刻まれている。棟居は素性を明らかにして来意を告げた。 「昨年五月三十日の夜、楊君里という中国人女性がご主人を訪ねて来たとおもいますが、そのときのご様子をうかがいたいのです」 「五月三十日……主人が倒れた夜ですね。よく憶《おぼ》えています。レモンをもってきた人でしょう」  老女は若い頃の容色を偲《しの》ばせる端正な表情を向けて答えた。 「レモン、それにまちがいありません。その人がレモンをもってきたのですか」  棟居は身体を乗り出していた。 「五月三十日の夜十時ごろ、主人の中国時代の知合いとかいう六十歳ぐらいの婦人が主人を訪ねてまいりました。その人がレモンの包みをおみやげにもってきたのです。妙なものをもってくるなと不思議におもいました」 「ご主人はレモンについてなにかおっしゃいましたか」 「いいえなんにも」 「レモンを見て驚いたり、ショックをうけたりした様子はありませんでしたか」 「レモンをいただいたと伝えましても、ただうなずいただけでした。果物をもらったとおもったようです」 「奥さんはどうして妙なおみやげだとおもったのですか」 「レモンはそんなに食べられるものではありませんし、レモンだけもってくるという方は珍しいとおもったのです」 「レモンを何個ぐらいもってきたのですか」 「たしか三十五あったとおもいます」 「三十五!」  それは楊君里が死の間際に持っていた一個と合わせて智恵子の年齢である。楊君里は我が子と別れてから、その年齢を我が子の形見のレモンに託して数えていたのである。その意味を未亡人に教えても仕方がない。楊君里は戦後生きる支えとなったレモンを、我が子に再会する日のみやげとしたのであろう。 「その人は楊君里と名乗りましたか」 「よく憶えていませんが、たしかそんな風な名前だったと思います」 「ご主人はそのときどのように応対されましたか」 「主人は、初め憶い出せないようでしたが、とにかく中へ入れてお話をしているうちに相手の身許をおもいだしたようでした。  そのとき私は台所でお茶の支度をしていたのですが、お茶を出しに行くと、主人は大変驚いた様子で、しばらく部屋へ来ないようにと言われました」 「ご主人と二人だけでどのくらい話していましたか」 「二十分ぐらいだったとおもいます。玄関から人が出て行く気配に、様子を見に行くと、いつの間にかその人は帰っていて、主人が一人残っていました」 「そのとき、どんなご様子でしたか」 「気が抜けたみたいに茫然《ぼうぜん》としていました。私がいまの人はどなたかと質《たず》ねると、おまえには関係ない、すぐに寝《やす》みたいと言いました。主人はその人について聞かれたくない様子でした。私は言われた通りに夜具の用意を整え、主人にいつでも寝めますと伝えました。ところが主人がちっとも動こうとしないので、主人のそばへ行くと、座椅子《ざいす》にもたれたまま、もう意識がありませんでした。顔が紅潮していて、目を開いているのにいくら呼んでも答えません。かねがね血圧が高目で降下剤を服《の》んでいたので、私は即座に脳溢血《のういつけつ》の発作を起こしたと察してかかりつけの先生を呼んだのです」 「奥さんはそのときのご主人の発作が突然訪問して来た楊君里に原因があると考えましたか」 「そのときはそんなことを考える余裕はありませんでした。幸い発作は軽くてすみましたが、後になってもしかすると、主人の発作はあの訪問者に関係あるかもしれないとおもいました。でも主人は話題があの女性に触れられるのを好まない様子でしたし、発作があの人に関係あれば、うっかり聞いて再発作の引き金になってはいけないと考え、黙っていました」 「その後ご主人のほうからその女性について話したことはありませんでしたか」 「ございません」 「もう一つつかぬことをおうかがいしますが、奥さんがご主人と結婚されたのは、戦後ですか」 「そうです。昭和二十三年です」 「ご主人が以前軍人だったことはご存知でしたか」 「軍人という話は聞いておりましたが、詳しい事情は知りません。主人が軍隊のころのことを聞かれるのを好まなかったものですから」 「立ち入ったことをお質ねしますが、ご子息と、智恵子夫人が結婚されたのはどのようなご縁からですか」 「勧める人がございまして……」 「その仲人《なこうど》はどなたですか」 「千坂さんです。いまの民友党幹事長の」 「千坂義典……氏ですか」 「そうです」  ここに千坂義典が再登場して来た。考えてみれば、千坂は二谷——井崎両家にとって格好の仲人である。千坂と二谷は731とハルピン憲兵隊本部以来の持ちつ持たれつの腐れ縁である。また千坂と井崎は731で「同じ釜《かま》の飯《めし》」を食った仲間であった。 「奥さんは奥山謹二郎という人をご存知ですか」 「おくやま、さあ存じません。その人がなにか」 「ご存知なければよろしいのです」  二谷未亡人から聞き出せたことは、以上であった。二谷家から帰る途すがら棟居は思案をめぐらした。  二谷昭治はレモンに対して反応を示さなかったそうである。彼はレモンにこめられた意味を知らなかったのだ。井崎は智恵子の出生の秘密について二谷に打ち明けていなかった。  そこに訪ねて来た楊君里は、まさか我が子の婚家が憎むべき単手鬼の家とは知らなかった。楊君里がそれを知ったということは、二谷昭治も同時に智恵子の出生の秘密を知ったことを意味する。それぞれの強烈なショックから、楊君里は服毒し、二谷の脳血管が破れた。二谷は結局そのときの衝撃から回復しきれずに命を失ったのである。  我が子と生き別れた三十六年前の女マルタが生きる支えとしたレモンは、遂にその子の許へ届くことはなかった。棟居が智恵子に渡したレモンは、母の心を伝えていない�代用品�にすぎない。  楊君里はレモンが届かないほうが智恵子にとってよいと判断したのであろう。だからこそその中の一個を握りしめ毒を服んだのだ。      2  楊君里の死の真相は徐々に輪郭を明らかにしてきたが、奥山謹二郎の死因は依然として霧の帳《とばり》の奥にある。棟居の担当は、楊君里の原因不明死である。それが解決に近づいたのであるから、彼の使命は果たされたと言うべきであろう。  だが奥山の死が楊君里から派生している疑いがある以上、それが解決されないかぎり、棟居の胸は晴れなかった。楊君里の死因を探って元731関係者の間を経回《へめぐ》っている間に、同部隊の恐るべき実体がその全体像を現わしてきた。だがまだ解明されない部分は多く、その闇《やみ》の部分に奥山の死因も隠されている。  現在奥山の死因に最も近い位置にいる者は、千坂義典であり、前田良春である。楊君里の来日は、千坂の旧《ふる》い犯罪を暴き出す危険性がある。つまり千坂に殺人の動機があることになる。  ジョン・ローレルに前田が山本正臣殺しの資料について問い合わせた事実は、有力な状況証拠である。ここにわずかな攻め口があるが、攻め込むには武器がまったくない。素手で攻め込んでも返り討ちにあってしまうことは明らかである。とにかく相手は時の権力者である。  なにか武器はないかと、思考を集めていた棟居の心裡《しんり》に徐々に沈澱《ちんでん》してきたものがあった。むしろそれは瞼《まぶた》に焼きついた残像が長い間隔《インターバル》の後に再生されたと言うべきであろう。  それは官能的な赤い色彩である。高村智恵子と奥山謹二郎の青春の足跡を追って行った福島県|原釜《はらがま》の海浜に咲き群がっていたグロキシニアと奥山の終焉《しゆうえん》の地となった文京区|団子坂《だんござか》の花屋の店頭に咲いていたグロキシニアの色彩が重なり合い鮮やかによみがえってきた。  智恵子と光太郎を結びつけた愛の花。そして奥山謹二郎が遠い青春の夢を追った失恋の花。奥山はその花を智恵子の形見として愛し、身辺に飾っていた。 「そうだ! グロキシニアだ」  視野から逸《そ》れていたものが、見えるようになった。棟居は奥山の死体を発見したときの状況をおもいだした。無収入の独り暮らしの老人にしては、生活環境に余裕があり、室内はきちんと整頓《せいとん》されていた。家具調度類も中級品以上であった。  だが、そこにどうしてもなければならないものが欠けていた。グロキシニアである。奥山の姿を見なくなってから一週間ぐらいと花屋の店員が証言したが、死の直前に花を買ったとすれば、それが残っていたはずである。もっと以前に買ったとしても枯れた残骸《ざんがい》が残っていてよいはずである。  それが死体発見後の現場検索によっても、そのような鉢植は残されていなかった。念のためにそのときの検証調書を見直したが、現場に鉢植や植物類はなかったことが確かめられた。  なぜ奥山の住居にグロキシニアがなかったのか。棟居は団子坂の花屋に問い合わせた。昨年のことだが、店員が憶えていた。奥山は死ぬ四、五日前にグロキシニアの鉢植を買ったことが判明した。  だがそれに該当する鉢植は現場に残っていなかった。グロキシニアはけっこう長保《ながも》ちのする花である。四、五日のことなら、まだ花弁が開いていたはずである。それが花はおろか鉢すらなかった。  古い鉢は捨てたとしても、新しく買ったばかりのグロキシニアの鉢植がなぜ現場から失われていたのか。考えられる可能性は犯人が持ち去った場合である。訪問者もない奥山の家からグロキシニアを持ち去れる者は、まず犯人である。なぜ犯人はグロキシニアを持ち去ったのか。それは花を残しては都合の悪い事情があったからであろう。その事情とは何か?  グロキシニアに犯人を推定あるいは特定させる資料があったからではないか。その資料とは……? 思考を集める中に花屋の店頭が浮かび上がってきた。  棟居は再度、団子坂の花屋へ出かけて行った。 「電話で奥山さんが最後にグロキシニアを買った日を問い合わせた麹町《こうじまち》署の者ですが、その件についてさらにお質ねしたいことがあります」 「何でしょうか」  店員は不安げに応対した。 「奥山さんはそのとき直接花を買いに来ましたか」 「そうです。いつもご自分で店へ来て選んで買っていかれました」 「そこのところをよく憶い出してください。確かにご本人が来ましたか。だれか他の人が注文して奥山さんへ届けてくれと依頼したようなことはありませんでしたか」 「ご依頼ですか」 「そういうケースはよくあるんでしょう」 「お誕生日やパーティにご依頼によってお届けすることはよくあります」 「そこのところを確かめたいのです。あなたは奥山さんが最後に花を買いに来られた姿をはっきりと見ているのですか」  店員の表情がにわかに自信を失った。 「そう言えば、あのときグロキシニアを奥山さんのお宅にお届けしたような気がします。だからよく憶えていたのだとおもいます」 「それの注文主はだれですか」 「ご本人ではなかったとおもいます」 「注文主はわかりませんか」 「去年の八月ですからねえ、注文伝票が残っているかどうか」 「注文は伝票に記入するのですか」 「お届け先と、ご注文主の住所氏名、品名などを記入します」 「注文は電話ですか」 「電話が多いですけれど、店先へ来てご注文なさるお客様もいらっしゃいます」 「注文伝票はどのくらい保存するのですか」 「お得意様の伝票はずっと保《と》っておきますが、そうでない伝票は一か月ぐらいで廃棄してしまいます」  一か月では絶望的であった。棟居は気を取り直して、 「奥山さんはお得意だったのでしょう」 「いえ、ご注文のお得意様は、毎年誕生日や母の日や結婚記念日などに定期的に|ご注文《オーダー》されるお客様のことです」 「奥山さんに花を届けるようにという注文はそのときだけでしたか」 「多分そうだったとおもいます。でももしかするとお得意様として伝票を保存してあるかもしれないので調べてみましょうか」 「ぜひおねがいします」  店員はいったん店の奥へ姿を消した。幸いに店は閑《ひま》な時間帯であった。店頭には温室栽培によるチューリップ、フリージヤ、アネモネなどの花々が撩乱《りようらん》と咲き乱れている。パンジイ、サイネリアなどの鉢植もある。  季節がちがうせいか、それとも唯一の顧客を失ったためか、グロキシニアは見当たらない。  十分ほど待つと、店員が一枚の伝票を手にして店先へ引き返して来た。その表情を見て棟居は目指すものが見つかったのを悟った。 「ありましたよ」  店員の声が弾んでいた。 「注文客の名前は書いてありますか」 「どうぞごらんになってください」  店員は伝票を差し出した。そこにはお届け先として奥山謹二郎の名前があり、注文客名には次の名前が記入されてあった。棟居はその文字に視線を膠着《こうちやく》させた。  ——前田良春、文京区|目白台《めじろだい》三—二十×—××——  前田良春がここに登場して来た。伝票の日付は八月五日となっている。奥山の死亡推定日が同月十日から十三日ごろとなっているから、死後経過時間を最大限に見積って死の前五日に届けられたことになる。店員の記憶は正確であった。  前田が奥山の死の五日前にグロキシニアを贈っている。前田が奥山の死になんらかのつながりをもっていれば、この事実を隠したいのではないか。これを裏返せば、前田が花の痕跡《こんせき》を隠したことは、奥山の死に関連している事実を示すのではないのか。前田が千坂の意をうけて奥山を殺したとすれば、犯行の数日前に被害者に贈ったグロキシニアは、犯人にとって命取りになるにちがいない。そこで犯人は犯行後、グロキシニアを持ち去ったと考えられないか。  犯人は遺留品を現場に残す代わりに、むしろ現場に所属していたものを持ち去ったのではないのか。  前田が犯人であれば、グロキシニアを贈った時点では殺意は確定していなかったとみてよいだろう。これから殺すつもりの人間に証拠となるような品をプレゼントするはずがない。すると、グロキシニアを贈ってから五—八日の間に殺意が確定したことになる。  その間になにがあったのか。棟居が奥山の死体を発見したのは、原釜と米沢《よねざわ》の探索行から帰って数日後である。熱海の神谷勝文が送ってくれた奥山の句作十首の中から奥山の居所のヒントをつかんだのである。  これまで奥山の死と棟居の奥山発見が前後したのは偶然と考えていたが、犯人が棟居の動きを察知して先回りしたとは考えられないか。先回りしたとすれば、どこで棟居の動きを察知したのか。そして棟居の動向が犯人に脅威をあたえたことになる。その動向は、前田がグロキシニアを奥山に贈った八月五日から彼の死亡推定日の十—十三日までの間に限られる。  棟居が原釜へ行ったのが八月二日、同地に二泊して、四日は山形へ回り、五日に帰京して来た。それ以後は東京にいたから、犯人に脅威をあたえたとすれば、この旅行の可能性が大きい。そうだ、千坂が棟居の旅行目的を悟ったなら最大の脅威を覚えたにちがいない。棟居は原釜と米沢においても奥山の消息を追っていた。もし千坂が棟居の動きをマークして、その足跡をフォローしていれば、棟居の目的を簡単に知ったはずである。  当時、千坂または前田が原釜か、米沢に行っていないか。米沢は千坂の選挙区でもあり、彼の家もある。  棟居は昨年八月における千坂の行動を調べた。そして、千坂が八月六日より五日間行政視察という名目で米沢へ里帰りしていた事実が判明したのである。つまり千坂は棟居とすれちがいに米沢へ帰省している。  棟居は同地で市の社会教育課の遠藤と、郷土史家の矢部に会っている。彼らの口から棟居の来米とその目的が千坂に伝わったのかもしれない。  棟居は早速両名に問い合わせた。遠藤が、「そう言えば昨年夏、あなたとすれちがいに千坂先生が帰省されまして市役所へお見えになりました。その際話題が米沢中学生奥山謹二郎と高村智恵子の�恋愛�に触れまして、棟居さんが来米されたことを話しましたよ」と答えた。 「千坂氏はそのとき奥山謹二郎を知っていると言いませんでしたか」 「いいえ。ただ棟居さんが奥山謹二郎の消息を探していると話しましたら、千坂先生は大変驚かれていたご様子でした」  千坂と奥山は姻族であった。当然そのことについて一言あってしかるべきところであるが、千坂はなにも言わなかったという。それは彼が奥山との関係を秘匿したがっている状況を示すものではないのか。  千坂は、棟居の動きに脅威を感じたのであろう。棟居が奥山の許へ辿《たど》り着くのは時間の問題だとおもった。そこで千坂は前田に奥山の抹殺を命じたにちがいない。前田は千坂の女婿《むすめむこ》であり、千坂の失脚は前田の将来の閉鎖につながる。二人は身内であり、運命共同体である。その意味で彼らは信頼し合える�共犯者�である。  闇《やみ》に隠されていた奥山の死因をめぐる状況が次第に浮かび上がってきた。  前田は千坂の命令をうけて奥山を殺した。いっさいの証拠を残さず、現場から脱出するにあたって自分が被害者に贈ったグロキシニアに気がついた。  だが、すべては推測の域を出ない。犯人を討ち取る決め手を欠いている。ここまで肉薄しながら犯人との間には堅牢《けんろう》な壁が立ちはだかっていた。      3  前田良春が奥山謹二郎を手にかけたという心証は棟居の中でおおむね固まっていた。しかしどこにも攻略口がなかった。彼は難攻不落の城塞《じようさい》にたてこもっていた。  棟居は、前田の経歴について、徹底的に調べることにした。井崎良忠と共に前田の存在が浮かび上がったとき、彼については一応調べた。だがそれは彼の一身に限られていた。  棟居が特に関心を抱いたのは、前田が千坂義典の女婿の位置におさまった過程である。  公表されている資料によると、前田と千坂の次女は大学の同級生という縁で結婚したことになっているが、彼らの年齢差は六歳ある。これは同級ではなく「同学」の誤りなのであろう。  しかし同学ではあっても、前田は政治経済学科、次女は仏文科を出ており、またクラブ活動においても二人を結びつけるような接点はなにもない。前田の経歴や身上についてはほとんどなにもわかっていない。  前田が次女と結婚したときは、すでに千坂は少壮の政治家として頭角を現わしていた。野心的な政治家にとって、子供の結婚は格好の政略の具である。  千坂には三人の娘がいるが、長女は財界の有力者の御曹司《おんぞうし》に、また三女はエリート大蔵官僚に嫁している。その中で次女の結婚だけが違和感があるのである。  前田は東京の一流私大を卒業し、有名商社に入社しているが、政治家の政略の具となるような背景や権門を背負っているとはおもえない。すると次女の結婚だけは、本人の意志に委《ゆだ》ねたのか。本人に任せた結婚の相手が頭角を現わし、結局千坂の後継者としての実権を握りつつあることになる。  たしかに実力と才能があったのであろうが、前田の千坂への取入り方は見事である。そこになにかあるのではないか。  棟居はその辺を詮索《せんさく》してみたいとおもった。彼は、調査の範囲を拡《ひろ》げた。棟居はそこで意外な発見をした。  前田良春は一九二九年(昭和四年)米国ロスアンジェルス市で出生、父は日系一世前田譲司、一九五三年(昭和二十八年)国籍法第五条第二項(日本国民であった者の子の帰化)によって日本国籍を取得している。  前田良春が米国で出生し、米国籍であったことは新たな発見であった。棟居は前田の父親の経歴を知りたいとおもった。前田が千坂に取り入ったきっかけが結婚ではなかったとすれば、親同士の関係が考えられる。  日本国民が自分の志望によって外国国籍を取得したときは日本の国籍を失う。その際、自分の戸籍のある本籍地に外国国籍を取得した旨を届け出なければ、戸籍事務を管掌する市町村長にはわからない。ここに二重国籍が発生する素地がある。また外国で生まれたことによってその国の国籍を取得した日本国民は、出生の日から十四日以内に日本の国籍を留保する意志表示をすれば、日本国籍を留保することができる。  前田良春が米国で出生したときは、まだ旧憲法の時代であり、やがて日米が戦火を交える太平洋戦争に突入した日系人にとって受難の時代となる。  前田良春が帰化したのが昭和二十八年であり、国籍法が施行されたのが昭和二十五年七月一日である。同法第五条第二項の規定を充足する条件は、「引き続き三年以上日本に住所又は居所を有する者」となっているから、前田は同法が施行されたときはすでに日本へ来ていたか、あるいはほぼ同時に来日したことになる。  棟居は前田が千坂の秘書になる前に就職していた大手商社国武商事に当たってみた。前田良春は、昭和二十七年語学力をかわれて同社入社、同三十三年千坂義典の次女と結婚、同四十二年海外事業部部長代理を最後のポストに同社退社、千坂の秘書となっている。三十八歳で同社の花形セクションの部長代理は異例の昇進であるが、それを惜しげもなく抛《なげう》って千坂の旗下へ馳《は》せ参じている。  同社に前田を斡旋《あつせん》したのが千坂義典であった。昭和二十七年は、千坂はまだ政界に打って出る前であり、このころから彼らの間にコネクションがあったことがわかる。  また、前田の父親は米軍軍属で昭和二十年八月終戦と同時に来日している。棟居は「米軍軍属」という点に注目した。  棟居は、おもうことがあって、二谷智恵子の家に電話した。 「過日、お舅《とう》さんの葬儀にお伺いした棟居と申します。つかぬことをお質《たず》ねしますが、お母さんのお生まれになった所はどちらかお聞かせねがえないでしょうか」 「母の生まれた土地ですか。金沢ですけど」 「同郷の出身者で、前田譲司という名前をお母さんやお父さんから聞いたことはなかったでしょうか」 「前田じょうじ……さあ」  智恵子の声に特に反応は現われない。 「日系一世で、終戦時米軍軍属として来日していたそうです」 「聞いたことありません。それに終戦時は私は赤ん坊でしたから」 「その後も聞いたことはありませんか」 「ないとおもいます。聞いていても幼いころのことでしたら忘れているかもしれません。父が帰って来ますので、父に聞いてください」 「お父さんがご帰国なさるのですか」 「舅《しゆうと》の葬儀には間に合いませんでしたが、初七日に帰って来るという連絡がありました。明日の夕方、成田に着く予定になっております」  井崎が帰国して来るというニュースは初耳である。この際ぜひ彼に会って確かめたいことがあった。  智恵子に確認して、一つの心証が棟居の中に固まりつつあった。井崎良忠を米国フォート・デトリックの基地に訪ねた際、彼は「妻と同郷出身の日系米軍属の取調べをうけた」と答えた。  井崎は彼の勧誘によって戦後、米陸軍在日医療本部の客員となり、一九六八年に渡米した。  終戦後、731の幹部はGHQのG2(参謀二部、情報担当)の取調べをうけたという。千坂もG2の取調べをうけた可能性が大きい。もし、前田譲司が当時G2にいたとすれば、——そこに棟居のおもわくが固まりつつあった。      4  棟居は、翌日の午後井崎良忠を迎えるために成田に赴いた。日本航空に問い合わせて、井崎の名前が当日のニューヨーク発東京行第5便の搭乗客名簿に載っていることを確認してあった。  箱崎《はこざき》のシティエアターミナルからのバスに乗ると、見憶えのある顔と出会った。予期はしていたが、同じバスに乗り合わせるとはおもわなかった。同じバスで一緒になったのは昨年末の多磨霊園《たまれいえん》以来である。 「やあ奥さんもお出迎えですか」  棟居は智恵子に声をかけた。 「あら」  智恵子の表情が驚いていた。棟居がまさか同じ人間に会いに行くとはおもっていないらしい。棟居は、井崎に会えば自分の素姓が智恵子に露顕することになるかもしれないとおもいながら、 「お父さんのお迎えですか」 「ええ、棟居さんは……」 「実は私もあなたのお父さんをお迎えに行くところなのです。私の父の代理です」 「まあそれはお忙しいところを、父も喜ぶでしょう」  智恵子は単純に井崎の出迎え人が増えたのを喜んでいるらしい。 「お父さんは来日中は奥さんの家に滞在されるのですか」 「そのように勧めたのですが、ホテルのほうが気を遣わなくてよいと申しまして。Pホテルに予約を取ってあります」 「井崎さんは近く米国から日本へ引き揚げるようにうかがっておりましたが」 「ご存知でしたの。父も母を失って米国の独り暮らしは寂しいだろうとおもいまして、日本へ帰って一緒に暮らすように勧めております。  母の墓があちらにあるので、ためらっていたのですが、最近|寄《よ》る年波で寂しくなったらしくようやくその気になってくれたようです。今度の帰国できっと心を決めるでしょう」 「ご一緒にお暮らしになれるようになるとよろしいですね」 「ええ、私、このまま父を日本に引き留めようとおもっておりますの。母と同じ様に父までアメリカに奪われたくありません。棟居さんからもお口添えくださいまし」  話している間にバスは成田へ着いた。  出迎ロビーには、多数の出迎人が群れていた。アナウンスはすでに5便の無事到着を告げている。到着客は税関にかかっているころであろう。  先頭の客がポチポチ到着ラウンジに姿を現わし始めた。出迎人が到着口に集まっている。 「そろそろ出て来られますよ」  棟居は智恵子に言った。到着口に姿を現わした到着客と共に出迎人が移動する。旅なれた個人客の後に日本人の帰国団体がつづく。いずれも海外の土産《みやげ》をかかえきれないほどにもっている。 「どうしたのかしら」  智恵子がいっこうに姿を現わさない父親を案じた。 「団体の後に回されると遅くなりますよ」  棟居は智恵子の不安をなだめた。搭乗客名簿に記載されていたのであるから、必ず乗っているはずである。 「あ、お父様!」  智恵子の表情がぱっと輝いた。大型のスーツケースを下げた長身の老人が到着口に姿を現わした。銀髪はソフト帽の下に隠されている。 「お父様、ここよ」  智恵子は、声を張り上げて父親の方へ走り寄った。 「おう、智恵子」  井崎も喜色を満面に浮かべて近づいて来た。二人は固く手を握り合った。 「お父様、久しぶり」 「おまえも元気でなによりだ」  再会した親娘《おやこ》の間に感情が内訌《ないこう》して言葉が滞った。 「井崎さん、先日は突然お邪魔して失礼いたしました」  頃合を見計らって、棟居が挨拶《あいさつ》をすると、井崎は初めて彼が来ているのを知ったらしく、 「あ、あなたは!」  と驚愕《きようがく》の声を漏らすのを、押しかぶせて、 「大陸でおせわになった棟居の息子でございます。父の健康がすぐれませんので、本日は父の代理でお迎えにまいりました。日本へようこそお帰りを」  棟居は目に言外の意を含ませて言った。 「二谷の舅《ちち》の葬儀にもお見えいただいたのよ」  智恵子がタイミングよく言葉を添えた。井崎は、棟居の目顔と智恵子の様子から、棟居が彼女にまだなにも話していないことを悟ったらしい。咄嗟《とつさ》に表情を抑えて、その場をつくろった。 「お父様、お疲れでしょう。とにかくホテルへまいりましょう。積る話はホテルでゆっくりと、ね。主人はどうしても脱けられない会合があるので、ホテルの方へ直行するわ」  おおかたの到着客と出迎人が出会ってロビーから三々五々散りかけていた。  ホテルへ向かうバスの中では、智恵子が傍《かたわ》らにぴったり付いていたので、話す機会はなかった。まずホテルにチェックインして部屋に入ると、智恵子が、 「お父様、間もなく主人が来ますから、一緒にお食事をしましょう」と言った。親子水入らずの食事となると、話をする機会はますます遠ざかると棟居が内心焦燥していると、井崎が、 「私は棟居さんとちょっと話があるから、それがすんでから食事にしよう」 「あら棟居さんもご一緒すればよろしいのに」 「いや、ちょっと込み入った話があるのだ」  井崎は棟居の表情から察した様子である。  智恵子が気をきかせてロビーへ下りて行った間に井崎は、 「なにかご用がおありのようですね」  とうながした。 「お嬢さんにはなにも話しておりません。智恵子さんは事件にまったく無関係とわかりましたので」 「ご配慮を感謝します」 「本日突然うかがいましたのは、前田譲司という人をご存知ではないかお尋ねするためです」  棟居はいきなり核心に斬《き》り込んだ。 「前田譲司! あなたは前田さんを知っていたのですか」  井崎の面を激しい驚愕が覆った。 「やっぱりご存知だったのですね。前田譲司氏が終戦後あなたを取調べたG2の担当官で、あなたをフォート・デトリックへ仲介した人物ですね」 「そうですが、前田さんがどうかしたのですか」  井崎は最初の驚きを納めて聞いた。 「実は前田氏の行方を探しているのです。前田氏は当時731の幹部の取調べに当たったそうですが、その中に千坂義典氏もいたでしょうね」 「いたとおもいます。石井部隊長や北野部隊長はじめ、各班の班長までが調べられましたから」 「前田譲司氏の息子が千坂義典の娘と結婚していることはご存知ですか」 「前田さんの……まさか、本当ですか」  井崎の驚きに演技はなかった。 「本当です。前田氏に至急連絡を取りたいのですが、居所をご存知ではありませんか。もうかなりのご年輩とおもいますが、ご健在かどうかも不明なのです」 「前田さんはお元気ですよ。いまは日本に帰っているはずです」 「日本に!」 「郷里の金沢に帰っているはずです。二、三度手紙をもらいました」 「やっぱり金沢の人でしたか。その住所をぜひ教えていただきたいのです」 「けっこうです。私も久しぶりに彼に会いたいとおもっていたのです」  井崎はメモを開いた。  井崎良忠から遂に前田譲司の居所を突き止めた。彼は金沢に健在である。終戦後、米軍と731の取引の橋渡しをつとめたにちがいないG2日系担当官の息子が、時の与党民友党の幹事長の女婿に納まっている。そこには戦後三十七年にわたって尾を引いている米軍と731の腐れ縁を感じさせるものがある。  棟居はこの腐れ縁の尾痕というより、鎹《かすがい》の中に千坂と前田の攻略口があるのではないかと考えたのである。それはあるともなしのわずかな攻略口であった。  731の研究成果を米国が独占確保するために731全隊員を戦犯に問わない密約を交した噂は当時から密《ひそ》かにささやかれていたことであり、最近ジョン・ローレルによって明らかにされた事実である。  この取引は731幹部にとって弱みであるにちがいない。三千人以上に及ぶマルタを対象に人智《じんち》の及ぶ限りの残虐な生体実験を反復した731部隊がいかなる責任も問われず、その幹部は731で磨いた技能や蓄積した研究成果を踏まえて、戦後を生き永らえ、富と名声を獲得した事実は、太平洋戦争の無量の犠牲の中で、731の日本国民に対する後ろめたさとなっていたにちがいない。  その後ろめたさが一見政略に背いたこの結婚を生んだのではないのか。 [#改ページ]  口留の結婚      1  井崎良忠から聞き出した前田譲司の住所は、「金沢市|小坂町《こさかまち》」という地区である。地図を見ると、金沢市の東北のはずれにあたり、市街が山地に阻まれる地域である。前田は小坂町にある「野間神社」の近くの「白雲荘」というアパートに住んでいるということであった。  井崎は、一年前に手紙をもらったのが最後の消息であるので、いまでも前田が同じ住所に住んでいるかどうか知らないと言った。  調べてみたが、白雲荘に電話はなかった。あるいは家主の名義になっているのかもしれない。千坂は金沢大学の教授であったし、終戦後帰国した731部隊は一時期、同大学を基地としていた模様である。  731部隊と金沢はいろいろと関わりの深い土地であった。その地に前田良春の父親が住んでいるというのも、なにかの因縁を感じさせる。  棟居が金沢へ赴いたのは、三月十一日である。彼が北陸へ行くのは、三回目である。初回は横渡刑事と共に黒人青年刺殺事件の捜査で、富山県の八尾《やつお》町へ行った。あの事件からすでに七年経過していた。二回目はもと友禅染《ゆうぜんぞめ》の画工橋爪を訪ねて行った。  上野を朝の早い列車で発《た》ち、金沢に着いたのは午後三時ごろである。  金沢駅の改札口を出ると、雨を混じえた強風が駅ビルを押し包んでいた。春の北陸特有の低気圧に遭遇したようである。この季節には春一番から数番にかけて、低気圧が日本海を大発達しながら通り抜ける。  駅ビルを出ると強大な風圧をうけて、足がもつれた。駅舎の上空を舞う強風に煽《あお》られた冷雨は地上に落ちるまでに霧のような微粒子となり、激しく渦を巻きながら通行人をもみ立てる。タクシー乗場に張り出した鉄傘の下に細かな冷雨が容赦なく吹きつけて、車待ちの客の体を濡《ぬ》らした。小型の台風であった。押し寄せる春の先兵の前で、冬将軍が最後の抵抗をしているようである。  列車の暖房に馴《な》れた身体に冷気は針となって突き刺さる。タクシー乗場に列をつくっている乗客も完全に冬の衣装である。足踏みをして寒気をまぎらしながら車を待っている客の姿には春の気配はみじんも感じられない。コートの襟を立てた棟居は、大きなくしゃみを連発した。  ようやく順番がきた。車に乗り込んで行先を告げる。車は駅前から東北の方角に向かう。間もなく橋を渡る。地図で得た予備知識によると、この川が浅野川《あさのがわ》であり、渡ったのは中島大橋である。  金沢の市街は、加賀丘陵と加賀平野の交った緩い丘陵地に発達し、起伏に富んでいる。中央市街地は、いま棟居が渡った浅野川と、その南東から北西に向かって並行して流れる犀川《さいかわ》の中間にある。車窓から見る道路は狭く、混雑している。まだ午後のあまり遅くない時間であるにもかかわらず、街は夕暮のように暗く、車はライトを点《つ》けて徐行している。街路は城下町の名残《なご》りを留め、極度に屈曲して見通しが悪い。敵の侵入に備えての「鍵町《かぎまち》」と称せられる紆余《うよ》曲折が至る所につけられて交通の障害となっている。  交叉《こうさ》点で停車すると、近代的なホテルや銀行ビルの傍らに雪害を防ぐための釉薬《うわぐすり》をかけた瓦葺《かわらぶ》きの旧家が艶《つや》のある家並みを見せている。商家はいずれも広い間口と奥行きのある店構えをもち、うす暗い店内で古いしきたりのままの商いをしている。交叉点毎に必ず目につく呉服屋、工芸品、仏具店、九谷《くたに》焼、薬屋などの老舗《しにせ》が、この町の古きよき伝統を感じさせる。氷雨の烟《けむ》る路地の奥は、袋小路となって古い城下町の面影をいまなお留めると同時に金沢の発展を阻害する大きなネックともなっている。伝統と発展の相反の中に、苦悩しているような街路を、タクシーはのろのろと進んだ。  国道159号線に出てから車の流れがややスムーズになった。約十分走ったところで車は右へ折れた。地図を見ると、東金沢駅の少し手前である。右手に小学校の建物が見える。道の両側は桜並木であるが、蕾《つぼみ》はまだ固い。校庭の一隅の紅梅の朱が雨に濡れて一際《ひときわ》鮮やかに映える。  道路の突き当たりは野間神社になっており、背後はうっそうたる森に蔽《おお》われた山になっている。この道は神社の参道らしい。神社の手前、参道の左手に目指す「白雲荘」があった。紫色のモルタル塗り二階建の建物である。  棟居はその前で車を下りた。雨は小降りになっている。建物はかなり古びており、雨水が汚ならしい縞《しま》を画《えが》いている。壁は塗料がはげ、あちこち剥落《はくらく》している。窓の数から判断して上下階十二室ぐらいの構成のようであるが、空室が多いらしい。一階の窓の下の地上には空の酒びんやビールびんが散乱しており、殺風景を促している。玄関の前に栄養の悪そうなヤツデとナンテンの木がひょろひょろとのびており、いかにも不景気な点景となっている。ヤツデの木のかたわらに犬小舎があった。中を覗《のぞ》いてみると、いきなりテリア種らしい毛足の長い犬がじゃれついてきた。人なつこい犬で、棟居にしきりに甘えかかる。腹が空《す》いているのかもしれない。長い毛足が雨に濡れて水分をたっぷりと含んでいる。棟居は閉口して鎖の届かない距離に逃げ出した。  犬小舎と並行するように茶色の屋根瓦が何十枚も積まれている。おそらく雨漏りしているにちがいない屋根の修理に近く取りかかるらしい。消防署から立ち退《の》き勧告をうけていそうな古い粗末なアパートであるが、道路沿いの並びにま新しい「金沢市第二消防団小坂分団機械器具格納庫」の建物があるのは、なんとなく対照の妙を得た光景となっている。  アパートの入口から奥をうかがうと、中央に廊下があり、両側が部屋になっているようである。廊下の奥は暗くてよく見えない。入った所が一坪ほどの三和土《たたき》になっており左手に下駄箱《げたばこ》、右手に集合メールボックスがある。メールボックスの上に赤電話が一台乗っている。番号が本体に記入してある。棟居は手早くメモした。ボックスの一つに「前田」の名前が記入されてあるのを確かめて、棟居はひとまずホッとした。彼はまだ同じ居所にいたのである。  どこからかトイレットの臭いが漂ってくる。いまどき珍しいWC共用のアパートらしい。棟居が、さて前田の部屋はどこかと屋内をうかがっていると、最も玄関に近い部屋のドアが開いて、中年の男が出て来た。どうも管理人らしい。 「恐れ入りますが、前田さんの部屋はどちらですか」  棟居が早速、質《たず》ねると、男はちょっととまどったような表情をしたが、 「ああアメリカ爺《じい》さんのことですけえ」  と言った。前田はこの地ではアメリカ爺さんと呼ばれている様子である。 「そうです。その人です」  棟居がうなずくと、 「爺さんなら、神社で碁を打っとるわいね」 「神社といいますとそこの野間神社ですか」 「そうですちゃ」  管理人に教えられて、棟居は再び白雲荘の外へ出た。野間神社は杉木立の奥に霧雨に烟っている。大鳥居の横に「郷社、野間神社」と彫られた大きな石碑が苔《こけ》むしたまま建っている。「明治三十年建之」という字が苔の間に読めた。青銅葺の屋根をさしかけた手水《ちようず》舎がある。石段を上りつめると、かなりの年月を経たらしい自然石を用いた石碑があり、「河北郡総代」と刻まれてある。車馬記念碑と青銅の馬もある。いかにもその土地と共に歴史を重ねてきた神社の古格が感じられた。  境内には亭々たる松柏《しようはく》が枝葉を広げ、昼なお暗く頭上を蔽っている。密度の濃い枝葉のフィルターを潜り抜けて来た霧雨が煙霧となって境内を烟らせ、幽邃《ゆうすい》の気を深めている。  一対の石灯籠《いしどうろう》の間を抜けると、さらに急傾斜の石段に導かれて、杉木立の間の荘重な本殿の前に出る。左手に朱塗りの小祠《ほこら》、右手に白木造りの宮司の居住区がある。そこが氏子《うじこ》集会所も兼ねているらしい。  悪天候と木の下によって相加された闇《やみ》の中に暖かげな電灯がともっている。玄関の戸を開いて案内を乞《こ》うたが、奥の方の部屋に賑《にぎ》やかな談笑と碁石を崩す音がして、いっこうに応答する気配がない。数人が集まって碁に興じている模様である。  声を張り上げてなおも案内を乞うと、ようやく聞こえたらしく、 「上がって来られよ」と大きな声が答えた。  廊下を伝い、賑やかな奥の部屋の障子を開けると、暖かい空気が冷えた頬《ほお》を撫《な》でた。室内には五、六名の男たちがいた。いずれも老人ばかりである。宮司の家が老人たちの碁会所になっているのかもしれない。  見知らぬ棟居の闖入《ちんにゆう》に、ざわめきが束《つか》の間《ま》止み、不審の視線が集まった。 「突然お邪魔いたします。私は棟居と申しますが、こちらに前田譲司さんはいらっしゃいますか」  棟居の間に一座の視線が棟居から一人の老人の方へ転じられた。鶴のようにと形容したいが、枯木かミイラのように痩《や》せた老人である。無数の皺《しわ》に刻まれた顔面全体に老人性シミが汚ならしく浮き出ており、頭部にわずかな白髪が綿ゴミのようにへばりついている。目をつむれば死骸《しがい》のように見えるかもしれない。だが旱魃《かんばつ》の土地のように皸《ひび》割れた顔はめったなことでは動揺することのない茫洋《ぼうよう》たる広がりがある。それは長い星霜によって磨かれた古く遠い皮膚である。高齢ということはわかるが、何歳くらいなのか見当もつかない。前田良春との相似は認められない。 「私が前田ですが、どんなご用事ですか」  前田老人はゆっくりと碁盤から目を上げた。 「お楽しみのところをお邪魔して申しわけありません。私はこういう者でございます」  一座の雰囲気をしらけさせないために、棟居は前田だけに見えるように名刺を差出した。ところが前田は老眼鏡越しに、 「どれどれ、警視庁麹町警察署、棟居弘一良……ほう警察の方が、わしにどんなご用件かな」  とせっかくの棟居の配慮に気づかぬ如く、無頓着《むとんちやく》な声で名刺を読み上げた。  棟居が周囲の人たちに気がねしていると、前田老人と盤を囲んでいた、これはまた前田とは対照的な血色のよい堂々たる体格の老人が、 「なんだったら、社務所を使うてもええぞ」  と言ってくれた。その老人が宮司であった。      2  棟居が前田良春にかけている嫌疑は奥山殺しである。息子にとって不利な証言をする親はあるまい。前田譲司をよほど上手に誘導しないとこちらの欲する証言は得られない。棟居の狙いは、米軍と731との腐れ縁から千坂義典と前田良春の攻略点を見つけようというものである。  社務所で前田譲司と向かい合った棟居は、まず彼の居所を井崎良忠から聞いてきたと伝えた。 「ほう、井崎さんからねえ、井崎さんは元気でしたか、しばらく会っておらんが」  前田は懐しそうな表情をした。 「いま日本に帰って来ておられますよ。お嬢さんの舅《しゆうと》さんが亡くなられて、その法事のためだそうです」 「日本へ帰っているのですか。そりゃぜひ会いたいもんだのう」 「井崎さんもそのようにおっしゃってました。近くご連絡があるでしょう。ところで前田さんは終戦後GHQのG2の担当官として井崎さんや731の幹部を取り調べられたそうですね」 「そんなことがありましたかのう」  前田老人の目が遠方を見た。 「あなたが調べた幹部の中にいまの民友党の幹事長、千坂義典氏はおりましたか」 「いたかもしれんが、どうしてそんな古いことを調べておるのかのう」  前田老人は、棟居に視線を向けた。穏やかな目であるが、眼窩《がんか》に潜む光には鋭いものがある。  棟居は、731女子軍属殺害事件に関して千坂にかけられている嫌疑について語った。前田は、棟居の言葉に思慮深げに耳を傾けていたが、 「棟居さん、そんな時効ものの事件をなぜいまごろ追いかけているのですか」と問うた。  棟居が束の間答えにためらっていると、 「あなたは私の息子が千坂の女婿《むすめむこ》であることを知っていて私の許《もと》へ来られたのでしょうな」 「存じております」 「知っていて私になにを話せとおっしゃるのですか。私の証言はもしかすると千坂の不利益につながることなのでしょう」 「私はただあなたと千坂氏とのご関係を知りたいだけなのです。それが千坂氏の不利益になるかどうかわかりません。ただはっきり申し上げられることは、我々は千坂氏のプライバシーにはなんの関心もないということです。捜査の秘密に関するのであまり詳しく申し上げられないのですが、女子軍属殺害事件はたしかに時効が完成しているものの、最近のある事件に尾を引いているのです」 「最近の事件にね……」  前田は、棟居の言葉を反芻《はんすう》しながら、思案している様子であった。その事件を明らかにせよと求められたら、彼の息子にかけられた嫌疑を告げなければなるまい。そのときは彼の協力は得られなくなるだろう。棟居は、前田の反応をじっと待った。前田の協力が得られたとしても、事件解決の鍵《かぎ》が得られるかどうか当てはない。 「千坂義典はたしかに私が取り調べた731関係者の中におりました。千坂の何がお知りになりたいのですか」  ややあって前田譲司は心を定めたように口を開いた。 「あなたのご子息は千坂氏の女婿です。当時の取調べが縁になったのかと推察いたしますが、あなたは当時千坂氏のためになにか特別の便宜をはかってやったのですか」  棟居はおもいきって踏み込んだ。米軍と731部隊との間の取引きはすでに明らかにされている。棟居は、前田譲司と千坂義典の間になにかの個人的取引きがあったのではないかと考えていた。前田は棟居の露骨な質問に口辺にうすい笑いを刻んで、 「千坂が娘を良春の嫁にくれたのは、�口留料�ですわい」 「口留料?」 「私は千坂について都合の悪いことを知りすぎているのです。そのために娘を息子に当てがって口を封じようとしたのです」 「娘を口留料に使うとは、大変な秘密をご存知のようですね」  棟居は意外な展開になりかけた気配に緊張した。 「千坂はこのままいけば日本の政権を握るかもしれない。彼のいまの勢いからみてその可能性はかなり強いとみてよいでしょう。私は日本のために、彼のような人物に為政者になって欲しくないとおもっています。しかし、いまさら私のような亡霊がなにを言おうと彼を阻むことはできない」 「千坂氏についてそうおっしゃるのは、なにか根拠があるのですか」 「私も八十歳を越えました。いつお迎えが来るかわからない身です。秘密をこのまま墓場まで背負っていくのは重いとおもっておりました。千坂は時効とはいえ、女子軍属を殺害した。それは最近の事件にも尾を引いているということですが、その事件によって彼の政治的生命を断てるのであれば、日本の将来にとって大きな利益になるでしょう。息子とのコネクションという私情を越えて、私の証言がお役に立つのであれば、お話しいたします」  前田譲司の語った内容を要約すると次の通りである。  ——前田譲司は明治三十三年(一九〇〇年)金沢市に出生、大正八年(一九一九年)十九歳のとき海外雄飛の野心に燃えて単身渡米した。以後苦学勉励しながら、三十一歳のとき、独立、ロスアンジェルス市内に小さいながら貿易商社を設立した。日本や中国相手に雑貨、衣類、陶器類を手広く捌《さば》いて、営業は順調であった。  彼の運命は一九四一年十二月七日に突然狂う。日米が開戦し、日系人の在米資産はすべて凍結された。彼の一家も日本人キャンプに強制収容された。一九四二年一月、アーカンソー州のルーワー収容所において妻が病死した。後に前田と当時十三歳の一人息子の良春が残された。同収容所に一九四三年いっぱいいて、一九四四年日系人は東海岸への移住を認められたので、前田は商売でコネクションのあった第二十七代米国大統領ウイリアム・タフトの息子を頼ってオハイオ州のシンシナティへ行った。タフト家に厄介になっている間にワシントンから呼出があり、米国防総省《ペンタゴン》のOSS(戦略活動局)で働かないかという勧誘をうけた。  前田譲司の経歴はFBIによって徹底的に調べあげられていた。出身地、郷里での身上関係、渡米後の経歴、仕事、収容所での言動、妻との結婚の経緯やハネムーンの行先地までが詳細に調べあげられていた。驚嘆すべき調査力であった。  当時、米国にはJICという情報機構があった。Joint Intelligence Committee(統合情報委員会)の略である。  JICの下に、海軍情報部、陸軍情報部、空軍参謀本部情報部、国務省戦略活動局《OSS》がそれぞれ独立したセクションとして機能していた。OSSとは、Office of Strategic Service の略である。真珠湾攻撃の五か月前、ルーズベルト大統領の命を受けたウイリアム・J・ドノバン大佐(のちに少将になった)が新設した組織で広く民間の経済、語学、工学などのエキスパートをメンバーに引き入れた、秘密、かつ斬新《ざんしん》な情報機関として知られていた——。  形は勧誘であっても拒否はできなかった。拒否すれば、�敵性国民�のレッテルを貼《は》られたまま、あらゆる就職の機会、また当時十五歳になった良春は就学の機会を奪われてしまう。  ここで前田譲司は、 「日本は母国であるが、米国には自分を育ててくれた国としての恩義がある。日米両国が戦うのは実の親と育ての親が戦うのと同じで、子供にとって大きな不幸であるから、自分の能力を戦争終結に役立てよう」  と決意してOSSに入ったのである。  最初に前田にあたえられた仕事はラジオの短波放送を聞いて、それに関する意見を上司に報告することであった。ラジオによって日本がいま断末魔の苦悶《くもん》にのたうっていることを知った。  一九四五年四月、前田は「サンフランシスコのモントレート兵営に行け」という命令を受けた。モントレート兵営は、海に近い、風の強いところだった。出頭して直ぐに、前田に第二の任務が命ぜられた。日本への敵前上陸訓練と、上陸してから行なう情報戦の準備だった。—— 「待遇は良かったが、訓練はきつかった。これは終戦秘話の一つで、これ迄《まで》どこにも知られていないことですが……米軍は日本本土への上陸を、一九四五年九月のXデーと定めていました。上陸地点は、相模湾《さがみわん》、東京、仙台、金沢、九州の二か所……など全国十二の目標地でした。私たちは、一チーム二十五—三十人《ユニットといった》編成で、その内訳は、車両の運転手、曹長《メージヤー》、軍曹、そして私のようなOSSの軍属、合計二十五—三十人でした。  私は、金沢出身ということで、金沢上陸チームの指揮を取ることになりました。金沢をターゲットとして上陸の猛特訓に励みました。私はこのような形で、�里帰り�することになろうとは、夢にもおもっていませんでした」  前田らは、金沢市のミニチュアセット(二メートル×一メートルの大きさの)を見せられたが、おどろいたことに、市街の一軒一軒の商店と個人の家が詳細に記されていた。魚屋の横が米屋……二軒置いて古道具屋というように、ミニチュアは精密に金沢の市街を復元していた。また、米軍は町内の実力者が誰で、有力な門閥がどの家なのかも知っていた。さらに、防火槽や防空壕《ぼうくうごう》の位置、竹槍《たけやり》訓練の状況や実際の抵抗能力も調べていた。  前田らは、くり返して金沢の町並みを暗記させられた。前田が離郷して二十六年経っていたので、町の様子はだいぶ変っていた。  同時に、上陸後直ちに実行する情報戦の訓練をおこなった。まず、強力なマイクロフォンを搭載したトラックに乗りこみ、上陸用舟艇で海岸へ乗り上げ、直ちに市街地に進入して放送を開始する。「金沢のみなさま、落ち着いてこの放送を聞いていただきたい……我々は、あなた方を迫害に来たのではありません……保護するために来たのです」という一連のアナウンス原稿を暗記し、なめらかに放送する訓練……続いて写真版のビラを町角で撒布《さんぷ》する訓練……また一夜にして数千枚のビラを印刷作成する訓練……狙撃《そげき》された場合の応戦の訓練……これらを反復して心身にたたきこむのである。 「一九四五年の九月X日、米軍は数日前から徹底した艦砲射撃と爆撃で町を根こそぎたたいておいて海兵隊と陸軍の大部隊を上陸させ、金沢を占領する……そのあとで私たち情報作戦部隊が上陸して、町内のすみずみに日本語による宣撫《せんぶ》工作をおこなうというものでした。九月のXデーは、たぶん二十日だったと思いますが、あるいは記憶ちがいかもしれません」  と前田は言った。  これは決死の訓練であり、ユニット全員は緊張していた。前田もシンシナティに残してきた良春に電話し「もしかすると万一の場合もあり得る」と別れを告げた。良春は電話口の向こうで黙っていた。——  訓練が四か月続き、いよいよXデーの一か月前になったとき、突然、戦争が終った。モントレート兵営からは歓声が上がった。  結局は実を結ばずじまいの「Xデー」だったが、前田は訓練を通して次の二点を知った。 ㈰米軍は終戦当時、日本の要地に有力な協力者(内通者)を数百人の規模で持っていた。内通者は、日本政府高官も含め、特殊な方法で情報を米軍に提供し続けている。作業は成功|裡《り》に行なわれている。 ㈪米軍の情報収集能力は驚異的に正確豊富であり、日本側の手の内はすべて読まれていた(たとえば、天皇を逮捕して、停戦命令を出させれば、ほとんどの軍人は抵抗を中止するだろう。Xデーの日、天皇は、長野県の松代《まつしろ》か、鎌倉から三浦半島にかけての要塞《ようさい》地帯に逃げこむだろう。一般の民衆は無抵抗であり薬品と食糧さえ渡せば手向かってこない。天皇の逮捕は容易である。など)。 「そのとき私の金沢チームにあたえられた日本側協力者が千坂義典だったのです。彼は金沢大学の高名な学者で、高等軍属として軍の中枢にも深い関わりをもっている人間と我々に知らされておりました」 「千坂義典が日本側の協力者!」  おもいもかけない前田の供述に、棟居は息がつまるような驚愕《きようがく》をおぼえた。 「そうです。千坂は、戦争終結前にすでに日本を裏切っていたのです。彼は戦争を早く終らせるための止むを得ぬ行為だったと自己弁護していますが、もしそれがだれに対しても恥じざる行為であれば、米国の協力者であった事実をひた隠しにする必要は少しもないはずです。彼はそのときの米国とのコネクションを利用して、終戦後、731と米国との取引きの橋渡しをしたのです」  千坂は昭和二十年の二月にはすでに帰国しており、その前も日本と満州の間を頻繁に往復していたから米国の協力者になれる可能性は大いにある。 「千坂があの取引きの仲介者だったのですか」  前田は大きくうなずいて、 「上陸作戦においては、千坂と対面することができませんでしたが、終戦後、進駐軍として赴いた東京で、私はGHQのG2に所属する通訳として、731部隊関係者を取り調べる任にあたり、そこで奇《く》しくも千坂と顔を合わせることになりました。そのとき石井四郎や北野政次にも会いました。石井のことは特に強く印象に残っております。石井の取調べは一九四七年五月ごろ行なわれましたが、石井は病気療養中ということで痩せて顔色も悪かったようです。椅子《いす》に坐るとき熱があるので襟巻をつけたままでいることを許してもらいたいと言いました。そのとき彼は千葉県|千代田《ちよだ》村の生家に逼塞《ひつそく》していたのを千坂に引っ張り出されたのです。米軍側の尋問者が誰であったか記憶しておりませんが、石井の供述内容はすでに文書にして米軍に提供されており、取調べは主としてその確認でした。  尋問は郵船ビル六階の一室できわめて紳士的に行なわれ、すべて録音されました。尋問が終った後、731の首脳部は、逗子《ずし》の進駐軍専用料亭でGHQ将校の歓待をうけていました。そこで731の研究成果と引き換えの戦犯免罪取引きに関する具体案が話し合われたのです。その席上日本側の主たる折衝役をつとめたのが千坂だったのです」  いま初めて聞く、驚くべき内幕であった。 「それが機縁となって千坂氏と親しくなられたのですね」  話が一段落したところで、さらに誘導すると、 「千坂は満州から持ち帰った731の財産を一手に管理していました。金塊、プラチナや錫《すず》のインゴット、その他の貴金属類、薬品、麻薬類を、金沢大学の彼の研究室に隠匿していたのです。総額は731上層部にも見当がつきかねるほどでした。その一部がGHQの幹部に賄賂《わいろ》として贈られました。その財産が戦後731幹部の生活を支える資金となったのですが、かなりの額を千坂が着服してしまったのです。それを資金に、私とのコネクションを利用して、私が米国に残していた取引関係と貿易を行ないさらに財産を増やしたのです。彼は抜群の商才の持ち主でもありました。もちろんトンネルの会社を使っていましたが、731の厖大《ぼうだい》な麻薬も、密《ひそ》かに香港のダミーを介してアメリカで捌《さば》いてしまったのです。このようにして膨張させた汚れた資金をもとに政界に打って出て、今日の地位を築いたのです。このような人物を日本のリーダーにしたくない私の気持がおわかりいただけますか。千坂は自分の娘すら、口留めの道具として使うのを憚《はばか》らない。彼はそういう人間なのです」  千坂の金脈が731の遺産に発するものではないかという疑惑は、棟居も以前から抱いていたが、いまその金脈の実体が具体的に明らかにされたのである。 「しかしご子息は、実際に千坂氏の懐ろ刀として側用人《そばようにん》と呼ばれるほど千坂陣営の実力者になっているではありませんか」  単なる口留めのための結婚としては、前田良春の存在は重いのである。 「千坂に取り込まれてしまったのですよ。良春はあんな人間ではなかった。千坂の娘と結婚して彼も悪魔の眷属《けんぞく》になってしまったのです。刑事さん、もしかすると、最近の事件とは良春が関わっているのではありませんか」  前田は底光りのする目を凝《じ》っと棟居に当てた。棟居が答えの言葉を保留していると、 「いやお答えいただかなくともけっこうです。確かめれば情けなくなるばかりですからな。私がこうやって生きておられるのが、せめて良春の親孝行なのです。私は千坂や良春にとってダイナマイトをかかえているような存在です。生きていられては最も好ましくない人間でしょう」 「まさか、あなたを」 「いや私だとて、いざとなれば容赦しませんよ。彼らはそういう人間なのです」  前田譲司の言葉にはすでに親子を絶縁した者の冷えきった響きと諦めがあった。彼の現在の居住環境をみれば、いまを時めく民友党の重鎮の�側用人�とはまったく無縁の場所にいることがわかる。  千坂義典と前田父子の間に培われた二代にわたるコネクションは明らかにされた。千坂を自分の野心の培養基にしている前田良春が野心を阻むものを取り除くために手段を問わない心理構造も浮かんできた。前田良春の状況証拠はほぼ固まったとみてよかった。だが依然として、彼に止どめを刺すべき最後の武器に欠けていたのである。 「こちらにはいつごろからお住まいですか」  棟居は、質問の鉾先《ほこさき》を転じた。 「退役後しばらくニューヨーク州ロングアイランドのバビロン村という所に一人で暮らしておったのですが、寄る年波で母国が恋しくなりましてな、数年前に日本へ帰って来てしばらく良春の許に身を寄せておりました。こちらへ来たのは二年前です。いま住んでいるオンボロアパートは、死んだ女房の親戚《しんせき》が経営しておりましてなあ、見かけは古いが、息子の家よりも居心地がよいのです。ふおっふおっ」  前田譲司は歯の抜けた洞のような口を開いて笑った。その空気の漏れる笑声の裏に、老齢の身で一人息子から疎外されている身の底無しの寂寥《せきりよう》が迫って来るように感じられた。 「こちらの神社にはよく来られるのですか」 「実は奇しき因縁と申しましょうか、この神社は、満州から引き揚げて来た731部隊がしばらく隠れ家にしていたのですよ」 「731が隠れ家に! 初耳ですね」  またまた意外な情報が飛び出してきた。 「私もつい最近になって宮司から聞いてびっくりしたのです。私の住んでいるアパートの隣りに消防分団の格納庫がありましたじゃろ」 「はい」  棟居は白雲荘と皮肉な対照をなしていた格納庫を瞼《まぶた》に浮かべた。 「あの格納庫が、いまは建て改《か》えられましたが、前の建物の頃に731の資材置場になっていたそうですよ。詳しいことは宮司が知っていますから、興味がおありならば尋ねるとよろしいでしょう」  前田譲司から聞くべきことはおおむね聞いたと判断した棟居は、宮司に会うことにした。 [#改ページ]  過去を繋《つな》ぐ繊維      1 「話は終りましたけえ」  奥の部屋に引き返すと、宮司が磊落《らいらく》に問いかけて、 「ちょうどお茶が入ったとこやわいね。コーヒーもありますがに」  と勧めてくれた。碁も一段落したところのようである。 「終戦後731部隊がしばらくこの社《やしろ》を基地にしていた話を聞きたいそうじゃ」  前田老人が水を向けると、宮司は、 「ああ、そんな部隊があ、私の社に一か月ばかり泊まっていたことがありましたがいね」  と記憶を追う表情になった。  野間神社の延山邦麿《のぶやまくにまろ》宮司の語った話は、次のようなものであった。——  たしかに妙な部隊が約一か月間、神社に「宿を貸してくれ」と言って居すわったことがあった。終戦の年の八月二十五日ごろから、九月二十日までの間の出来事だった。日記をつけているので、倉から探し出せば正確な月日はわかるだろう。「金沢市内をあちこち回ったが、宿一軒を借り切れるところがない、二十名ばかりの部隊本部が泊まるので、しばらく社を貸してもらえないか」という触れこみだった。落ち着いたインテリ紳士風の将校が言うので、私の一存で境内へ入れた。彼は「石井」という名前で隊長のようだった。もう一人石井と呼ばれる幹部がいた。二人は兄弟のようであった。  とにかく豊富な物資を持った部隊だった。トラックで数回に分けて物資が届いた。米、味噌《みそ》、醤油《しようゆ》、袋に入ったブドウ糖が豊富にあった。梱包《こんぽう》を解かない荷物もあった。薬品(消毒薬)が大量にあった。ミシン(シンガーミシン)の頭部が何十台とあった。新品だった。麻のロープが山とあった。  現在の消防分団格納庫の敷地に当時、青年団の四|間《けん》×六|間《けん》ぐらいの大きさの建物があったので、そこを明け渡し、倉庫代りに使った。酒も何百本とあった。  持っていたのは食糧物資だけではなかった。三尺×四尺ほどの鋼鉄製ロッカーを当時の社の二階に運びこんできた。あるとき、家内がロッカーを開いている石井隊長の姿をみて仰天した。ロッカーの中にはぎっしりと札束が詰まっていた。他にも曰《いわ》くありそうな品物がロッカーの中に隠されていたようだが、内容は分らない。札束は山程あった。一大資金であった。  部隊名は告げなかったが、なにやら秘密の雰囲気を帯びた部隊であった。肩から拳銃《けんじゆう》を吊《つ》った兵士が交代で不寝番に立ち、ロッカーの置かれている社の入口を四六時中見張っていた。ものものしい警戒ぶりだった。  また、部隊には、変装の名人がいた。ロイド眼鏡を掛け背広を着て、民間人になりすまし日中ふらりと外へ出ていく。これが斥候だった。  斥候が社へ帰ってきて将校に�情報�を報告しているのを聞くと、「進駐軍は本日、厚木《あつぎ》と横浜に上陸した模様」とか、「来週月曜日には七尾《ななお》の飛行場に到着する気配」などと、すべて米軍の動向に関する情報ばかりだった。ひどく米軍をおそれている何か曰くのある部隊だなと思った。  ある時、あわただしく帰ってきた斥候が、 「米軍は本日の十一時に小松《こまつ》に到着する見込み」  と報告したため部隊が騒然となったことがある。しかし、これは誤報であると判明したので部隊はそのまま�撤退�せずに社に居すわった。  日中は気配を消して境内に潜んでいた。境内に天幕を一張り張って炊事場にしていた。巨大な、直径三尺ほどもある蒸気釜《じようきがま》を持ちこみ、飯を炊いていた。立ちのぼる炊煙が「空から発見されるのではないか」と神経をとがらせていた。  また、地元民との摩擦を恐れ、�倉庫�から食糧やブドウ糖を出して、時おり村民に分配していた。甘味が不足していた時なので、村の人たちは長い列を作って�配給�を受けたものだ。  当時、金沢医大には第七連隊が駐屯しており、トラックはシートを掛けたまま医大と社の間を往復したり、舞鶴《まいづる》と社の間を往復したりしていた様子だった。  部隊には洋服の仕立て屋(縫工兵)がおり、毎日のようにミシンを踏み帽子を作ったり作業服を縫ったりしていた。軍服の新品を改造して平服にし、将校や本部詰めの兵に渡していた。社には毎日のように部隊関係者が全国各地から訪ねて来ていた。篠崎主計中尉という碁の強い将校がいて、夜になると私のところに酒を持ってきては碁を打とうと誘った。和やかな関係だったが、部隊がいつまで居すわる気なのか、正体は何なのかは一言も言わなかった。 (二十年の)九月十七、十八日が、郷社の祭りだった。石井が大量の酒を社に供え部隊を代表して恭しく神前で柏手《かしわで》を打った。  ところが、このころから、氏子の声がやかましくなった。どうも妙な部隊が長期にわたり郷社に滞在する気らしい、戦争犯罪か、複雑なトラブルに巻きこまれるのではないか——と憂慮する声が私の許に届いた。言いにくかったが、私は石井に、 「ここは郷社なので、氏子の手前もあり、余り長期間の宿は提供しにくい。もうそろそろ出て行ってもらえないか」  と言った。石井はもの静かな口調で「わかりました」とうなずき、数日後に部隊は引きはらった。  九月二十日頃だったと思う。  部隊が�撤退�したあとも、元隊員だと名乗る復員兵が、入れかわり立ちかわり訪ねてきた。彼らは一様に「私は部隊から受け取るべき物資と金がある。それがもらえないと戦友が困る」と訴えた。  そうこうしているうち、復員局(県庁)の方から「部隊をかくまったことがあるか」と問い合わせてきた。また金沢にあった師団司令部からも「部隊はどこへ行ったか」という質問を受けた。何か秘密のある部隊だな、とおもったが、ついに私は部隊の正体を知らぬまま今日に至った。——      2  意外なところに篠崎中尉が登場して来た。他にも、これまでの捜査で知り合った元隊員がまぎれ込んでいたかもしれない。  前田老人と延山宮司の話を聞いているうちにすでに日はとっぷりと暮れていた。 「もう遅いがいね、ごはんでも食べて泊まっていかれたらいいがに」  宮司は初対面の棟居に親切に勧めてくれたが、そこまで甘えるわけにはいかなかった。いまからなら明早朝上野へ着く夜行列車に十分間に合う。 「いやあ、せわしないお人やねえ」  棟居が暇を告げると、宮司は目を円《まる》くした。 「私もえらい長居をしてしまいました。ルパンが腹を空《す》かせて待っているでしょう」  前田老人が急にそそくさと腰を上げた。さては先刻、白雲荘をうかがったときじゃれついてきた犬は、老人の飼い犬であったかと、棟居は一人うなずいた。 「バス停まで送って進ぜましょう」  前田老人は一緒に宮司宅を辞去して来た棟居に言った。雨は止んでいたが、空は塗りこめられたように暗い。海の方から吹いて来る風が冷たい。棟居は胴震いしながら、 「ルパン君に早く餌《えさ》をやってください。社へ行く前にちょっと白雲荘の方へ立ち寄ったのですが、だいぶお腹を空かしていた様子でしたよ」 「ああ、寄って来られたのですか。ドッグフードはあたえておるのですが、ルパンめ、生意気に暖かいめしでないと喜ばんのですよ。私と同じものを食わせている間に人間とまったく同じものを食うくせがついてしまいましてな。よその部屋へ入って行きますので、留守の間だけ止むを得ず小舎につないでおくのです。夜は一緒に寝るのです」 「可愛いものですね」 「家族と同じです。犬は決して人間を裏切らない。実はあの犬も私と一緒に追い出されたのです」 「追い出された?」 「良春の家で飼っておったのですが、あの犬も年を取りましてなあ。毛が抜けたり、よく粗相をしたりするようになったのです。それを良春の嫁が不潔だと言いだしおったのです。動物だから齢を取るのは当たり前なのに、捨てるか、衛生局に�始末�させるなどと乱暴なことを言いますので、私がもらいうけてきたのです。どちらが先へ行くかわかりませんがな、まあそんなわけで老人と老犬が身を寄せ合っているのです」  なんとなく身につまされるような話であった。そんな話をしながら歩いているうちにバス停まで来てしまった。車の交通は激しく空車も通りかかりそうである。棟居は前田老人に礼を言って別れた。      3  夜行を利用しての金沢往復はさすがに身体にこたえた。上野に早朝着いた棟居はそのまま出勤する気になれず、捜査本部に一報を入れておき、いったん帰宅して少し憩《やす》むことにした。  列車のフォームから連絡路を伝って国電のフォームに出る。エネルギッシュな大都会の営みはすでに始まっていた。早朝にもかかわらず、通勤者の姿は一定のリズムをもって着実に増えつづけている。この妖怪のような巨大都市は不眠のまま、新しい一日の活動へと一瞬の切れ間もなく継続しているようである。前の電車より、後から来る電車のほうが確実により多くの乗客を運んで来る。それが、次第に圧力を高めてくる都会の脈動のようであった。  棟居の乗るべき電車が来た。下車客の最後尾から足もともおぼつかなそうな老夫婦が助け合いながら下りて来た。その姿を見たとき、老犬と寄り添って生きている前田老人の顔が彷彿《ほうふつ》とした。  ——どちらが先へ行くかわかりませんがな——  老人の言葉が耳朶《じだ》によみがえった。さりげない口調であったが、老いた身の寂寥がにじんでいるような言葉であった。実際にどちらが先へ行っても残された者の寂しさは彼らの身になってみなければわからない。老人は唯一の友、いや身寄りを失うことになるし、犬は生活の基盤そのものを失ってしまうのである。  そのとき棟居の脳裡《のうり》に閃光《せんこう》が走った。閃光は強い電圧を伴って硬化した脳細胞を痺《しび》れさせた。強烈な衝撃によって一時麻痺したような脳細胞は、そのショックが去った後、新鮮なエネルギーを隅々まで賦活されて、新たな視野を展《ひら》いた。棟居は閉塞《へいそく》していた思考に穿《うが》たれた窓からの展望にしばし茫然としていた。  棟居はその場から白雲荘の公衆電話の番号をダイヤルした。メモしておいたのが意外に早い機会に役に立った。応答した眠そうな管理人の声に、前田老人を呼び出してくれるように頼んだ。ようやく電話口に出た前田老人に棟居はいっさいの前置きを省いて、犬を「もらい下げた」時期を質ねた。  予期した答えを得て電話を切った棟居から疲労は完全に消えていた。  奥山謹二郎の死体が発見されたとき、彼の手の指の爪《つめ》にかき|※[#「手へん+毟」、unicode6bee]《むし》った畳のわらが詰まっていた。布団の中にあった死体の位置からはどんなに手をのばしても、かき※[#「手へん+毟」、unicode6bee]った畳の痕跡《こんせき》まで届かない。そのことから犯罪が疑われたのであった。  その指の爪の中にあった物質が詳細に検べられ、わらと共にわずかな動物質の繊維が発見されていた。その繊維と、棟居の衣服に付着していた前田老人の飼い犬の毛が比較対照検査された。その結果、髄質の性状、色素沈着、毛小皮の紋理、横断面の形状などから、同一種属、同一の犬の毛と判定されたのである。  被害者の爪の間に残されていた動物繊維の主が判明したのである。毛の主のさらに飼い主は、前田譲司であり、昨年の八月上旬に息子の良春の家からもらい下げて来た。だれかが同家から奥山謹二郎の家へ飼い犬の毛を運んだ。その運搬者として考えられるのは、前田良春以外にない。前田は「グロキシニアの注文者」としての状況証拠もある。捜査本部は慎重に討議した後、まず前田を任意に呼んで取り調べることにした。取調べにはここまで前田を追いつめた棟居が当たることになった。補佐官には駒込《こまごめ》署の福田が付いた。 「お会いするのは二度目ですな」  棟居が再会の�挨拶《あいさつ》�を皮肉っぽくすると、 「いったいどういうつもりなんだね。私には警察へ呼び出される憶《おぼ》えはなにもない。中国人女性通訳や奥山さんにはなんの関係もないんだ。後になって、まちがいでしたではすまないぞ」  と千坂の七光りを笠にきて居丈高になった。 「大してお手間は取らせません。ちょっとお質ねしたいことがありまして」 「いったい何を聞きたいというのだ。私は忙しい身体《からだ》だ。手っ取り早くすませてもらおうか」 「前田さんは奥山謹二郎さんに昨年の八月五日に団子坂《だんござか》の花屋からグロキシニアを贈っておられますね」  そろりと出した鉾先に、前田の表情が改まった。だが意志の力で動揺を抑えている。 「そんなことがあったかな」  答えた口調は落ち着いている。 「ここに花屋の注文伝票があります」  花屋から借りてきた伝票を前田の前においた。 「伝票があるのなら贈ったかもしれんね」 「終戦後千坂氏が再婚されてから奥山さんとはまったく没交渉だったとおっしゃってましたが」  棟居はじわりと鉾先を進めた。先端には相手を捉《とら》えた十分なる感触がある。穏やかな棟居の声音であったが、今度こそ逃がさないという気迫があった。 「きみ……棟居君とか言ったね。幹事長の秘書がどんな仕事かまったくわかっていないみたいだな」 「わかりませんな」 「それでは教えてやろう。とにかく幹事長に代ってあらゆる仕事を捌《さば》く。地方から上京して来る後援会の食事の世話から、子弟の就職の斡旋《あつせん》、党の運営や経理まで先生に代ってみることもある。いくつ体があっても足りないくらいなんだよ。いうなら銀座四丁目が幹事長なら私はそこに立って交通整理をしているような役だ。一年も前の通行人の一人がどちらへ歩いていったかというようなことまでとても憶えていない。おそらく先生かだれかに頼まれたんだとおもうが、はっきり憶えていないな」 「その通行人の一人が死んだのです。交通整理役としては、無関係とは言えないとおもいますが」 「交叉点を通り過ぎた所で死んだ者にまで、一々責任は取れないよ」 「交叉点を通り過ぎたとおっしゃるのですか」 「奥山という老人の死には私はなんの関係もないのだ。たまたま彼に花を贈ったからといって変な疑いをかけられては迷惑だね」 「実は毛が残っていたんです」  棟居は切り札を出した。 「毛?」 「お宅で飼っていた飼い犬の毛です。たしかルパンという名前の」 「ふん、馬鹿馬鹿しい。同種の犬の毛なんていくらでもあるだろう」 「ところが毛の形状やさまざまな性状から個体識別ができるのです」 「犬の毛なんてどんな形でも運び込める」  前田の表情に不安の色がうすく刷かれている。 「ところが簡単には運び込めないのです。あなたは奥山さんの家に直接いらっしゃっていない。花をもっていったのは花屋で、あなたが運んでいったわけではない」 「それ以前に一度ぐらい行っているかもしれない」  口調が弱くなった。 「犬の毛は脱けた直後のものでした。つまり奥山さんが死んだ前後にその主の体から離れた毛であることが検査によってわかっているのです。お宅のルパンがご父君にもらわれていったのは昨年の八月十日だそうですね。つまり東京でルパンの新しい毛は八月十日にしか得られないのです。その毛が同月同日頃に死んだと推定される奥山さんの指の爪から発見されたのですよ。その毛を運べる人間は、あなたしかいないじゃありませんか」  その場で逮捕状が執行された。前田はまだ抵抗をしていたが、すでにすべての濠《ほり》を埋め立てられていた。被害者の指の爪に残されていた物質の�源�が、金沢に移されていたとは盲点であった。棟居が前田良春の父親の存在に着目しなかったなら、決め手は遂につかめなかったであろう。  毛根は新鮮な間は湿潤な球状をなし毛の末端はまだ角化せず、鉤《かぎ》状に屈曲している。これが古い毛になると、毛根部がまったく角化していて、毛根は乾燥|萎縮《いしゆく》し、毛根|鞘《しよう》は付着せず毛嚢《もうのう》の成分をもたない。  前田は知らぬ存ぜぬと言い張っていたが、彼以外に八月十日前後に現場へ犬の毛を運び込める人間はいなかった。  彼が八月十日よりせめて数日前に犬を�はらい下げ�ていれば、新しい毛は他の人間によっても運び込める可能性が生じてくる。少なくとも前田は新しい毛を入手できない状況となり、容疑圏外へ出てしまう。前田良春は容疑圏の中心にある時間と空間の交点に立っていた。  棟居の粘り強い取調べの前に前田の態度が次第に崩れてきた。前田逮捕の報にマスコミ陣が千坂義典のまわりに殺到した。彼らは、前田の犯行の背後に千坂の意志が働いているのではないかと疑っていた。民友党幹事長第一秘書であると同時にその女婿が、殺人事件の容疑者として逮捕されたのである。これはマスコミにとって�事件�であった。もし千坂がからんでいれば大事件に発展する。  千坂義典は、マスコミに対して、「自分はいっさい関与していない。騒ぎ立てられて迷惑をしている」と発表した。  千坂のコメントは、前田に衝撃をあたえた模様である。彼の拠《よ》って立つべき最後の砦《とりで》からも見放されたような絶望感をあたえられたらしい。逮捕に引き続く勾留《こうりゆう》五日めあたりからポツリポツリと重い口を開いて供述を始めた。      4 「奥山謹二郎を殺すつもりはなかった。奥山は舅《しゆうと》の弱みを種に舅を恐喝していた。舅の寺尾春美殺害の一件も奥山から聞いた。彼はそれをことあるごとにちらつかせて、戦後の生活のすべての面倒を舅にみさせていた。舅の事件は時効になったが、彼の社会的位置から、それが表沙汰《おもてざた》にされることを極端に恐れていた。寺尾春美には、舅以外にも複数の731幹部が関わっていたので、奥山の�口留料�は731の秘密資金から出されていた模様だった」  ——奥山をなぜ殺したのか?—— 「奥山は、楊君里の死を、我々の仕業と誤解して警察に告発すると脅した。告発の意志などなく、舅の事件が�時効�になったために、それを新しい材料として、�手当�を値上げさせる魂胆であることはわかっていた」  ——千坂氏が楊君里を殺す動機はないだろう—— 「楊君里は満州で生き別れになった実の娘に会いに来た。舅は寺尾春美殺しを奥山に黙秘してもらう代りに楊君里の赤ん坊と井崎夫婦の死児のすり替えに協力した。計画はすべて奥山が立てた。私は奥山からその話を聞いた。奥山は齢を取ったせいか、自分がかかえている秘密をしゃべりたくてしかたがないようだった。秘密を背負ったまま墓場に行くのは重くてかなわんと言っていた。私は早晩奥山が舅にとって最も危険な存在になると危惧《きぐ》していた。奥山から聞いたところ楊君里の夫は日本人新聞記者でハルピンで殺されたそうだが、舅が楊君里の夫殺しにも一枚|噛《か》んでいるということだった。私は、楊君里に関してはすべて奥山から間接に聞いたことばかりで詳しいことは知らない。だが楊君里の死因捜査の手が奥山に伸びると、舅にとって相当まずいことになりそうな予感がした」  ——その予感から奥山を殺したのか—— 「昨年八月六日から行政視察で米沢《よねざわ》へ行った舅に同行したとき、捜査員が奥山の行方を探して少し前に来米した事実を知った。舅はそのときはっきりと顔色を変えて、警察を奥山に会わせてはまずい。なんとか手を打てと命じた」  ——なんとか手を打てと言ったのか—— 「そうだ。そこで私は一足先に帰京して、八月十一日の夜奥山に会いに行った。警察が万一やって来ても、いっさい舅に不利益なことを言わないように念を押すためだった。だが奥山はせせら笑ってそんなことをわざわざ言いに来るのは、警察がよほど恐いとみえるなと言った。そして自分ももうあまり先行きが長くないから、これから死ぬまでの手当を一括して五千万円支払えと要求した。そんな金はないと突っぱねると、千坂は731の秘密資産を時価に換算して五億円ぐらい着服して今日の地位を築いたのであるから自分にも十分の一くらいもらう権利はあるとうそぶいた。  おまえも女房の縁にすがっておいしい目をみようとしているのだろうが、そうはさせない。五千万円で、おれは高村光雲に智恵子との比翼塚をつくらせるのだ。智恵子の本当の恋人はおれだったのだ。そのことを死ぬ前に証明しなければならない。石井部隊長が終生の恩人として尊敬し、隊長室に飾っていた永田鉄山軍務局長(昭和十年八月十二日相沢三郎中佐に斬殺《ざんさつ》された)の胸像も、おれが高村光雲に口をきいて彫ってもらったものだと大言壮語していた。  千坂は売国奴だ。彼は実はアメリカのスパイで終戦直前の米軍の本土上陸作戦において、米軍を手引きすることになっていたのだ。証拠もちゃんとある。米軍上陸チームに渡された日本側|協力者《スパイ》のリストだと奥山はわめいた。奥山は耄碌《もうろく》して完全におかしくなっていた。私は彼をそのままにしておくと千坂の命取りになるとおもった。千坂の失脚は自分の夢の崩壊につながる。気がついたときは、奥山に布団をかぶせて窒息させていた」  ——犯行の五日前、八月五日に奥山にグロキシニアを贈ったのはなぜか?—— 「ご機嫌うかがいだ。奥山は時々このようになにかプレゼントをしてやらないと、世間から完全に捨てられたような気になるらしく、しばらくなにもやらないと催促をしてくる。グロキシニアを贈ってやるとご機嫌だった」  ——犯行後花を持ち去ったのは、花から手繰られるのを恐れたからか—— 「そうだ。あの赤い肉厚な花が犯行の一部始終を見ていたような気がしたので持ち去った」  ——ジョン・ローレルに楊君里の夫殺しの資料について問い合わせたのは、自分一人の裁量か。それとも千坂氏の指図か—— 「自分一人の裁量で問い合わせた。奥山がかねてより千坂が楊君里の夫殺しに関わっているようなことを言っていたので関心をもった」  前田は取調べの途中から妻の父を「千坂」と呼び捨てるようになっていた。それは彼が千坂から見放された事実を示すと同時に彼が千坂を見限ったことをも意味していた。  棟居は前田の供述を録取しながら恐しい事実に気がついていた。前田良春は、「千坂は売国奴だ」と奥山がわめいたときに彼を窒息させたと言った。  しかし、奥山はどうして千坂の祖国に対する裏切りを知り得たのか? 奥山は終戦まで満州の731部隊におり、米軍の最高機密資料である日本側の協力者を知るはずがないのである。奥山を殺害するとき、前田良春の瞼《まぶた》で、奥山と父親の像が重なっていたのではないだろうか。  前田譲司は「私でもいざとなれば容赦しない、彼はそういう人間だ」と言っていた。良春の胸には、父親に対する憎しみが蓄えられていたのかもしれない。  前田良春は父を殺すつもりで奥山を殺したのか? 確かめるには恐しすぎる想像であった。  後に前田良春は検事の取調べの際、父親との関係について次のように述べた。 「私が十三歳の冬、一九四二年一月、アメリカ、アーカンソー州の日本人キャンプにいるとき、母が病気になった。栄養失調のところへ風邪《かぜ》をひいたのだ。荒野の中に建てられたキャンプで、バラック同然の家の中で家族が暮らした。人間が住める環境ではなかった。ミシシッピー河から十キロも入った奥地で約十年周期に大洪水が襲い、その都度住民が全滅したという物騒な地域だった。荒野の中の電柱の上部に出水時の水位がマークされていた。それはキャンプのバラックの屋根よりはるかに上の方だった。冬は燃料がなく凍え死にそうに寒かった。事実凍死者も出た。ジャングルの野生木を切ってきて燃やすのだが、煙りが出るばかりで、みな目とのどをやられた。そんなひどい環境の中で母は風邪をこじらせて肺炎をおこした。夜中におかしくなった母のそばで父は平然と寝ていた。昼の労働でいくら疲れていたとはいえ、母が隣りで死にかけていたのだ。私がキャンプの中にいた医者を引っ張って来たときは、もう手遅れだった。父は母の死体の前であくびをしながらどうせたすからなかったんだと言った。そのとき私は父を絶対許さないと誓った」 [#改ページ]  返されざるレモン      1  前田の自供によって千坂義典にも事情が聴かれた。相手の社会的、政治的地位を考慮して、慎重な聴取であったが、千坂は殺人事件に関連して警察の取調べをうけたことでかなりのショックをうけていた。  取調べの焦点は専ら、千坂に教唆があったかどうかに絞られていた。殺人の教唆が認められれば千坂は正犯に準ずることになる。教唆の方法手段は、それが一定の犯罪行為の決意をさせるものであれば足り、暗示、明示、嘱託、誘導、命令、威嚇《いかく》、脅迫、欺罔《きもう》のいかんを問わず、なんらの制限もないとされている。  ただ漠然と犯罪をせよとか、泥棒をしろというだけでは教唆とならず、また一定の犯罪に際して為すべき具体的行為を一々指示する必要はない。  千坂は、前田の犯行前に「なんとか手を打て」と言っただけであり、具体的な指示は下していない。その言葉によって前田が犯行を決意したのであれば、教唆が成立する可能性が大きい。だが前田はその時点で犯意を決定していない。警察が奥山を取調べに来たとき千坂にとって不利な供述をしないように念を押しに行ったのである。殺意は、被害者と話し合っている間に固まったと自供しているのであるから、教唆犯の成立は難しい。  ただ、前田が殺意を固めるに際して、千坂の言葉が影響しているかどうかが問題である。教唆が行なわれた時点で、被教唆者が犯行を決意しなかったとしても、その教唆がある時間的間隔をおいて被教唆者の行為に影響をあたえる場合があるであろう。  こうなると、教唆と、犯行決意の間の潜在的因果関係の有無となって複雑な問題を生ずる。  千坂は、そんなことを言った憶えはないと前田が供述した言葉自体を否認した。寺尾春美殺しについては時効が完成している。終戦時の売国行為、および731の遺産に基づいた密貿易がいま表沙汰にされれば、千坂の政治的生命を奪うかもしれないが、捜査本部にとってまったく別件であり、担当事件につながらない。  日本の将来のために千坂の政治生命を阻むことは、捜査本部の役目ではなかった。楊君里の死に発した捜査は、闇《やみ》に隠されていた731部隊の諸相といまなお後をひく戦争の傷痕《きずあと》を浮かび上がらせたが、731の遺産を食って肥《ふと》った悪の根幹を捕えることはできなかった。  楊君里が蓄えた三十六個のレモンに象徴されるように、日本人が他の民族に対して犯した、恐るべき悪逆は、三十六年の時間の壁によって護《まも》られていた。  いまなお731部隊の重い鎖を引きずって歩いている者は下級隊員であり、上級隊員の多くは同部隊での研究成果を基に社会的な名声や富を得ている。その現実に対して一介の捜査員はどうすることもできないのである。  結局、前田良春一人の訴追をもって事件は幕を引いたのである。      2  事件発生後一年経った。楊君里の死は、自殺と判明したものの、意外な波紋を多方面に投げかけた。彼女自身で毒を呷《あお》ったとはいうものの、そうさせたものは、三十六年前の戦争の後遺症であった。  棟居はふたたび多磨霊園に来た。前回同園を訪れたとき、落ち残った枯葉をこびりつかせていた桜並木がいまは艶《つや》やかな若葉に包まれている。園内に重なり合う樹葉は、いま最も盛んな生命の豊饒《ほうじよう》期を迎えて、内攻するエネルギーをもてあますかのように繁茂している。その密度濃い葉間に五月の明るい陽光が溌剌《はつらつ》と弾む。  霊園の広大な森林を塒《ねぐら》とする無数の野鳥はこの季節に最も快適な居住環境と食物をあたえられて、精一杯生命の謳歌《おうか》をしている。霊園内には季節がもつ本来の活気が充ちていた。  棟居は記憶を頼って第五区へ向かった。見憶えのある精魂塔の特徴のある形が視野に入ってきた。篠崎の管理が行き届いているとみえて、墓所はチリ一つなく清々しく保たれている。墓所の正面に立った棟居は、塔の前の二本の花筒にはさまれた香炉の前に供えられているものを見て、目を見張った。激しい驚きが彼の足をその場に釘《くぎ》づけにしている。  まだ供えて間もないような新鮮な花束のかたわらにレモンが一個おかれている。ま新しいレモンである。花束と一緒に供えられたらしい。その表皮は濡《ぬ》れて艶やかに光っていた。高村光太郎の詩のままに「すずしく光るレモン」であった。棟居の目にレモンの表皮に結んだ露が、楊君里が嬰児《えいじ》の頬に残した涙のように見えた。  香炉から、線香の煙りがほぼ垂直に立ち昇っている。まだ線香は長い。手向けた人は、立ち去ったばかりのようである。途中ですれちがわなかったのは、別の経路を取ったからかもしれない。  いまから追いかければその人に追いつけるかもしれないとおもった。棟居は踵《きびす》をめぐらしかけて止めた。いまさらレモンを手向けた主を確かめても仕方のないことである。それは棟居の想像の域に留めておいたほうが床《ゆか》しい。今日は五月三十日である。楊君里の一周忌である。楊君里に縁のあるだれかが精魂塔に日本で客死した彼女の霊を慰めに来たのであろう。  楊君里とレモンの因縁を知っている者となると限られる。まず井崎である。藪下の顔も浮かんだ。古館の未亡人や娘も知っているかもしれない。  そのとき線香の煙が揺れて水平に流れた。樹葉の先を風が光った。棟居は五月の風の中にふとかすかなラベンダーの香りを嗅《か》いだようにおもった。はっとしてその香りを「聞き」直そうとしたときは、むせるような若葉の香りが彼の嗅覚《きゆうかく》を捉えていた。  ——まさか彼女が——  棟居は首を振り、香りによって触発された想像を打ち消した。  ——なにも知らずに幸せに暮らしている彼女を巻き込みたくない。彼女の幸せには何人もの願いがこめられている——と言った井崎の言葉がよみがえった。彼女が知るはずはないのだ。  棟居は、蒼然《そうぜん》と烟る園内に焦点の定まらない目を向けた。新鮮な緑の氾濫《はんらん》する霊園に人影はなく、木漏れ日は午後に向かって傾きかけている。  ——とうとう返すことができなかった——  棟居は胸中につぶやいた。それは日本人の債務として楊君里から託されたレモンのことである。どだい、日本人の債務を返そうなどと志すことが大それた望みであった。  棟居はもう二度と詣《もう》でることもあるまい精魂塔に背を向けた。もはやラベンダーの香りは鼻の錯覚であったかのように完全に消え失せていた。 本書には今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品が取り扱っている内容などを考慮しそのままとしました。作品自体には差別などを助長する意図がないことをご理解いただきますようお願い申し上げます。 [#地付き](角川書店編集部) 角川文庫『新・人間の証明(下)』昭和60年9月10日初版発行